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1999/02/23 師匠と会った話


 先日、地下鉄のホームでT川D志に超似て蝶な人に会いました。というか本人である可能性も非常に高いです。いっしょの電車に乗って、たまたま彼が座った座席のすぐ前に立つ、というポジションになったのでそれとなく観察したのですが、どうもそうらしいんだけど、確証が得られない。隔靴掻痒の気分がしました。私は談志についてはよく知らないので、以下とりあえず観察結果を報告します。
 「D志師匠」は、なぜか Nikon のマークのついたジャンパーを着ていらっしゃいました。しかし、あの人だったらなんかそういうの着そうです。また彼は二人連れで、もう一人は、非常に若い(20歳前後?)気の弱そうな男で、いかにも付き人という感じでした。で、「D志師匠」が電車の中で彼に話しかける内容は、断片的にしか聞こえなかったのですが、例のだみ声で「(メモを渡して)ここィ電話しといて……これ(とテレカを渡す)……(しばらくして急に心配になって)それ……まだ(度数)残ってンだろ?」と言う感じ。「付き人君」は、終始緊張した感じで、「はい……はい」と答えてました。今どき携帯ではなくテレカ、というのもD志師匠らしいような気もします。さらに、テレカを取り出すときに見えたカード入れが、なんというか、いかにものものだったんですよ。赤黒の縞に勘亭流の文字が入ったような。しかし、はっきりと「落語」を感じさせるのはそれだけでしたね。あとは、「付き人君」がもっていた(もたされていた?)荷物の中に、いかにも彼がもらったおみやげでありそうな和菓子っぽい包装の包みがありました。そして、「D志師匠」は、「付き人君」と上記のような会話を二三交わした後、何枚もの紙をとりだして、それを見たり、メモしたりしていました。チラシのようなものもあるので、証拠となりそうなものではないかとちらちら見ていたら、なんとそれは「特価大セール」とか書いた新聞折り込み広告を切ったものだったのです。つまり、彼はそうしたものをメモ用紙として使っていたのですね。これまた非常に「彼」らしいような気がします。メモの内容も見ようと思ったのですが(ここまでくるとちょっとやりすぎかな)きったない字で、とても読めるような代物ではありませんでした。そうこうしているうちに私が降りる駅になってしまい、降りずにこのままもうちょっと観察しようか、とも思ったのですが、さすがにやめました。
 あとで色々な人にこの話をしたところ、師匠が広告の裏をメモ用紙がわりに使っているのは有名な話だそうです。ということは、あれが「ほんものの」D志師匠であったことはほぼ間違いなさそうです。また、最近、居眠りをしている客に腹を立てて高座をおりてしまい、気をきかせたスタッフが居眠りしていた人に寄席から出ていってもらったということから、その客に訴えられてトラブルになっている、という話も聞きました。これまた、あの方のイメージ通りのエピソードだと思います。
 といいつつ私は実はあの方の落語をほとんど聞いたことがありません。私の友人は、D志は天才で、彼の落語を聞いて涙を流したことがある、と言っていたので、今度聞いてみようか、とも思います。
 というわけで、オチはないのですが、めずらしく有名人に遭遇したので、報告してみました。▲TOP

1999/02/28 返信メール

>ところで、ゴキブリは、人間の役にたっていることが、何か有りますか?
>例えば、ラットは人間の代わりに動物実験で人間にとっての有益な情報を
>あたえてくれる・・・などなど。
>
>またー

