'97.3-12
LAST UPDATE/ 2000/03/06

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1997.3.19. はじめました


 結局日記のようなものを載せることにしました。というのも、こんなページでも、ひょっとすると、万が一、時々見に来る人がいるかもしれないわけで、そうすると、ごくたまーにしか更新しないのは失礼だと思ったからです。これは、自分自身のことを考えても、いつ見ても更新してないページはつまらないと思うし、よく見に行くページというのは結局日記のようなものがあって更新を小出しにしているものだからです。
 最初からこう言うのもなんですが、もちろん、内容がない日記になると思います。というか、そもそもこういうホームページそのものが無意味だ、という声があることは重々承知しております。たとえば、「EYE-COM」誌4月1日号で、神足裕司氏はこう書いています。
 私は個人のホームページにまったく関心をもたない。先日、電子メールで全人類が平等になる日などという愚かしい番組をNHKがこしらえていたが、妄想もはなはだしい。
 落書き帳の連続を覗いてなにが楽しいのだ。もっと言えば、どこそこのネット会議だのチャットだのには参加したこともない。
 それらは単なるヒマ人の集まりだからだ。(13ページ)」
 確かにそのとおりで、ヒマ人と言われると返す言葉もありません。神足氏のこのコラムは、全体としては、素人がお手軽に文章を垂れ流す手段としてコンピューターネットワークを利用することに対して、物書きのプロとして苦言を呈する、という感じになっているのですが、ただ、ではプロたちが作っている週刊誌やテレビの内容がみな「落書き帳」以上のレベルのものであるかは疑問ですが。
 私自身は、ヒマ人の落書き帳でも面白いものは面白いし、つい読んでしまいます。何か意味があるとは思いませんが、少なくとも「ヒマつぶし」の役には立つのだから、それでいいのではないでしょうか。神足氏が批判しているチェーンメールのような、読むことを強制するようなものは迷惑でしかないですが、私のは、「ヒマな人は読んでね」という仕方でしか存在を主張しませんので、無内容ですが許して下さい。つまらなかったら即刻別のページに行ってください。

1997.4.1. あら・・


 今朝起きて、いつもの通りパソコンをつけ、何気なくメールのチェックをしたのですが(起きて真っ先にパソコンをつけるところがかなり危ない兆候ですが)「パスワードを再度入力して下さい」というメッセージが出て、大学のコンピュータにログインできないのです。一度なら打ち間違いということもあるのですが、何度やってもだめなわけです。「4月1日だからってそれはないだろう」と思ったのですが、そこで「はた」と気付きました。「今日は4月1日だ。つまり今日から新年度だ。そして、そういえば私は大学のネットワークのユーザー登録の継続申請をしていない。」ユーザー登録の継続申請というのは、自宅からでもテルネットやWWWからちょっとした手続きでできる簡単なものなのですが、それを「あーそのうちやんなくちゃ」と一度は思いつつすっかり忘れていた、というところが私のずぼらさと間抜けさを実によく示しているのですが。早速大学の電算係に電話して聞いてみたところ、まあ手続きにいけばすぐに元通りにしてくれるということだったのですが、しかし少なくともそれまではメールが読めないわけです。それだけのことでいらいらしかけてしまった自分を発見して、私の脳裏を「ネットジャンキー」という言葉がよぎりました。
 しかしほんとにばかみたいですよね。私なんかそんなに交流が広いわけでもないので、メールなんて日に何通も来るわけではないし、だいいち一日や二日メールが読めなかったからといって実質上こまることなんか何もないわけですが、それでもいらいらしちゃう。EYE-COM 4・1号の付録によると、「インターネット中毒」には一時的なものと慢性的なものの二症状があるそうです(笑)。一時的な症状というのはいわゆる「ネットサーフィン」にはまるというものなわけですが、私も思い当たります。電話代2万円以上請求されて青くなったりしました。しかし、そういうのはすぐ飽きる。というわけで一時的症状なわけです。問題は、そうした症状がおさまった後に現れる慢性的症状です。
 まず、メールやネットニュースにハマっている場合ですが、頻繁にメールをやりとりするようなラブラブな彼女もいないのに、1日に10回以上メールやニュースのチェックをしていたら危険な兆候です。(・・・)症状が進行すると、ブラウザーのバージョンアップに異常に敏感になったり、自分が開設しているホームページの更新が一日に2回以上になるという症状も併発します。末期になるとISDN回線でも満足できなくなり、”常時接続”という単語にヤケに反応しはじめます。(p.22)
 うーん、まだここまで進行してはいないけど、気をつけなきゃ。

