最近読んだマンガ

2003/09/01 山本おさむ『わが指のオーケストラ』

 6月17日、24日の朝日新聞夕刊「窓」欄に「手話は母語」という論説文が載り、その後、8月9日に「私の視点」欄で「ろう学校教育 手話のできる教師の増加を(村松孝徳)」が載りました。それらの記事で、日本のほとんどのろう学校では手話が教えられておらず、手話ができる先生も少ない、ということをはじめて知った人もいると思います。なぜろう学校で手話が教えられない(それどころか禁止されたりする)のか。それは、日本のろう教育が、「口話主義」という考え方を採用してきたからです。口話主義とは、ろうの子供達に、唇のうごきから話の内容を読みとる(読話)訓練と、発声(発語)の訓練を平行して行う口話法教育を重視する考え方です。アメリカで発生し、19世紀末に世界のろう教育で広まったこの考え方においては、手話を使うことは口話の妨げになる、として手話が禁止されました。その後、世界ではこの考え方の見直しも進んでいるのですが、日本のろう学校ではいまだに口話主義が主流だということです。
 そうした口話主義を激しく批判し、手話は「音声言語を使うことのできない人のための、”不完全な”代替品」ではなく、「音声言語に匹敵する、複雑で洗練された構造をもつ言語である」という事実を訴え、「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」と宣言しているのが、木村晴美十市田泰弘氏の「ろう文化宣言―言語的少数者としてのろう者―」です(『現代思想』一九九五年三月号、『ろう文化』現代思想編集部・編 青土社 2000年に再録)。
 授業で、ろう者の文化(ろう文化 Deaf culture )の話をするときには、山本おさむ氏の『わが指のオーケストラ』というマンガ(91〜2年に『ヤングチャンピオン』で連載)を紹介しています。大正から昭和初期を舞台にしたこのマンガは、日本のろう学校でどのように口話法が広まっていき、手話が弾圧されるようになったか、ということを、日本で唯一手話法を守り続けた大阪市立盲唖学校校長の高橋潔(実在の人物)を主人公に、詳しく描いています。なかなか、いいマンガです(アマゾン・オンラインブックストア)。
 さて、この『わが指のオーケストラ』には、大正7年の米騒動と共に、大正12年の関東大震災が描かれています。大正12年9月1日に関東を襲った大地震と火災による被害は、死者10万人、重傷者3万人余におよんだということです。しかし、関東大震災における死者は、地震と火災による死者だけではなかったわけです。以下は、関東大震災で生き残った東京聾唖学校生徒の一作という登場人物が、震災の状況を語る(もちろん手話で)場面です。

一作  地獄です……東京は…まさに地獄です 東京の荒川を渡って 埼玉県の大宮まで線路を歩いて やっと汽車に乗れました その間に何百…何千もの死体を見ました 壊れかけたビルには 殺された朝鮮人の死体が針金で縛りつけてありました 川では自警団に殺され投げ込まれた死体にウジがわいていました
高橋潔  何故だ!? 朝鮮の人達が暴動を起こしたというのは本当なのか!?
一作  デマです!! そんな事はありません おかしいのは軍隊や警察や自警団の連中です!! 連中は片っぱしから朝鮮人を見つけては追い回し捕まえて よってたかって虐殺しました そして…… 殺されたのは朝鮮人や社会主義者だけではありません ろうあ者も殺されました!! 東京聾唖学校の生徒も殺されました!!
高橋潔  何故だ!! 何故ろうあ者が!!
一作  50円50銭です……朝鮮の人は大体「こちゅーえんこちゅーせん」と発音するんだそうです だから憲兵に「50円50銭」と言ってみろと言われ でも黙って答えませんでした その ろうあの生徒は憲兵に呼び止められても耳がきこえないために答えられませんでした だから…朝鮮人だと思われて 憲兵に連れていかれ殺されました
(山本おさむ『わが指のオーケストラ』第22話、秋田文庫、第二巻、238〜242ページ)


 マンガの一シーンではありますが、これは実話に基づいて描かれています。
 いうまでもなく、これは、ろう者が朝鮮人と「間違えられて」しまったという悲劇、ではありません。そもそも、朝鮮人や社会主義者が暴動を起こした、という情報に関しても、それは確かに「間違い」であり「デマ」だったわけですが、問題の本質はそこにはない、とも言えます。恐怖にかられた市民たちは、その暴力の矛先を、まさに「間違わずに(正確に)」自分たちが差別してきた「他者」たちに向けたわけです。この辺の構図は、(単純化しすぎという批判はあるにせよ)あのボーリング・フォー・コロンバインが描いていたのとまったく同じ構図です。『わが指のオーケストラ』では、自らろう者でもある、大阪市立盲唖学校の福田先生はこう語っています。

我々が おし つんぼと 差別を受けてきた事と 今度の震災で朝鮮人や社会主義者が虐殺された事は 決して無関係じゃない 国家は権力を維持し強化するために差別の体制を作りあげ……軍隊や警察や市民に差別を実行させるんだ
(同書第23話、秋田文庫、第二巻、245〜246ページ)