 どうも。こんな答えでどうでしょうか。


 その1 ゴキブリのおかげで、殺虫剤会社の研究員や販売員が、失業しなくてすむ。

 その2 ゴキブリのおかげで、殺虫剤会社の社員の家族が、路頭に迷わなくてすむ。


 これじゃあ面白くないので、こんなのはどうでしょうか。

(以下は,ゴキブリたちの会話)
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ゴキ1:
人間てやつらは、なんのために生きてるんだ? あいつら、俺たちをみつければおそってくるし、環境は破壊するし、あんな害獣いないね。地球のためにやつらを絶滅させるべきだ!
ゴキ2:
そうだよね。だいたい、人間がゴキブリの役にたってることって、何かあるのかな。
ゴキ3:
あんたたち、何いってんの? 人間は,あたし達のために暖かい家をつくってくれるし、あたし達のために食べ物を運んできてくれる。あんな便利で役に立つ生き物はないわよ。まあ、あいつらはとても臆病な動物だから、あたし達があいつらに姿をみせると、突然おそってくるから困るんだけど。でもあいつら基本的に昼行性の動物だから、あたし達は昼間は寝ていて、その間せいぜいあいつらにはあたし達のために働いてもらいましょうよ。
ゴキ1:
そんな考え方だから、地球がだめになって行くんだよ。われわれはやつらがこの地球に現れるずーっとずーっと前から、やつらの助けなんか借りずに生きてきたじゃないか。目先の豊かさに目がくらんで、地球が滅んでしまったら何にもならないよ。森の中で地球と共存していたあのころの暮らしを思い出そう!
ゴキ2:
そうそう、あんな危険な奴ら、いなくなればいいんだよ。


(以下「稲」の独白)
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 いやほんとに、人間ていうのは実に役に立つ動物です。あの動物がいなかったら、私たちの種族はこんなに発展することはなかったでしょうね。寒いところでやせ細った体で細々と暮らしていた私たちの一族が、いまや一大帝国を作って全世界に領土を広げることができたのも、あの動物たちの手助けのおかげです。彼らの献身的な奉仕のおかげで、私達の体もまるまると太った立派なものになったし、彼らは私たちの敵を退治までしてくれるのです。もちろん、私たちは、私たちに尽くしてくれる彼らに報いることを忘れてはいませんよ。彼らには、そのかわり、私たちのあまった実をやっているのです。しかし、そんなものは、私たちの子孫を残すためには必要のないあまりものですから、別にいらないんです(本当に必要な実は彼らが大事に保存してくれます)。だから、そんなあまりものをやるだけであそこまでつくしてくれる人間という動物は、ほんとにいいやつらです。▲TOP


1999/03/20 ピザ屋の彼女になってみたい

 いやあ、昨日は、哲学科の飲み会でショウコウ酒を飲み過ぎて、気持ち悪くなりました。ゲロ吐きそうでした。酒というものはもともと特に好きではなかったのですが、どうも、最近、どちらかというと嫌いになってきました。うちで一人で飲むということもまっったく無くなりました。じゃあまじめに勉強しているのか、というとまったくそうではなく、ますますパソコン中毒となりつつあります。ほっておくと明け方までパソコンをいじってしまいます。何をやることがあるのか、と言われると、困ります。ただたんに、意味無く環境を変えたり、インターネットにつないだりしているだけです。私には禁酒よりも禁パソコンが必要なようです。
 ところで、椎名林檎です。気にはなっていたのですが、『テレビブロス』の川勝正幸の評がきっかけでファーストアルバム『無罪モラトリアム』買ってしまいました。だいたい川勝の言うとおりです。「最初はキャラの立てすぎな感じに引いてたのだが、TVやFMで『ここキス』を聴き、ぐらっときて」というところも同じですね。とくに、「『無罪モラトリアム』は捨て曲なし」というのが、その通りだと思いました。歌詞がいいですね。そして、歌が非常にうまい、と思います。わざとらしさとの紙一重、ともいえますが。まあ、まだ今日買ったばかりなので、今後どの程度「もつ」か、というのが問題です。
 『噂の真相』に三田格の「今月聴かなかったCD」というコーナーがあって、毎回ぼろくそに言うのでこれはこれで面白いのですが、そこで椎名林檎が取り上げられていました。
パフィーより下品なボニー・ピンク。もしくはセンスのない戸川純。日本語で歌っている部分より英語で熱唱している箇所の方が素直に感情が伝わってくるのは歌舞伎町クイーンの面目躍如?
 これはこれで、その通りかも知れない。しかし、案外ほめているともとれます。しかし、川勝も「『アナーキー』や『思想』といったフレーズを支えきれる歌手は戸川純以来では」と言っています。ということは、ちゃんと聴いたことはないのですが、戸川純をこそ聴かねばならないのかもしれません。▲TOP