1997.4.10. 侍ジャイアンツ


 またまた野球の話です。これまた歳がばれるのですが、私が子どものころ「侍ジャイアンツ」というアニメがありました。これは、番場番というとんでもない名前(漢字違うかも)のピッチャーが巨人に入って活躍する話なのですが、星飛雄馬の大リーグボールにあたる彼の決め技は、ハイジャンプ投法というマウンドから三メートルぐらいジャンプして投げる球で、今考えるとムチャクチャな話でした。で、なにせずいぶん昔の話なので勘違いがあるかもしれませんが、私の憶えているかぎり、この番君はもともとアンチ巨人だったのです。ところがその番君のところに巨人のスカウトマンが来て熱心に説得する。当然番君は断るわけです。「おれあむかしからでっかいやつはでえっ嫌えなんでえ。巨人には絶対いかねえ!」えらいっ!このあたり最近の誰かさんに聞かせてやりたいね。K原とかね。
 ところでこの番君は漁師の息子で、スカウトマンは、母親と二人暮らし(父親は海で死んだ)の彼を漁村に訪ねに来るのですが、番君は「けえってくれ」と言ったきりもう会おうともしない。スカウトマンは寒空の下番君が出てくるのを家の外でずっとまっているのです。すると、こんな頑固な(立派な)番君のそばに、母親がすーっと近づいてきて、こんなことを言うのです。「番や、おまえのとおちゃんが死んだときのことを憶えてるかい?とおちゃんはでっかい鯨をたった一人で倒して死んだ。とおちゃんはでっかい鯨の口の中に飛び込み、腹の中からモリを突き通して鯨を倒したんだ。でっかいやつは内側から倒すんだ、と言ってね」その言葉を聞いた番君は、こう叫ぶのです「そうか・・・でっかいやつは内側から倒せばいいんだ!」そして、彼は一転して巨人に入る決心をするのです。
 ということは、彼は巨人に入ったものの、それは巨人を倒すための手段であって、彼はいずれ父親が内部からモリで鯨を倒したように、巨人を内側から倒してくれるんだろうな、と私は子供心に(子どものときからアンチ巨人でした)思ったわけです。ところが、いつまでたっても番君は巨人を倒してはくれない。それどころか、一生懸命働いて巨人の優勝のために貢献してしまうのです。でも私は信じていました。いや、彼はまず作戦として巨人に自分を信用させているだけで、最後にはやってくれるだろう、と。
 話が違う、と気づいたときには番組が終わっていたような気がします。私は、番組の最後に「協力・読売巨人軍」というテロップが流れ、ジャイアンツの旗がはためいていたのを忘れていたのでした。今思えば、このアニメは、対立物をも巧妙に取り込んでしまう権力というものの恐ろしさを教えてくれる番組だったのかもしれません。

1997.4.27. ペルー事件「解決」について(真面目)


 ちょっとがまんできないんで書いてしまいます。このコーナーは徹底的にアホなページにして、読む人に「異論・反論」を呼び起こす可能性のある「主張」のようなことは極力さけようと自分で決めていたのですが、今回だけはがまんできないのでその原則を自分でやぶってしまいます。
 なんでしょうか。この「よかったよかった」の大合唱は。ほんとにどこをとっても同じにこにこ顔ばかりで、まったく一方的な報道で、大本営発表そのものです。全員無事!とかいって、ゲリラが全員殺されたことなんてホントに「ついで」にしかいわない。14人も死んでるのにまるで「そんなことどうだっていい」という感じですね。「あいつらは悪い奴らだったんだから殺されて当然だ」とみんな思っているのでしょうか。
 男らしい決断をした有能な政治家であるかのように言われていますが、フジモリという人は、軍部をバックに憲法を停止して独裁政権を打ち立てたり、政治犯を虐待したりしている男です。そういう政権に、単に彼が日系人だからというだけで経済的支援を与え続けてきたのが日本です。したがって、今回人質にとられた日本人たちは、「何の関係もない」一般人とは言えなかったわけで、貧しい階層の味方を自認するゲリラ達が、日本企業関係者などがあつまる贅沢なパーティーを標的にしたのは十分理由があったことなのです。
 しかし、政治的主張を通すために、人質をとって立てこもるなんて「暴力的」手段に訴えるのはよくないじゃないか、と言われるかもしれません。では、ペルーの警察や軍隊がこれまで国家の名の下に反政府勢力に加えてきた「暴力」や「テロ」はどうなのでしょうか。今回の突入でも、ゲリラ達は人質を一人も傷つけなかったというのに、突入部隊は投降して無抵抗なものをも含めて、ゲリラ達を皆殺しにしました。普段は安手のヒューマニズムを振り回すテレビなどが、ゲリラの死体を虫けらのように見下ろすフジモリを英雄扱いしているのには、唖然とします。

