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 ESSAY
LAST UPDATE/ 2000/02/12

CHET BAKER


 みなさん、チェット・ベイカーという人をご存知でしょうか。チェット・ベイカーは1929年にオクラホマに生まれたジャズ・トランペッターで、十年ほど前にアムステルダムでホテルの窓から転落して謎の死をとげた人です。ジャズ・トランペッターというと、マイルス・デイヴィスとかヒノ・テルマサは有名ですが、チェット・ベイカーはそれほど知られてはいないでしょう。しかしこの人、1950年代のはじめ頃はマイルス・デイヴィスよりもずっと人気があったのです。
 ニューオリンズあたりで生まれたジャズは、1940年代にニューヨークでビ・バップ・ムーヴメントというものが起こって、いわゆるモダン・ジャズに発展するのですが、ニューヨークなどの東海岸で盛り上がっていたホットなビ・バップ・ジャズは、50年代のはじめには一時下火になってしまうのです。かわりに流行ってきたのがロサンジェルスやサンフランシスコなどの西海岸の主に白人ミュージシャンがやる、クールでオシャレなジャズでした。で、チェット・ベイカーはこのウエスト・コースト・ジャズのスターだったのです。ウエスト・コースト・ジャズが流行ったおかげで、マイルス・デイヴィスらのイースト・コーストのジャズマン達はすっかり仕事がなくなってしまい、タクシーの運転手に転業してしまった人もいるほどです。
 チェット・ベイカーが人気があったのは、彼が、ビ・バップ・ジャズの偉人チャーリー・パーカーから一目おかれるほどトランペットがうまかったからということもあったのですが、もう一つ、ジャズ界のジェームス・ディーンと呼ばれるほどハンサムだったから、ということもありました。実際、若いころの写真を見るとなかなかハンサムです。さらに彼は、トランペットだけではなく、歌までうたってしまうのです。彼はその甘いルックスと歌声で、当時のギャル達のハートをつかんでいたらしいです。
 しかし彼は、人間的には本当にムチャクチャな人だったらしいのです。まぁ、昔のジャズマンにはよくある話ですが、若いころからの麻薬常習者で、警察にも捕まり、体も壊し、おかげで引退同然だった時期もあったようです。晩年はまた活発に活動していたのですが、その時にはまだ50歳ぐらいだったのに80歳の老人のような顔になってしまっていて、それも麻薬のせいだという話もあります。さらに彼は金は借りて返さないわ、喧嘩してトランペッターにとって大事な前歯を折るわ、ほんとハチャメチャな人生を送った人なのです。そうそう、それから彼は大変なプレイボーイでした。彼がいかにとんでもない人生を送ったかは、彼の死の直前にブルース・ウェーバーという写真家が撮影したドキュメンタリー映画、「レッツ・ゲット・ロスト」を観るとわかります。この映画は白黒の美しい映像も含めて本当にすばらしいので、機会があればぜひ観てください。
 チェット・ベイカーを聴いてみようかな、という方には、まずやはり彼の歌を聴いてみることをお勧めします。彼の歌い方はボサノヴァにも影響を与えたといわれていますが、ささやくような、つぶやくような感じです。男性的な力強さといったものはまったくありませんが、レイジーな、不思議な魅力のある歌です。歌声だけ聴かせると、大抵の人は女性が歌っていると思うかもしれません。私も初めて聴いたときは男が歌っているとは思えませんでした。まあ人によっては、気持ち悪くて耐えられない、と感じるみたいですが。
 次にトランペットですが、これがまたいいんです。さっき彼のトランペットはうまかった、と書きましたが、しかし彼のトランペットは聴いていてテクニックを感じさせるようなものではありません。彼は速いフレーズを吹きまくるようなことはあまりしませんし、ハイ・ノートという、テクニックを誇示するためにトランペッターがよく出すかん高い音などはまったく出しません。彼は譜面が読めなかったそうなのですが、それなのに、というかだからこそかもしれませんが、彼はどんな難しい曲でも、コード進行にすーっとまとわりつくような感じで、実に素直なフレーズを淡々と繰り出していくのです。本当に天才的に耳がいい人だったのだと思います。
 彼のジャズの魅力を一言で言うと、「鼻歌感覚」だと思います。楽しいことがあったり、気持ちいい天気だったりすると人は鼻歌を歌ってしまいますが、チェット・ベイカーの歌もトランペットも、そういう鼻歌をそのままジャズにしたようなリラックスした雰囲気に溢れているのです。例えばジョン・コルトレーンのような、眉間に縦皺よせて聴くジャズもいいのですが、私はチェット・ベイカーのリラックスした「鼻歌感覚」こそがジャズの魅力だと思っています。ウエスト・コーストの白人ジャズは大衆に迎合したコマーシャル・ジャズだ、という声も一部にはありますが、私はそうは思いません。少なくともチェット・ベイカーは「自分の歌」を歌っていたのだと思います。自分の奥底から溢れ出る音楽が魂の「叫び」でなくてはならないと、誰が決めたのでしょうか。「魂の鼻歌」だってあるはずです。鼻歌音楽とは、別に手抜きの音楽ということではなくて、心を解放してくれるような音楽のことです。チェット・ベイカーの人生は結構悲惨なものですが、映画にでてくる彼の顔はそうした悲惨をまったく感じさせない、本当に「安らかな」顔でした。チェット・ベイカーの音楽を聴けば、どんなに嫌なことがあっても鼻歌で乗り越えられそうな勇気が湧いてこようかというものです。