1999/04/08 後悔した話

 ふだん、私は、テレビを見るとき、とくに見るのを決めていないときは、だいたいチャンネルをかちゃかちゃやって一つのチャンネルにとどまることはめったにありません。コマーシャルになると必ずといっていいほど変えてしまいます。実家に帰るとそのことで妹に苦情をいわれるのですが、おかげで、テレビ欄を見ておかなくても面白い番組を発見することができたりします。ところが、先日、たまたま10チャンのニュースで野村阪神の特集があり、(ご存じのとおり阪神ファンなもので)めずらしく長時間一つのチャンネルにあわせていました。それほど面白かったわけでもなかったのですが、惰性で見続け、さらに惰性で西武松坂の特集まで見たりして、私としてはめずらしく30分ぐらい同じチャンネルをみたのでした。しかし松坂の方はさすがに途中でやめて、何気なくいつものかちゃかちゃを始めました。すると、突然画面一杯に、野太い声で力強く語るサルトルの顔が映ったのです。「教育テレビ?あ!」私は一瞬にして事態を理解しました。「前ラッセルをやっていたあのシリーズ、サルトルをやるんじゃないかと思って多けど、やっぱりやったんだ!」私はまずあわあわとあいてるビデオを探し(こう言うときに限ってない)あわただしくそれをつっこんで、つぎにまたあわあわとテレビ番組表が載っている雑誌(テレビブロス)を探しました。すると……「知への旅(終)『サルトル』」とあります。私の予想は当たっていたようです。しかし、45分もある番組は、すでに30分以上もすぎていたのでした!つまり、私は、おそらくめったにテレビに映ることはないと思われるサルトル(すくなくとも私は生まれてはじめて動く映像としてのサルトルを見ました)のかわりに、今後いくらでも見ることができる野村の顔を見続けてしまった、というわけです……まあ顔の作りとしては似てるといえば似てるかもしれないけれど、あまりといえばあまりです……(しかもビデオ録画も失敗してました)
 このエッセーしか読んでいない方に説明しておくと、サルトルというのはフランスの哲学者で、私は裏稼業(というか表稼業)であるところの哲学の方で、この人についての論文を書いているわけです。
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1999/05/22 歯医者!

 気がつくと、大変なことになってます……何って、阪神です。ま、でも、まだわかりませんね。私も、過去にこのコーナーでちょっと勝ちが続いただけで大騒ぎしてますが、今思えばぜーんぶ虚しいだけです。と、つとめて冷静をよそおったりして。
 ところで、先日、鹿砦社から出ている『野村は笑い、虎は泣く!−阪神タイガースの舞台裏』という本を見つけて、立ち読みしていたらけっこう面白いので買ってしまいました。鹿砦社というのは、数々のいわゆる暴露本を出して物議をかもしている出版社で、『噂の真相』の愛読者としては前から注目してはいたんですが、この出版社、甲子園にあるんですね。というわけで、内容は「村山は草葉の陰で泣いている!歓迎ムードに水を差すようですが……地元・甲子園の出版社が怒りを込めておくる野村阪神へのメッセージ」(表紙のコピーより)ということで、野村およびサッチーの告発本に、阪神ネタをからめたものでした。野村のID野球というのはスパイ野球だ、とか、野村沙知代というのはとんでもない人物だ、とか、戦力的には実は去年と変わっていないぞ、という、基本的になっとくできる内容で、なかなか面白かったです。
 しかし、何と言っても私が一番面白かったのは、阪神の外国人選手獲得についての話題でした。外国人選手といえば、今の阪神の好調を支えているのがジョンソンとブロワーズ(は調子悪いけど)である、というのは明らかですが、彼らを獲得したのは、かつてバース、フィルダー、キーオ、オマリーを獲得した辣腕スカウトなのだそうです。しかしそれにしても、去年までの阪神の外国人選手は、なぜああもダメだったのか(もう名前すらおぼえてないですよ)。それは、こういうことだったというのですね。
 それでは、ここ数年の阪神のポンコツ外国人選手たちは一体誰が獲得していたのか?というと……。実は「兵庫県西脇市の歯医者の I さん」だったのだ。「阪神の新外国人は歯医者が決める!!」ホンマかいな……?皆さん不思議に思うであろう。しかし、これホンマ、ホンマの話でっせ!!(さすが関西らしい漫才球団)ここでは詳細は省かせていただくが、チームの戦力構想の根幹を占める外国人選手の選定に、なんと球団の部外者がタッチしていたのだ(詳しく知りたい方は、少し古いが、小社発行の『なんとかせんかい タイガース!!』を読んでいただきたい)。(35ページ)
 あはははは……!「歯医者の I さん」!この人、トラ番記者の間では有名な存在だったそうです。いやあ、なんか、いかにもだなあ……それでこそ阪神……いやあ、いい話、きかせてもらいました、って感じです。▲TOP

