最近読んだマンガ

2003/07/28 山岸凉子『アラベスク』


   関東地方は、ずっとじめじめした気持ち悪い天気が続いていたのですが、昨日当たりから、やっと夏になったか?という感じです。という時に、私は、いきなりこの夏の最高体温39度を記録して、一日中寝込んでいました(どうも近年風邪を引くと高熱を発する癖がついているようだ……)。体温は下がり、治ってはきたのですが、まだ調子悪い。締め切りがすぎた答案をいっさら*見ていないという状態なんですが、もう笑ってしまいますね。
 がまあ、いっさら採点していないのは、授業が終わった解放感でマンガなどを読みふけっていたからいけないのです。マンガとは、山岸凉子『アラベスク』(白泉社文庫)。言わずとしれた、山岸凉子の出世作にして、代表的バレエマンガです。やっぱりこれを読んどかねば。というか、実は以前、ちょっとだけ読みかけたことはあるのです。が、その時にはバレエの知識もほとんどなく(て今もないけど)、また、山岸さんの現在の作風とはまったく違って、お眼々に星(比喩じゃなくてほんとに全部の眼に入っている!)のドジで泣き虫な主人公のもとに、あり得ない王子様が現れる、みたいな典型的少女マンガのスタイルということもあり(『りぼん』での連載第一回は1971年、つまり30年以上前! 当時山岸さんは24歳)最初のところで挫折していたのです。しかし、ある程度『舞姫 テレプシコーラ』の研究を経た上で改めて読んでみると……超面白い! やっぱり、山岸凉子という人はすごい。このマンガ自体、ノンナという16歳の少女が超一流のバレリーナに成長していく、という物語なんですが、第二部の終了が1975年(第二部は『花とゆめ』連載)、この4年あまりの間に、山岸氏のマンガ自体が明らかに成長、というか進化しているんですよね。たとえば萩尾望都なんかは、70年代のころのマンガと最近のマンガでは、スタイル的にはほとんど変わっていないように思います。が、山岸凉子は、現在のスタイルと、71年のアラベスク第一回のころでは、まったくスタイルが違う。ジャズで言えばマイルス・デイヴィスみたいな。また、マイルス・デイヴィスの進化が、そのまま「ジャズの進化」と言える、というのと同様、大げさにいえば、山岸凉子の進化、とはそのまま「マンガの進化」と言えるのではないか、とも思います。山岸凉子、まさにマンガ界のリビング・レジェンド。
 とにかく、『アラベスク』だけを見ても、さっきも書いたように、最後の方は、第一回と比べただけでも、はるかに遠いところに来ているなあ、というのがわかるのです。第二部、とくにその後半の「金鎖」のエピソードなんかは、とても深い。文庫版2巻の解説で三浦雅士はこう書いていますが、たしかにその通りだと思います。

謎の女性カリン・ルービツが登場して、おそらく作者自身にさえ解明しきれないのではと思えるほど複雑な心理行動を展開するが、ここにすでに後年の『日出処の天子』の予兆があるといっていいだろう。物語としても絵としても、そう思わせる。(p.340)

 「絵」の変化に関していえば、例えば瞳の中の十時型の星は、第二部ではまったくなくなっています。が、やはり一番大きいのは「線」の変化だと思います。『テレプシコーラ』第4巻巻末の山岸凉子と水野英子との対談で、水野英子は山岸の線に関してこのように言っています。

あの線は衝撃的だったんですよ。あれから一斉にみんながあの細い線に流れましたから。漫画史的に言うと、あれで手塚タッチから解放されたの。私たちのようなドタッとした線ではなくて、あの細い線だからこそ『アラベスク』のバレエの軽やかさ、リアルな感じがとっても出たんだと思いますよ。(p.198)

 が、『アラベスク』第一部の初めの方では、やはりまだ「手塚タッチ」がかなり残っているのです。だから、第二部の最後の方と比べると、かなり絵の違いが際だっています。ちなみに、対談で山岸氏は、筆圧が弱かったためやむを得ずあの細い線のスタイルを編み出したのだ、と言っています。最近の山岸氏は、『テレプシコーラ』において、さらに新しいスタイルに突入しているように思うのですが、そのことはまた後ほど書きたいと思います。
 それから、『アラベスク』という作品は、『舞姫 テレプシコーラ』と比較しながら読むと、いろいろと面白いということもあります。そもそも、『アラベスク』第一回を読めばすぐわかることなのですが、「バレエ教師の母と才能のある姉をもつコンプレックスをもつ妹が主人公」ということで、二つの作品はまったく設定が同じなんですよね。ただ、『アラベスク』の方では、母親と姉はすぐに影が薄くなってほとんど登場しなくなるんですが。また、影をもったライバル、ヴェータ(あるいはマチュー、カリンも?)なんかは、須藤空美と重なりあうところもあるのだと思います(須藤空美の場合、「影」といってもその暗さはハンパじゃないすけどね)。それから、細かいところでは、アーシャのオットのセルゲイ、これは篠原姉妹のお父さん(今調べたら利夫という名前だった)だな〜とか。その他、あ、このエピソードは『テレプシコーラ』のあそことまったく同じ! というところもたくさんありました。と、以上、両方のマンガを読んだことのないひとにはおそらくまったくわからない話で、すいません。

*いっさら> 山梨弁で、「まったく」「全然」の意味。