2001/07/10 シラス

 神奈川県藤沢市の学校に週二日非常勤で行っているのだが、この学校は実は海のそばにある。駅と反対方向に20分ぐらい歩けば海岸だ、ということは知っていたのだが、この学校に行き始めてもう4年ぐらいになるのに、いままで行ったことがなかった。で、今日はじめて授業が終わった後海に行ってみた。行ってみると、初夏の日差しに照らされた、典型的な海辺の風景が広がっていた。平日の昼間だというのに、波打ち際は波とたわむれるサーファーたちでいっぱいである。砂浜では、甲羅干しをするサングラスにビキニのアザラシ、いや女性たちの姿が所々に見られる。しかし、さすがに家族連れなどはまったくいない。みんな黙々と、チャプチャプ、ゴロゴロ。波の音の他には「……」が充満している感じで、日差しはもう立派に夏休みなのに、何か変な感じではあった。まあ、変といえば、どう考えても夏の砂浜に似つかわしくない格好の、青白い顔をした私こそそうだったのかもしれないが。とりあえず、靴と靴下を脱いで砂浜に座り込み、ボーっとしてみた。
 しばらくして、ふと横を見ると、浜辺で何か機械が動いていて、まわりに人が集まっている。どうも、地引網を引いているらしい。観光客用のアトラクションではなく、本物の漁のようだ。面白そうなので、近づいていった。とりあえず、何を獲っているのか見たいな、と思ったのだが、最初は、海藻のからまったロープのような部分をえんえんと機械で巻き取っているだけで、よくわからない。からまった海藻を漁師さんたちが手際よく取り除いている。すると、だんだん、散歩中のおじさんなんかが集まってきて、ちょっとした人だかりができてきた。それにつれて、作業する漁師さんたちの「見せもんじゃないよ」というちょっとピリピリした雰囲気が伝わりだした気がしたのだが、ギャラリーはそんなことはお構いなく見守っている。しばらくして、ついに、網の本体が見えてきた。掛け声をかけながら、漁師さんたちは網を砂浜の上に引きずり出した。その段階ではまだ何が獲れているのかわからない。すると、他の漁師さんたちがバケツを持ってきて、網を開き、たも網のようなもので中身の収穫物をバケツに移しはじめた。何だろう、とますます接近するギャラリー。私も、近づいてバケツの中を覗き込んだ。すると、なにやら透明な小さな生き物がビチビチとうごめいている。たぶん、シラスかな。といっても、パック入りの茹で上がったものをスーパーで見たことがあるだけなので、実に心もとない。しかし、われわれギャラリー、そのころになると明らかに作業の邪魔である。ますますピリピリとしてくる漁師さんたち。と思っていたら、面白そうにシラスを覗き込んでいた短パンのおじさん、バケツに手を入れて、勝手に2・3匹摘み上げてしげしげ眺めたりしている。え?この人漁師さんじゃないよねえ、さすがにそれはまずいんじゃないの?と思っている私も、バケツを積むためにやってきた軽トラックにクラクションを鳴らされ「邪魔邪魔」と言われてしまったので、同罪である。

2001/07/11 Shirasu Fiction

 神奈川県藤沢市近郊、海岸沿いの道を走る一台の軽トラック。荷台には、青いポリバケツがいくつも並んでいる。ハンドルをにぎった若い男が、助手席の中年の男に話しかける。
「このまま研究所に直行でいいんですね?」
「ああ。……で、どのぐらい採れた?」
「ざっと300キロ、といったところです。」
「サンプルとしては十分だな。」
「それよりも、前回の調査のときに比べて、確実に増えていることが気になります。」
「うん、我々が極秘に調査を開始したのが今年の一月だから、この半年で、驚異的なスピードで増殖していることになるな……あれは。マスコミに嗅ぎ付けられて騒ぎになるのも時間の問題だろう。」
「今日も、見られてしまいましたね……」
「うむ。だがある程度は予想していたことだ。そのための扮装じゃないか。君なんか、どこからどう見てもシラス漁の漁師にしか見えなかったぞ。」
「ははは。所長こそ。」
 カーブを曲がる軽トラック。荷台のポリバケツが揺れる。運転席の男は、ちらっと荷台の方を眺めた。
「……それにしても、何なんでしょうか……あれは……」
「わからん。いまのところ、まったく分析不能だ。少なくとも、これまで世界中のどこでも発見されたことのない未知の生物であることに間違いはない。」
「……まさか、宇宙から来た生物だ、なんてSFみたいな話、あるわけないですよね……ははは。」
 初夏の日差しが、荷台のポリバケツの蓋に照りつける。このとき、ポリバケツの中では、ある異変が起こっていた。そのことに運転席の二人はまったく気づいていない。その小さな透明な生き物は、突然、おそろしいスピードで増殖をはじめ、いまにも蓋を押し開けてあふれ出ようとしていたのである。「びちびち、びちびち、びちびち、びちびち、びちびち、びちびち、びちびち、びちびち……」