1999/05/30 困惑についてその他

 まえ、別のコーナーで書いたのですが、私は矢野顕子がけっこう好きです。矢野顕子というと、あの歌い方とか、ラーメン食べたい、という歌詞とかから、一般受けするほのぼのした音楽と思われるところもあるかもしれませんが、それは表面的なイメージだと思います。とにかくあの人の音楽は、イメージがどうとかよりも、とにかく音楽としてとてもかっこいいですね。私はあの人の歌い方も嫌いではありませんが、そういう意味で、むしろピアノの演奏や曲のかっこよさが気になります。最近、ますます気になってきて、昔のCDなどを買ってきてきいているのですが、昔からかっこいいですね。でも、坂本龍一色が強い時期のはいただけません。さいきん坂本色が抜けてまたよくなってますね。昨日ニュース23に出てましたけど、やっぱりすごくかっこよかった!
 ところで、困惑というのは、どうも矢野さん、巨人ファンなんですね。そういえば糸井重里とも巨人ファンつながりですね。「行け柳田」(『いろはにこんぺいとう』)とか、「ジャイアンツを恋うる歌」(『長月神無月』)とか作ってます。また、「行け柳田」とか、曲としてはかっこいいんですよね。もちろん!洗脳されたりはしませんが、複雑な心境です。音楽的に尊敬している人が、宗教も含めて、音楽とは関係ない思想信条の部分で相容れない場合ちょっと困ってしまいます。「君が代」を「日本国国歌」とか言っちゃってるしなあ(『長月神無月』)……これまたアレンジはかっこいいんですが。まあ音楽は思想の解説じゃないわけで、むしろ表層に注目しなくてはいけないのかもしれません。が、そう単純に割り切れるわけでもないと思います。難しいところです。
 とここで全然違う話ですが、前から気になっていた『デビルマン』を読みました。といっても、子供の頃読んだことはあったのですが、ほとんど忘れていました。いやあ、やはり、傑作と言われているだけあって傑作でした、ってなんだそりゃ……しかし、これまたよく言われていることなのかもしれませんが、『寄生獣』や『ベルセルク』も、なかなか良いけど、結局これの二番煎じではないか、とすら思えてきますね。もちろん、絵柄は、古く感じたり雑にみえることもありますが。
 永井豪は、「ぼく自身はマンガ版の『デビルマン』を反戦をテーマにした作品と考えている」と言っていますが、しかし、単純なヒューマニズムに陥ることもなく、それこそ思想的に(^_^; なかなか深い作品だと思います。
 表層批評的には、ヒロインの美樹のキャラクターがいいですね。「オヌシもクラブ活動やればいいんだよ。スポーツはいいぜー。あははは」「ニヒヒヒきいたわよー、オヌシ小学校のころすごい泣き虫だったんだって……あははは」「だ、だれがそんなこと」「あははは、セッシャのオヤジよ」うーん、ま、多少時代は感じさせますが、逆にこんなしゃべりかたする女の子が今いたら、私は、惚れるかも……(いないって)……▲TOP

