2000/8/1 黒い汗を飲みながら考えた

 週一回授業の帰りに川崎で夕食を食べるのですが、最近よく行くのが、駅前のルフロンの一階にある「カフェ・ハイチ」という店です。ここは、ハイチ風ドライカレーというのも美味しいのですが、そもそもその店に入ったのは、売り物であるらしい「ハイチ・コーヒー」というのはどのようなものか興味があったというのがきっかけです。ハイチ・コーヒーというのは、いままで自分が好みだと思っていた味とは全然違うように思うのですが、なんとなくはまってます。面白いのは、器(マグカップのような大きな器に、3分の1ぐらい入っています)ごとあたためるのか、来たときには「カップが熱いのでお気をつけください」と言われる、というのと、香り付けのブランデーというのが付いてくるということです。好みで入れろということらしいです。
 ところで、「ハイチ」と「コーヒー」という取り合わせからは、やはりあることを連想してしまいます。ハイチは、カリブ海に浮かぶ島です。コーヒーはアラビア起源の飲み物であり、そんなところにもともとコーヒーがあったわけがないわけで、そこがコーヒーの名産地となるにあたっては、そこにコーヒーを持ち込んで農園を作ったもの、そして、遠い地からむりやり連れてこられ、その農園で働かされた人々がいる、ということですね。
 臼井隆一郎氏の『コーヒーが廻り 世界史が廻る――近代市民社会の黒い血液――』(中公新書)には、こうあります。「オランダの商人が、従来のようにコーヒーをできるだけ安くアラビア商人から買い受け、競争者を排除しながらできるだけ高く売るという方法に代えて、みずからの手でコーヒーを生産するという方法を取った時、コーヒーはヨーロッパの植民地主義の歴史を黒々と湛える商品となり、文字通り地球上の自然と人間を改造する近代の代表的商品となる道を歩み始めたのである。(p.53)」最初の「植民地コーヒー」は、オランダ東インド会社による「ジャワ・コーヒー」です。「ジャワの農民はコーヒー・プランテーションで無報酬で働くか、あるいは自分の農地の一部をコーヒー栽培に振り向けることを強いられた。(p.53)」しかし、それ以上に過酷な経営が行われていたのが、スペイン・ポルトガルによる西インド諸島のコーヒー・プランテーションでした。
 そもそも西インド諸島はスペイン、ポルトガルによってもっとも残虐な植民地奴隷制度が実行された土地である。奴隷をモノと見倣す植民者の徹底した原住民酷使は、住民の数を恐るべき勢いで減少させた。
 コーヒーを「ニグロの汗」と呼ぶ、おぞましい語彙が残っている。人手のかかるコーヒー栽培を支える労働力は黒人であった。アフリカ西海岸に集められた黒人奴隷はキリスト教牧師の祝福を受けた後、西インド諸島のプランテーションへ運ばれ、奴隷を降ろした船は、今度は砂糖、タバコ、ラム酒、インディゴ、そしてコーヒーをヨーロッパに運ぶのである。〔……〕黒人の3分の1が輸送中に死亡したという。生き残った黒人奴隷がどれほど幸福な生活を送ることになるかは改めていうまでもない。アフリカからアメリカへは推定1500万人の黒人が奴隷として運ばれたにもかかわらず、18世紀の末、アメリカに現存する黒人奴隷は300万人しかいなかったといわれる。西インド諸島の大地は「ニグロの汗」を胎に受け、ヨーロッパ人の「神々の食事」を熟させたのである。(p.116)
 さて、問題のハイチですが、フランスの植民地だったハイチのコーヒー栽培は1734年に始まったそうです。「多くの山岳を抱えたハイチは、コーヒー栽培に適した土地であった(p.138)」ということです。しかし、ここでも、足りない労働力はアフリカから連れてこられた黒人奴隷によってまかなわれました。過酷な境遇に置かれた黒人奴隷たちは、1791年8月、フランス革命の影響を受けて反乱を起こしました。闘争を指揮したのは、「黒いジャコバン」と呼ばれた、奴隷出身のトゥーサン・ルヴェルチュールで、彼は1801年に憲法を制定し、終身総督となりました。しかし、ナポレオンはそれをみとめず、軍を派遣して革命を弾圧。ルベルチュールは、交渉と称して誘い出され、逮捕され、1803年に獄死したそうです。しかし、彼の死後も闘争は続き、ルベルチュールの後を継いだデサリーヌは、フランス軍を撃退し、1804年1月ハイチの独立を宣言しました。「こうして,ハイチは世界で最初の黒人共和国、ラテン・アメリカで最初の独立国となった(平凡社『世界大百科事典』より)」ということです。
 このように、ハイチ・コーヒーは植民地主義の歴史と切っても切れない関係を持っているわけですが、それはハイチ・コーヒーだけでなくコーヒー一般について言えることです。また、それは単に歴史的な話であるだけではなく、現在も、依然として世界は植民地主義に起因する貧困や戦乱のただ中にあるということを考えると、ついつい、「ハイチ・コーヒーはなかなかうまいなあ」なんてのんきに言っていられないような気になってしまいます。前出の『コーヒーが廻り世界史が廻る』から再び引用します。
 コーヒーには茶や酒とは多少異なった点がある。「俺に今一杯のコーヒーが飲めたら世界はどうなっても構はぬ」と独り静かにコーヒーを飲み下すことができるためには、中南米やアフリカといった遠いどこかの世界がコーヒーを生産するようになっており(自然にそうなったのではない)、さらにそのコーヒー豆を無事にわれわれのもとに送り届ける一切の産業構造(輸出業者、仲買人、船舶会社、倉庫会社、輸入業者、焙煎業者、小売り店、喫茶店等々)がトラックの一台、人間の一人一人に至るまで、まっとうに機能していることを前提にしている。コーヒーを飲むという行為は、茶や酒を飲むのとはかなり程度の異なった極めて「不自然」な、人工的・文明的な行為である。それはヨーロッパ列強の植民地支配という長大な過去と円滑な世界交易の存在を前提にして初めて可能な行為であり、コーヒーを飲みたいという安穏な願いが時代の生産関係や政治事情に抵触することがあるのは、世界史のいくつかの事例に見てきた通りである。(p.221-2)
 そうなんです、そうなんですが、いうまでもなく「だからコーヒーを飲むのはやめる」などと言ってみても意味ないわけで、結局(これもありきたりな逃げ口上かも知れませんが)コーヒーを飲みながら、せめて、そうした歴史に思いをはせる、ということしかないのでしょうか。とりあえず、そんなときに、今回引用した臼井隆一郎氏の『コーヒーが廻り世界史が廻る』(中公新書1095)はおすすめです。この本は、コーヒーを巡って、発祥の地であるアラブからはじめて世界史をたどる、大変面白い本なのですが、私は特に文体が気に入りました。革命や植民地主義といった熱いテーマに対して身構えてしまいそうな読者を、臼井氏の洒脱な文章はリラックスさせてくれます。その意味では、この本自体、「コーヒー的」と言えるような気もします。