1997.4.27. ペルー事件「解決」について(真面目)

 ちょっとがまんできないんで書いてしまいます。このコーナーは徹底的にアホなページにして、読む人に「異論・反論」を呼び起こす可能性のある「主張」のようなことは極力さけようと自分で決めていたのですが、今回だけはがまんできないのでその原則を自分でやぶってしまいます。
 なんでしょうか。この「よかったよかった」の大合唱は。ほんとにどこをとっても同じにこにこ顔ばかりで、まったく一方的な報道で、大本営発表そのものです。全員無事!とかいって、ゲリラが全員殺されたことなんてホントに「ついで」にしかいわない。14人も死んでるのにまるで「そんなことどうだっていい」という感じですね。「あいつらは悪い奴らだったんだから殺されて当然だ」とみんな思っているのでしょうか。
 男らしい決断をした有能な政治家であるかのように言われていますが、フジモリという人は、軍部をバックに憲法を停止して独裁政権を打ち立てたり、政治犯を虐待したりしている男です。そういう政権に、単に彼が日系人だからというだけで経済的支援を与え続けてきたのが日本です。したがって、今回人質にとられた日本人たちは、「何の関係もない」一般人とは言えなかったわけで、貧しい階層の味方を自認するゲリラ達が、日本企業関係者などがあつまる贅沢なパーティーを標的にしたのは十分理由があったことなのです。
 しかし、政治的主張を通すために、人質をとって立てこもるなんて「暴力的」手段に訴えるのはよくないじゃないか、と言われるかもしれません。では、ペルーの警察や軍隊がこれまで国家の名の下に反政府勢力に加えてきた「暴力」や「テロ」はどうなのでしょうか。今回の突入でも、ゲリラ達は人質を一人も傷つけなかったというのに、突入部隊は投降して無抵抗なものをも含めて、ゲリラ達を皆殺しにしました。普段は安手のヒューマニズムを振り回すテレビなどが、ゲリラの死体を虫けらのように見下ろすフジモリを英雄扱いしているのには、唖然とします。