1999/06/07 野暮

 前回、矢野顕子が君が代を「日本国国歌」と言っていることについて書きましたが、それについて、さっそくこのような指摘を知人からいただきました。
あれはジミ・ヘンドリクスの『アメリカ合衆国国歌』の演奏と同じで、パロディ的意味において演奏されたものだと思われます。つまり、矢野さん自身には、君が代が国歌であることへの願望はなく、例の演奏は、君が代を国歌と考える感性への、或る種の皮肉であると思われます
 なるほど。だとすると私は、明らかなパロディーを解せず、かなり野暮なことを書いてしまったようです。ちょっと、というか相当恥ずかしいですね(^_^; いや、ま、そうかな、とはちょっと思ったのですが……もちろん、君が代をあんな演奏されて右翼の人が喜ぶわけはないんですが、歌った後わざわざ「日本国国歌でございます」と強調している、ということの意味を、私は文字通り受け取ってしまいました。
 ま、それはいいとして(^_^; しかし、彼女の巨人ファンらしさも、実はしゃれだったりして? こうなったら私の名誉のためにも、せめて彼女が巨人ファンであるということだけは、「本当」であって欲しいですね……いやー、たとえ君が代をパロったとしても、だからといって、巨人ファンであるという「罪」からは逃れられませんよ(^_^;
 しかし、往生際悪く君が代問題にこだわって、昨日書いた、音楽と思想との関係はどうなんだ、という話を続けてみたいと思います。私はまさに音楽と思想を単純に直結させて、「君が代を歌っているんだから彼女は右翼的な思想の持ち主である」と皮相なところで判断してしまった、ということになります。
 ところが、彼女はパロディーとして君が代を歌った……だとすると、それは、あからさまに君が代を否定するよりも、もっと深いところで、君が代に対するアンチになっていたんだ、ということでしょうか。しかし、パロディーがパロディーたりうるためには、やはりどこかで「ねたばらし」がないとだめなわけです。例えば、あからさまに過剰にほめすぎているので「ああ、これはほめ殺しなんだな」と解るようになっている、とか、普段の発言や行動などから、「ああ、この人は右翼的な思想の持ち主ではないんだな」と解るようになっている、とか(矢野顕子の場合どうなんでしょうか)。もし、どこまでも深い韜晦が可能である、ということになれば、極端な話、実はヒットラー自身はナチスではなく、壮大なナチズムのパロディーを演じていただけなのだ、ということだってあり得ることになります(チャップリンの『独裁者』という、こちらはかなり皮相な、わかりやすいパロディーもありましたが)。
 ようするに、ある芸術作品が「パロディーである」ということは、それが、どこかに「まじめな」「本気の」思想を隠している、ということになるのであって、パロディーとは、あからさまに思想的な芸術作品よりも、かえって深く思想的な作品である、ということになります。
 しかし、さらに、真に芸術と思想を切り離して、表層だけを問題にするのだとすると、そもそも、それがパロディーであるかどうかを問題にすらしない、ということになるはずです。だから、矢野顕子が君が代をパロっていようが右翼だろうがそんなことはどうだっていい、音楽がかっこよければそれでいい、ということになるのだろうし、チャップリンの『独裁者』がナチス批判の映画だろうがそんなことはどうだっていい、映画としてよくないからだめなんだ、と、そんな感じでしょうか。ものすごく単純化してますが。
 ところで、蓮實重彦の『表層批評宣言』文庫版あとがきに、こんなのがあります。
 たとえば前衛を自称するある政党の機関誌的な役割を演じている文化的な定期刊行物の一つで、さる大学の教官の一人は、蓮實重彦の方法は表層批評だと素直に宣言したうえで、その方法は天皇制の擁護につながる悪しき思惑を隠しているとこともなげに指摘し、その批判に思いもかけぬ娯楽性を導入した。正直に告白すれば、この種の趣味の悪い冗談も決して嫌いではない。(245ページ)
 いやあ、確かに、これはあまりに恥ずかしい……私の矢野顕子「批判」も、これと同レベルでしょうか。だったらアナがあれは入りたいですね。しかし……往生際が悪いことは承知しつつ、今ひとつ引っかかるところがあります。たしかに、『表層批評宣言』がひどくかっこいい本であることは認めますが、それにしてもあの方が東大総長になったというのは、あれはまじめなんでしょうか、パロディーなんでしょうか……どっちでもない、ってことなんでしょうかね……あ、これも趣味が悪い「皮肉」になってしまいました……もうやめます。▲TOP

