1997.8.24. パソコン・ゾンビ

 EYE-COM誌ネタばっかりですが、8・15/9・1合併号の中に「モバイルツールを使っている人に会った時の礼儀」と言うコラム(文/石原荘一郎氏)があって(p.77)結構笑えました。モバイルツールをこれ見よがしに使っている「モバイル野郎」に対して、自尊心をくすぐりながら皮肉ってやるにはどうすればいいか、ということなのですが、「モバイル野郎」をもっと一般的な「パソコン野郎」に置き換えても充分思い当たるフシがあるのです。
 モバイル体験者に話を聞くときに欠かせないのが、モバイルの問題点、不便な点、矛盾点と言ったあたりの話題。現時点でのモバイル野郎は、少し前までのパソコンユーザーと同じで、”不便を克服しながら使いこなそうとしている自分”に酔ったり、問題が多いが故にモバイルという行為に愛着をもったり、また、手放しで礼賛しないことで自分の利口さや冷静な一面をアピールしようとしている傾向が見受けられます。
 うーん、なかなかするどいですね。
 私も、自分のパソコンを買ってからそろそろ一年になりますが、パソコンを使いはじめる前、パソコンユーザーに対してちょうど同じ様な印象を持った覚えがあります。つまり、パソコンユーザーというのは、おうおうにして、自分はパソコンを使っておきながら、パソコンをけなしたり、パソコンについて醒めたことを言ったりするんですよね。「いやあ、パソコンなんてまだまだ不完全だからね。使いづらいよ。目的が限定されているんだったらワープロの方がいいんじゃないの。安いし。ゲームなんてしたってしょうがないでしょ。」とか。
 では、それを聞いた非パソコンユーザーはどう思うか。「なーんだ、やっぱりそうか。実際に使っている人ですらそう思っているんだから、俺はやっぱりパソコンなんて使うのはやめよう」と思って安心するか。むしろ逆ではないでしょうか。非パソコンユーザーというのは、(私だけかもしれませんが)パソコンユーザーの自虐を聞くとかえって悔しさを感じる様な気がします。つまり、結局「けなす」というのは優位に立つことなんですよね。
 たとえば、(意外とあまりないことかもしれませんが)パソコンユーザーが無邪気にパソコンのすばらしさを言い立てたとします。「いやあ、ほんとにパソコンってすばらしいよ!インターネットもできるし、ゲームもできるし・・・ほんと楽しーッ!!」それを聞いた非パソコンユーザーは、「なーんだ、バカだなあ、あんな子供だましのおもちゃで喜んじゃってさ。俺は大人だからそんなもので喜んだりしないよ」と、優越感を感じることができるのです。ところが、パソコンユーザーにパソコンをけなされてしまうと、非パソコンユーザーは何も言えなくなってしまうわけです。だって、非パソコンユーザーは、「パソコンはどこが不便か」ということを知ることすらできないわけですから、圧倒的に不利です。
 この状況から脱するにはどうすればいいか・・・。一番いい方法は、自分もパソコンユーザーになってしまうことです。ゾンビにおそわれたくなければ、自分もゾンビになってしまうのが一番いいわけですし、吸血鬼に血をすわれたくなければポーの一族になってしまうのが一番いいわけです。
 というわけで私もパソコンユーザーになり、「いやあ、パソコンねえ、僕も使ってみたけど、そんなに便利なもんでもないよ」とかなんとか、言ったりするわけです。
 というわけで、未だに非パソコンユーザーであり続けている偉い人たち(いや、これ皮肉ではなくてほんとに偉いと思います)は、「結局パソコンユーザーなんて、非パソコンユーザーであり続ける勇気がなかった意気地なし(少なくとも私はそうです)じゃないか」と優越感を感じればいいのです。
 ところで、「この文章全体がいやみだ!」と感じる非パソコンユーザーの方もいらっしゃるかもしれませんが、これはもう勘ぐり出すときりがないので、とりあえずこの文章はそれほど深読みしないでください。