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酒井隆史『暴力の哲学』書評
永野 潤
●暴力そのもののなかに線を引くこと
一九六六年九月二十二日、来日中のサルトルは、「知識人の役割」と題された日比谷公会堂での講演でこう言った。「たとえばフランスでは、知識人たちというか、自分で知識人だと称している人たちが、普遍性の名において、アルジェリア人のテロ行為を、フランス人の弾圧行為とおなじ資格で非難しました。『テロリスムにしろ、弾圧にしろ、私はあらゆる暴力を非難する』と。これこそ、ブルジョワ階級のイデオロギーに奉仕する、ニセの普遍性の実例です」。9・11後の今日、人々は、当時の「ニセの知識人」とまったく同じことを、こう表現している。「テロにも戦争にも反対」と。酒井隆史の『暴力の哲学』は、このスローガンへの留保、このスローガンを前にしての逡巡を出発点としている。
「暴力はいけません」という「正しい」モラルは、「だから暴力(をふるいそうなもの)には暴力を」と、より大きな暴力の配備を正当化するのではないか。またそれは、暴力の問題からわれわれを暴力的に切断し、われわれの暴力に対する感覚を磨耗させるものではないか。かつてアメリカは、ヴェトナムで自らが行使している暴力を隠蔽するために、「北ヴェトナムこそが侵略者であり、自分たちは和平を求めている」と宣伝した。サルトルは、冒頭で引用した講演で、そうした「平和主義」的イデオロギーにだまされ、「個別的な、どの戦争をも停止させようともせず、ただ一般に平和を望む」などと言う人間を、「ニセの知識人」と呼んだ。彼らは、普遍性を「すでに出来上がったもの」と考えているかぎりにおいて、徹底的ではない。真の知識人は、徹底的であろうとするがゆえに、普遍性を「つくってゆくべきもの」ととらえ、個別的な状況に関わっていく、とサルトルは言う。一方酒井も、暴力を批判するためにこそ、暴力の問題を徹底的に考えようとする。「暴力の批判」は、「暴力の哲学」である。つまりそれは、暴力をたんに拒絶する(つまり暴力との間に線を引く)ことなのではなく、暴力を腑分けし、「暴力そのもののなかに線を引く」ことである。このように言う酒井は、おそらく(本人は否定するかもしれないが)サルトルの言う意味での「知識人」としてふるまおうとしている。
●非暴力の哲学
しかし、こうした「暴力の哲学」は、酒井が本書で取り上げているファノンの思想が、また、ファノンを日本に紹介したサルトルの思想がそうだったように、しばしば、たんなる「暴力の肯定」「非暴力の否定」の思想として(暴力的に)単純化されてしまう。たとえば、上野千鶴子は、『インパクション』(〇二年九月)における、酒井隆史、太田昌国、冨山一郎の対談「暴力と非暴力の間」を受け、「『テロにも戦争にも反対』と言ってきた人間のひとり」として、「対抗暴力」の問題について考察している(『現代思想』〇四年六月「女性革命兵士という問題系」)。上野は、「彼ら(酒井ら対談者)のあいだでは、『非暴力』はそれ自体、支配権力への屈従であるとする合意が分け持たれているように思える。(……)このなかには、9・11のテロリストに対する口には出さない共感がみえかくれする」と言う。
しかし、酒井は、『暴力の哲学』において、まさにその「非暴力はそれ自体支配権力への屈従であるとする合意」そのものを批判している。酒井はこう言う。「たとえばキングに即するならば、あるいはガンディーに即するならば、非暴力直接行動がそれ自体『ピースフル』なものであるとするイメージはまったくの誤りです。日本でイラク反戦のデモの際にしばしば見受けられた、たとえば非暴力であれば、デモ中に嫌がらせをする警察とも仲良くしなければならないというような、緊張を忌避することがなにか運動の発展に意味があるというような発想はキングとも、ガンディーともまったく無縁です」。酒井は、こうした誤解の中には「平和そのものについての捉え方の根本的な違い」が潜んでいる、と言う。つまり、キングにとって、平和とはたんに「波風の立たない」状態なのではなく、「ダイナミックな抗争状態さえはらんだ、たえざる力の行使によって維持、拡大、深化されるべき力に充ちた状態」である。酒井は、キングのこのような言葉を引用する。「非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです」。