1999/06/08 オーネットと私

 私は、かなり広い建物の中にいるらしい。どうやら、博物館か美術館のようなところらしく、照明は薄暗い。部屋の中心部に、大きな四角いスペースがあり、スチール製の柵というか手すりで仕切られている。ところが、その中には、別に展示品があるわけではなく、なぜか、芝生のような、牧草のようなものが一面に生えているだけである。ひょっとすると動物がいたのかもしれないが、よく覚えていない(だとすると屋内動物園のようなものだったのか?)私は、そこで、何かを待っているらしかった。すると、部屋に、ひょろっとした黒人の男が入ってくる。見ると、オーネット・コールマンである。どうやら私は、オーネット・コールマンのパフォーマンスを見るために、ここで待っていたらしい。しかし、彼はサックスを持っていないようだ。いったい彼は何をやってくれるのか?彼のことだから、きっととんでもないことをやってくれるのではないか、と私は期待しながら、少し離れたところで、彼の行動を見つめている。
 すると、彼はスチールの手すりの前まで悠然と歩いていき、立ち止まると、やはり悠然としたしぐさでベルトをはずし、ズボンを脱ぎはじめた。あ、と思う間もなく、彼はつづけてパンツも脱いでしまい、そのまま、手すりに腰掛けた。ちょっと嫌な予感がしながら見つづけていると、なんと彼は、そのままの姿勢で、柵の中の牧草地の一点をめがけて、尿を飛ばしはじめたのである。それだけでなく、彼は同じ一点をめがけて、器用に大便を飛ばしはじめた。私はしばらく呆然とそのパフォーマンス(?)を見つめていたのだが、待っていたときの期待が、しだいに困惑に変わっていくのを感じていた。たしかに、意表はついている。しかし……。そして私ははっと気づいた。くさい……私はあわてて、鼻で息をするのを止めた。博物館で大便、これ自体は、ひょっとするとぎりぎりの線で現代芸術のパフォーマンスの枠内におさまるかもしれない。確かにその取り合わせが意表をついていることは、手術台の上のミシンとこうもり傘や、美術館の中の男性用便器の比ではない。だが、この臭い……この臭いだけは、どうしても許容範囲を越えたもののように思える。この臭いは、私をいやがおうにも現実に引き戻し、博物館と大便という取り合わせ自体の意外性も、台無しにしてしまうような気がする。
 20世紀の数々の革新的な現代芸術も、実は無臭性の上に成り立っていたものでしかないのではないだろうか、そしてそれらは、匂いに関する常識的感性だけは、破壊できなかったのではないだろうか……そんなことを考えていると、とつぜん、部屋に髭面の白人の男が憤然とした面持ちで入ってきた。オーネットを一瞥したあと、彼は私に向かってこうたずねた。「どう思う?今の」どうやら彼は、このパフォーマンスのプロデューサーか何かで、夢の中の私自身も、このプロジェクトに関わっている人間であるらしかった。私は困惑してこう答えた。「うん……そうだね、ちょっと、はずしていたかも……」プロデューサーは、大げさな身ぶりで叫んだ。「はずしてるなんてもんじゃないよ!ひどいもんだ!」彼はオーネットの方に近づいていった。「おいオーネット!いったいどういうことなんだ!」だが、オーネットは、まったく平気な顔で、あいかわらず悠然と手すりの横に立っているのだった。下半身裸で。
 それを見た私は、やはりこの男はただものではない……そんな風に思ったのだった。▲TOP

1999/06/13 阪神首位

 前回のエッセーは、見た夢をほとんど脚色せずそのまま書いたものです。念のため。
 ところで、なんか、信じられない気分です。大阪は大騒ぎになっているようですが、私自身は、なんだか実感がわきません。阪神自体は今調子を落としているので、今回首位になったというのも中日がこけて棚ぼたでころがってきたという感じです。しかも、巨人が中日を下して、という展開はアンチ巨人としてはいただけません。ここは、甲子園での巨人3連戦で、巨人をたたきのめし、実力で首位固め(あーこんな言葉使ってみたかった)と行きたいところだったのですが……
 まず第1戦、おいおい、清原、3ホーマーはないだろう……キミはもう球団にもファンにも見捨てられてたんだから、おとなしくフェードアウトしなさいよ……もう、往生際の悪い……巨人という球団がいかに冷たいところかよくわかったはずじゃないの?
 と、思っていたら、第2戦は4番新庄大活躍! しかも、敬遠のボールを! すばらしい! 新庄! いやー、うれしいなあ。
 と、思っていたら、第3戦は上原の好投の前に新庄ノーヒット。くやしいですねえ。まあでも昨日の勝ちは大きい。まだ首位です。しかし、中日が負けて巨人が勝ったというのは、アンチ巨人としては非常によろしくない……ここで巨人を叩きつぶしておきたかったなあ。
 ところで、ご存じのように熱狂的な阪神ファンのたけし軍団のダンカンの『阪神馬鹿』という本を買ったのですが、これ、なかなかおもしろかったです。で、彼は息子に「甲子園」という名前を付けてしまったらしいのですが、笑えるのが、この甲子園君、結局横浜ファンになってしまったそうなのです。親は悩んでるみたいですが(^_^;)しかし、ダンカンはてっきり関西人だとおもっていたら、全然違うんですね。それから、川尻のお母さんが実は巨人ファンで、息子のノーヒットノーランの試合も見ていず、巨人戦を見ていた、というのがおかしかったです。▲TOP

