2003/12/15 オノ・ヨーコのイン・ストラクション昨日の日曜日は、水戸芸術館に「YES オノ・ヨーコ展」を観に行きました。期待以上にすばらしかったです。今回展示されていた代表作は、ほとんど30年以上前の作品なのですが、大変かっこいい。コンセプチュアル・アートの先駆者とも言える彼女の作品は、当然ながらデュシャンの強い影響が見られます。 ところで、彼女の作品を特徴づけるキーワードは、「インストラクション」です。例えば、「釘をうつための絵」というのは、白く塗った板の前に、ハンマーと釘が置いてあるというもので、つまり、作者のインストラクション(指示)にしたがって、鑑賞者が実際に釘を打っていく。これだけみると、言ってみれば「参加型アート」といった感じで、いまとなってはそれほどめずらしくもない、と感じられるかもしれません。が、彼女のインストラクション・ペインティングの本質は、実は「インストラクションで作品を作る」ことにあるのではない。指示にしたがって実際に何かをやること自体は少なくとも重要ではない。指示そのものが重要なのです。つまり、「インストラクションが作品」なのです。1962年の展覧会では、作品ではなく、作品を作る手順を書いた「指示書」が展示されました。この指示書は「楽譜」と呼ばれました。たとえばこんなものです。 三楽章の絵 キャンバスにタバコで小さな穴をあけ、しめった綿を入れた袋に種を入れキャンバスの横につるし、毎日水をやる。 一楽章 キャンバスがつたにおほわれる迄。 二楽章 つたが枯れるまで。 二楽章 キャンバスが燃やされて灰になる迄。 楽章の終わりごとに写真をとっておく。 これは、かろうじて達成が可能な指示です。が、このとき展示された「楽譜」のなかの、「頭の中で組みたてる絵 PAINTING TO BE CONSTRUCTED IN YOUR HEAD」というシリーズは、このようなものです。 頭の中で組みたてる絵 その一 四角: キャンバスが円になる迄頭の中で変形していく。その過程に於けるあるところで止め、その形から想起した色、音、にほひ、或いは物体をキャンバスに張って置く。 こうした「指示」は、そもそも何が「指示」されているかが明確ではない。つまり、少なくとも、指示が現実に達成されることは重要ではないのです。上の「楽譜」を観てもわかるように、最初期から、オノにとっては「想像 imagination」が非常に重要な意味を持っていました。ところで、「インストラクション」とは、「イン・ストラクション」でもある(オノは「イン・ストラクチュア」という言葉も用いています)。「インストラクション instruction」とは、もともとは「in 上に + strucere 組み立てる=積み上げる=教える」から来ているのですが、オノは、「in」を「中に」ととっているわけで、インストラクションとは、頭の「中に」「組み立てる」=想像する、ことでもあるのです。さらには、オノにとって「in」とは「中に」だけでもない。1964年の「インサウンドについて」という文章では、オノは「インは in like really in-within-inner-non-un-insane-crazed…」と言っています。つまり「in」には、「否定」の意味も込められていたのではないか。とすると、インストラクションは、ストラクチャーの否定でもある(とするとそれは、デストラクション、デコンストラクションにつながることになる)。といってもそれは、あからさまな否定、破壊、でもない。むしろ、指示であるように見せかけておきながら、いつのまにか指示でなくなっている、とそんな感じであり、指示のパロディーというか、自己崩壊していく指示のようなものです。そこには、「命令」とか「強制」という匂いはありません。例えば 「夕日を通す絵」 キャンバスの後ろに瓶を一本つり下げる。 キャンバスを西日のあたるところに置く。 瓶の影がキャンバスに映るとき、絵はそこにある。そにになくても、かまわない。 瓶にはお酒、水、バッタ、アリ、歌の上手な昆虫をいれてもよい。なにもいれなくても、かまわない。 1961年夏 このように、オノの「インストラクション」には、「そこにある。そにになくても、かまわない。」とか、「いれてもよい。なにもいれなくても、かまわない。」というような表現がたくさん出てきます。「Aをする」という指示を出しておきながら、即座に「しなくてもかまわない」と指示そのものをうち消してしまう。こういうところは、ユーモラスでかわいらしくもあり、とても気に入りました。私の友人のKさんが、かつて「いくかもしれないし、いかないかもしれない」と語り、これは、私たちの所属していたジャズ研で「名言」として語り継がれている(?)のですが、私は、オノのインストラクションにも、Kさんのことばと同じ解放的な響きを感じました。 また、「AあるいはBあるいはC……」と、さまざまなアイテムを次々と選言でつないでいくようなものも多い。しかも、アイテムの間に関連性というか脈絡がない。これもやはり、ストラクチュアを崩してしまう働きを持っているように思いました。 1964年には、そうしたインストラクションを集めた、「グレープ・フルーツ」という本が出されます(最初のバージョンは500部しか作られなかった)。その中には、そもそも達成できない、あるいは頭の中で(想像的に)だけ達成できる「指示」が満載されています。 THROWING PIECE Throw a stone into the sky high enough so it will not come back. 1964 spring FRY PIECE Fly. 1963 summer SUN PIECE Watch the sun until it becomes square. 1962 winter この本には、「imagine〜」という「指示」も多数含まれているのですが、というわけで、ジョン・レノンの「imagine」もこの本に触発されて生まれたわけです(ジョンは「imagine」はヨーコとの合作だ、と言っていたらしい)。なんでもサルトルと結びつけるのはわれながらあれですが、想像力を重視するオノの戦略、初期サルトルともつながります。オノは学習院大学の哲学科卒ということなので、実際、サルトルの影響もあるかもしれない。 『グレープフルーツ』は、その抜粋が『グレープフルーツ・ジュース』という題で文庫になっています。「YES オノ・ヨーコ展」は、水戸の後、広島>東京>鹿児島>滋賀 と巡回します。 |