1997.6.17. 再出発


 いやあ、自慢じゃありませんが初めてやってしまいました。ウインドウズの再インストール。ウインドウズがセイフモードですら立ち上がらなくなっちゃったのです。しかも全部自分が悪いんです。MACBARという、ウインドウズのダイアログボックスをマック風にするという(私にとっては)夢のような洋ものソフトがあるのです。それをインストールしようとしたところ(危ないことにインストーラーはdosソフトなんですよ)画面が真っ暗になり、「このソフトはあんたのパソコンにはあってないみたいだ。最悪の場合ウインドウズが立ち上がらなくなるかもしれないよ。それでもいいんなら続行しな」みたいなメッセージが英語で出てきたのです。かつての私だったらここでびびってしまっておそれをなして逃げ帰ってきたとおもうんですが、最近の私、ちょっとパソコンに関してテングになってまして(「最悪の場合付属のアンインストール・ソフトを動かせばもとにもどるよ」と書いてあったこともあり)「ハン、上等じゃねえか。なめんじゃねえ、エイ!」とリターンを押してしまったのですな。
 ・・・そして、警告通り立ち上がらなくなりました。まあ、最初っからみるからに危なかったわけで、完全に自分が悪いんですが。で、初めて起動ディスクを使ってなんとか修復を試みたのですが、アンインストーラーを動かせば直る、とかいうのもうそでした(これも無理はない)。でもなんか妙に落ち着いていて、わりとすぐに、これはウインドウズの再インストールしかあるまい、という結論を出しました。ウインドウズのCDROMを引っぱり出してきて、再インストールをはじめたのですが、CDROMドライブが8倍速だからか、すでにウインドウズが入っているからか、インストールそのものはすぐに10分ぐらいで終わってしまいました。ただ、さらにドライバの再インストールとかが必要でしたが、それでも全体としては壊れてから2・3時間で元に戻りました。
 しかし、うまくいったときは、自分が悪かったことも棚に上げて「結構やるじゃん」なんて思ったりして。だからそういう自信過剰がけがのもとだって言うのに・・・。
 カスタマイズ中毒の私は、起動時の画面も「MACOS Starting Up...」というのに変えちゃってたんですが、再インストールにともなってダサいウインドウズのロゴのやつに戻ってしまいました。しかし、これはしばらく戒めのためにそのままにしておこうと思っています。

1997.6.26. 侍ウインドウズ


 前から言ってますが、私はウインドウズユーザーでありながらウインドウズが大嫌いです。結局、ウインドウズというのは、マックのまがい物、それもかなり質の悪い模造品なのです。だから、世間で言われているような、マック対ウインドウズなどという戦いは、実を言うと存在しないのです。それは、タマゴッチとニュータマゴウオッチ、あるいは蟹と蟹カマを比べるようなもんなのですから。それなのに、ウインドウズの方が勝った(つまり蟹よりカニカマの方がうまい)かのようにいわれているのは、笑止千万と言わざるを得ません。マック対DOSというのであれば、それはコンセプトが違うのだからまだ戦いになる余地はあるとは思いますが(DOSのほうが優れている面もあると思う)しかし、マック対ウインドウズは戦いではありません。
 これも前から言ってますが、私は巨人が大嫌いです。そして、私がウインドウズが嫌いなのは、ウインドウズ(というかマイクロソフト社)が巨人だからです(唐突ですが)。巨人(=マイクロソフト)は、金に飽かせて、他の球団から選手を買ってきて(=マックから技術を盗んできて)強い、強い、とか言ってるのです。ほんとむかつきます。そういう意味ではマック(アップル社)は阪神です。巨人(マイクロソフト)が無個性の優等生であるのに対して、非常に個性があるのだが、経営陣があほで巨人に負けてしまっているところ、熱烈なファンがいるところ、など、ほんとそっくりです。
 というわけで、ウインドウズが嫌いでありながらウインドウズを使っている私は、コンピューター界における番場番なのです。ということは、結局ウインドウズに貢献してしまっているのかな(^_^; 意味が分からない人は4月10日のヒマジンを読んでください。