1999/06/21 阪神と私

「すみません……ご期待にそえなくて……」
「いやいや、そんな、何をおっしゃるんですか。十分楽しませてもらいましたよ。ほんとに楽しかったです。いやあ、ここまでやってくれるとは全然思ってなかったですから。正直言って、どうせまた去年と同じじゃないの、と思ってたんですよ。」
「でも、四連敗……」
「いやいや、何いってんですか。そんなの気にするほどのことですか?去年何連敗したと思ってるんですか。」
「でも、ついに五割に……」
「は?何を贅沢なことを……いいですか、あなたには昨日まで『貯金』があったんですよ。それもずいぶん長い間。『貯金』ですよ、『貯金』。しかも、一瞬とはいえ、単独首位になったんですよ。『単独首位』ですよ! まあほんとに、神様に感謝しなくちゃ。そんな高望みをしたら罰があたりますよ。」
「でも巨人に連敗……」
「いやあ、まあ、ちょっとくやしいけど、しょうがないですよ。むしろ、苦しい戦力でよく頑張ったといえます。今日は、上原がよかったですからね。悔しいけど。しかも相手は金満ヤクザ暴力団打線ですから。」
「でも、また川尻で負けてしまって……」
「え?……ああ、まあ、そんな細かいこと、どうでもいいじゃないですか。それよりも、新庄のホームラン、遠山の好投、とか、いろいろと見所がありました。今年は、負けるにしても、負け方がいいですよ。それだけでもずいぶん進歩したということですよ。まあ、金に物を言わせて、アコギな勝ち方をして喜んでる人たちはほっておきましょう。そんなことより、とにかく、ほんとに、お疲れさまでした。いやあ、開幕から2ヶ月、さぞかしお疲れでしょう。まあ、あとはゆっくり休んで、来年のための体力を養ってください。夢をありがとう!」
「…………。」▲TOP

1999/07/12 有名人の日記について

 今、このコーナーに載せる予定の、「ホームページ上の日記」についての文章を書きかけているのですが、まとまるのに時間がかかっているので(といっても大したものではないのですが)、ある超有名人の「ホームページ上の日記」についてつなぎネタを載せます。
 で、その有名人とは、あの宇多田ヒカルさんです。すごく話題になっている人について書くのはなんか恥ずかしいのですが、どうせヒマ人の落書き帳なので許してください……
 先日、宇多田ヒカルがホームページで日記を書いていて、それがハッキング(クラッキングて言わなきゃいけないのかな)を受けた、というニュースがあり、おかげでそのようなページがあることを知りました。早速検索ページで調べて行ってみたところ、だいぶ前から、ほぼ毎日書いてるんですね。ちょっと世代の違いを感じる部分もありますが、それにしても、17歳にしては結構しっかりしたことを書いています。以来、今のところ毎日チェックしてしまってます。ミーハーだなあ、と言われそうですが、彼女の音楽については、実は言われているほどすごい、とも思わないです。いや、悪いというわけではなく、automatic は、こりゃあいい、と思って買ってしまったクチです(やっぱりミーハーか)。椎名林檎は、ちょっと誉めすぎたかな、と思っているのですが(^_^;)
 しかし、おそらく彼女のページへのアクセスはあの報道以来すごく増えているでしょうね……それにしても、あれだけの有名人の本人直筆の日記がほぼリアルタイムで読める、というのは、つまらない感想かもしれませんが、時代が変わったという感じです……ただ、おかげで、マスコミの報道がいかにいい加減か、ということが否応なくわかってしまいました(もちろん本人の言うことがすべて真実とは限りませんが)。クラッキングの話にしても、単なるサーバーの不調だったというのは、どう見ても明らかなのに……その程度のことも確かめずに報道しているのか、と思うと、やはりちょっとあきれてしまいます。しかし、あれだけ有名人となると、何万人もの娘が、彼女の何気ない一言に影響を受けてしまう、ってことになるのでしょうね……ちょっと怖い気もします。
 ところで、彼女が哲学を目指している、という噂もあったのですが、それもウソだ、ということがわかりました。▲TOP


