diary

和歌山 加太

 私の実家がある和歌山県和歌山市(と言っても私自身は和歌山に住んでいたのは浪人の時の一年間だけ)の西北端に、加太海岸がある。もう何度も行ったことはあったのだが、この夏、また行ってデジカメで写真を撮ってきた。
 加太には、毎年3月3日に行われる「雛流し」の神事で有名な淡嶋神社がある。雛流しの原型は、紙の人形(ひとがた)で体を撫でて罪やケガレをひとがたにうつし、それを身代わりの形代(かたしろ)として水に流した、という行事。つまり、「人形」とは単なる遊び道具というわけではなく、もともと呪術的な性格を持っていたわけである。淡嶋神社には、雛人形だけでなく、使われなくなったさまざまな種類の人形が奉納されている。境内にはそれらが所狭しと並べられているが、そのため、一種異様な呪術的な雰囲気が漂っている。
 ところで、淡島神社の縁起は、神功皇后の「三韓征伐」の神話と関係がある。「三韓征伐」とは、神功皇后が、神託に従ってみごもったまま高麗・百済・新羅の三韓を「征伐」し、日本に朝貢するようにさせたという「神話」(もちろん事実ではない)である。戦前、この神話は、秀吉の「朝鮮征伐」とともに、朝鮮の植民地化を正当化する物語としてさかんに利用され、日本人の朝鮮蔑視観の形成にも影響を与えた。淡嶋神社の縁起はこうである。神功皇后が三韓出兵から帰国の際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会い遭難しそうになったとき、「船の苫(注1)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ」という神のお告げがあり、その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来た。その島(友ヶ島(注2))には、少彦名命と大己貴命(大国主)が祭られていて、皇后は、持ち帰ってきた宝物を供えた。その後、神功皇后の孫にあたる仁徳天皇が社を対岸の加太に移し、社殿を建てたのが、加太淡嶋神社の起こりだ、と。
 明治以降、友ヶ島は、旧陸軍の要塞とされて軍事的に利用された。今でも多くの砲台跡が残っている。砲台跡は対岸の加太にもある。(写真はクリックすると拡大されます)。

注1 苫(とま)とは、菅(すげ)や茅(かや)を菰(こも)のように編み、和船の上部や小家屋を覆うのに用いるもの。とば。
注2 苫が島(とまがしま)が転じて友ヶ島(ともがしま)になったようである。しかし、たとえばここによると、福岡の三苫という地名も、神功皇后神話の苫がたどりついた場所ということが地名の由来らしいので、各地にそうした由来の地名があるのかもしれない。

友が島
友が島です。逆光できれいに撮れました。

淡島神社
淡島神社です。ずらっと並ぶ日本人形はかなりおどろおどろしい。

招き猫


招き猫

貝
境内の店で食べられる焼きたての貝。手前はおく貝、奥はサザエとガンガラ。

加太
岬の展望台から見える風景です。

砲台
加太の砲台跡です。

砲台
弾薬を運んだトンネル。右下の穴が弾薬庫だったようです。