したがってまた、「暴力の哲学」は、「旧世紀」の「マルクス主義的運動」を、「暴力的・闘争的側面を持っていた」と切り捨て、「暗く闘争に彩られた『旧平和運動』から、明るく楽しい『新平和運動』への転換」を訴える(小林正弥『非戦の哲学』)ような、暴力的な単純化にも対立する。酒井は、ある時期まで世界中にその名を轟かせていた日本の社会運動、労働運動の特徴が「戦術の発明」にあったことを指摘している。「争議行為発明の天才」と呼ばれた日本の労働者たちは、たとえば「コーラスガールがピッチを半音あげたり、電話の交換手が電話の相手に『スト中』ですと朗らかに伝えながらも、いつもどおりの仕事をしたりするスト」など、多様で創造的な戦術を展開させたのである。それは、「みずからの力を最大限にまで発揮させて対抗する柔術のようなもの」としての「非暴力直接行動」の側面である。このように、「暴力の哲学」は、「非暴力」の支持者と批判者が共通して持っている、非暴力をたんなる無抵抗、たんなる無力と(暴力的に)単純化することに抗して、非暴力を腑分けし、非暴力そのものの中に線を引くのである。したがって、「暴力の哲学」とは、まさしく「非暴力の哲学」でもある。
●暴ニ非ザル力
その意味で、「暴力の哲学」は、向井孝の言う「非暴力直接行動」の思想と、根底的な部分で通じ合うものである。酒井が言うように「小さいけれどもまちがいなく名著」である『暴力論ノート』において、向井は、暴力と非暴力を、ともに、「個人の生命力、ちから」であると言う。しかし、向井が問題とするのは、生命力の現れとしての「個人的暴力」とはまったく質を異にした、権力の暴力装置としての「社会暴力」である。問題は、この社会暴力装置が、われわれの日常においては、暴力に対する制圧者、秩序の維持装置、というニセの非暴力的装いをとって現れていることである。向井はそれを「擬似非暴力体制」と呼ぶ。酒井が分析するように、現代の日本ではデモもストも姿を消し、「内的敵対性がますます否認されて」いるが、その一方で、オウム真理教や北朝鮮といった「敵」は交渉不可能な絶対的なものとされ、それに対する「不寛容」は増幅されている(敵対性の抹消と敵対性の絶対化)。これが、擬似非暴力体制のますますの洗練化であることは言うまでもない。『弁証法的理性批判』におけるサルトルの言葉を用いれば、「実践的-惰性態」ないし「集列性」としての、擬似非暴力体制における生命力の退化。その中で、われわれが、「ちから」を取り戻す試み、それこそが、向井の言う「非暴力直接行動」である。したがってそれは、「暴ニ非ザル力」の発現であり、たんなる「無力」とはまったく区別されるべきものである。
だがわれわれは、「システムからの脱出」そのものが、再びシステムに回収される陥穽をも見据えていかねばならない。『弁証法的理性批判』において、サルトルは、バスチーユ襲撃に見られたような、「集列性の分解そのもの」、自然発生的「実践」の取り戻しを、「溶融集団」と名づけた。だが、サルトルが分析したように、溶融集団は「組織」「制度」へと変質し、集列へと回収されていく。革命は、「恐怖のシステム、体制」としての「テロリスム」(ジャコバン体制)へと変質する。あるいは(酒井が示唆するように)映画『仁義なき戦い』に描かれる、若者たちの「生の表現」としての無目的な暴力は、結局は狡猾な組の親分たちに道具的に活用され、「再コード化」されてしまう。上野千鶴子は、先にあげた論考で、自爆テロにおいて「暴力を行使する者は、そのことによって暴力のシステムに組み込まれる」と言っているのだが、問題はむしろ、「暴力【が】システムに組み込まれる」ことである。つまり、「最後の生命力」(向井孝)としてあらわれ、それ自体としては肯定も否定もできない自爆テロが、組織の道具となってしまうことである。いかにして、暴力を構造化する制度そのものを解体する「反暴力」の線をひくのか……。それが、「暴力の哲学」において最後まで残る課題である。
以上、いささか評者の関心にひきつけすぎた形で『暴力の哲学』を紹介したが、いずれにせよ、さまざまな刺激に満ちた本書は、われわれが、われわれ自身の「暴力の哲学」、われわれ自身の「非暴力の哲学」をつくっていくための大きな手がかりとなることは間違いない。