1999/08/03 ビールと青汁

 ははは……そう、野球の話題はしないって、きめたんですけどね……ところで、去年、我が阪神タイガースは52勝83敗で、勝率は .385 でした。30試合近く負け越してるんですね。ちなみに、去年12球団中勝率4割に達しなかったのはタイガースだけです。イチローの打率より悪い、とか言われちゃったんですよね……60勝に達していないのも当然12球団でタイガースだけです。
 ところで、今年、現在、タイガースは、39勝52敗で、勝率は .429 。借金は13。まだまだ、去年に比べれば、ぜーんぜん、余裕です……う……。でも、おそらく、今後勝率はさらに減少し、最終的には去年と大差ないところに落ち着くものと思われます。(これは、阪神ファンの直感ですね)。
 ところで!うま〜い生ビール1リットルと、まず〜い青汁(って飲んだことないけど)1リットルを飲まなくちゃならないとして、(1)生ビールと青汁をまぜてから、少しずつ飲む(2)先に青汁1リットル飲んで、次にビール1リットル飲む(3)先にビール1リットル飲んで、次に青汁1リットル飲む、という3つの方法が選べるとしたら、明らかに(3)がいいのではないでしょうか。そして、去年のタイガースの戦い方は最悪といってもいい(1)だったと思うんですよね。しかし、今年は、一番ましな(3)ではないでしょうか。ちなみに、今年は6月15日の段階で30勝26敗の勝率 .535 で首位です。つまり、ここまでが生ビールだったんですよ。うまかった〜。あとは、ビール味のついてない純粋な青汁ですけど、あんなうまいビールが飲めたんだから、いいじゃないですか。いまさらちょっとビール味がついてたって、意味ないですよ。ここは潔く、残りの青汁を飲みましょう!ちなみに、現在91試合消化してあと残り試合44試合。最終的に去年と同じ勝率におちつくとすると、残りは13勝31敗で勝率 .295 という計算ですね。うわ、まずそ〜。いくらなんでも、と思うかも知れませんが、しかしですね、6月16日から今日8月3日までの勝率は、9勝26敗で .257 なんですよね……はあ(-_-;)
(といってるうちに、今日8月4日も負けてしまいました……)

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1999/08/04 マレーシア産ELIZA

 今日、テレビで、こんな話題がありました。インターネット上で恋愛相談に答えてくれる人気サイトがあって、それを運営しているのが高校生ということで、本人に会ってみよう、ということに。ところが、実際に会ってみると、実はそれは高校生でもなんでもなく、日本在住の3人のマレーシア人が、日本人の高校生になりすまして、相談に答えていたということが判明。しかも彼らは、様々な恋愛本(小柳ルミ子のも入ってた)をひっくり返して、ああでもないこうでもないと相談して、適当な答えをでっち上げていたのですね。ネット上で別人になりすます、というのは、ネットおかまというのが有名ですが、このケースはそれどころじゃないですね。国籍、年齢、人数、すべてウソだった訳です。
 AI(人工知能)に興味がある人は、テューリング・テストというのを聞いたことがあると思いますが、これは、イギリスの数学者アラン・テューリングが1950年に考えたテストで、このテストをクリアしたコンピュータは知能を持っていると考えてもいいのではないか、というやつです。それは、一種のゲームなんですが、相手が他人になりすましているかどうかを、質問を通じて見破るというものです。ゲーム参加者は、お互い姿が見えないように別の部屋に隔離され、質問者はテレタイプを通じて相手に質問をすることになっています。テューリングは、このゲームにおいて機械が人間のふりをしたとして、質問者である人間がもしそれを見抜けなかったならば、その機械は知性を持っていると考えてもいいのではないか、と言ったのです。
 実際にこのテストを完全にクリアするコンピュータというのは今のところないでしょうが、限定された場面でこれをクリアするプログラムというのはいくつか作られています。有名なのは、精神分析医のふりをする「ELIZA」というプログラムで、コンピュータのモニタを通じてこの(実際にはプログラムでしかない)分析医の診断を受けた患者には、実際に治療効果があったという話です。
 ところで、高校生になりすましていたマレーシア人たちに恋愛相談をした人たちも、それによって悩みが解消したりしていたのでしょうが、そのことを知ったらだまされたと思うでしょうか(^_^;)。なかなか興味深い番組でした。 ▲TOP