最近買ったCD2004

 またもや、更新せずに放置していたこのコーナー、復活させてみます。

2004/03/30

●「CHOPIN FAVOURITE PIANO WORKS」(DECCA)「別れの曲/ショパン・ピアノ名曲集」(日本コロンビア)「THE BEST OF CLASSICS CHOPIN」(WARNER)
 ここで、クラシックの悪口を書きました。が、後から考えると、いや、考えなくても、私のクラシックへの反発というのは、抜きがたいクラシックコンプレックスの裏返しであることはあきらかです。私はピアノを弾くといっても、ほんとにジャズしか弾けません。まったくピアノを習ったことがなく、バイエルだって弾いたことのないので、とにかくクラシックはからきしだめです。しかし、ジャズピアニストでも、幼少のみぎりよりクラシックを習っていたという人はかなり多いです。で、「やっぱり小さいときからクラシックの練習をしている人は基礎が出来ている」みたいな意見を聞くと、「むきーっ」となります。「クラシックができるからって、いばるなよ」という、ほんとに子供みたいなやっかみを持っています。
 これはいかん、と思いました。よく知りもせず、外側からやっかみ半分の悪口を言っていてもしかたない。むしろ、嫌いだからこそ、クラシックというのがどういうものか知ってやろうではないか、どこがどう自分と合わないのか確かめてやろうではないか。というわけで、クラシックを弾いてみることにしました。いままでも、ラベルやドビュッシーをちょっとだけ弾いてみようとしたことはあるのですが、あれは、ほとんどジャズです。ここは、もろクラシックピアノ、しかも私の一番きらいなショパンというやつを、あえて弾いてやろうではないか。というわけで、ショパンの中でも一番ダサダサで、もう手垢にまみれた、昼ドラしか連想しない曲、そう、「革命」をちょっと練習しはじめました。あの、「ちゃーん!……ちゃららちゃららら……」てやつです。
 といっても、もちろん全然弾けないわけで、スローモーションぐらいのスピードで、今、つっかえつっかえ半分ぐらい弾けるようになったところです。ただ単に「弾く」というだけだったら小学生でも弾いちゃうんでしょうが、私は、通して弾くことさえままならないわけで……。
 で、「弾いて」みてどうだったかというと……面白いじゃん……。左手の練習になるし。曲も、弾いてみて初めて細かいところが分かって、なるほど、と思うところもしばしば。すいません、旋律流して聴いてたのは私でした。
 しかし、クラシックの曲を弾いてみるといつも思うのですが、私にとって(つっかえつっかえですが)「半分ぐらい弾けるようになった」というのは、すなわち、「半分ぐらい憶えた」という意味です。『ピアノの森』じゃないけど、音符が何個あるのか知りませんが、つまり半分までの音符は全部憶えた、ということです(といっても身体的な記憶という意味ですけど。譜面を再現しろ、て言われても全然できませんから)。が、私にとって、憶えることは全然どうってことないのです。ていうか、私に言わせれば「ていうか憶えなきゃ弾けないじゃん」なのです。一般的には、またクラシック的には、「譜面を見なければ弾けない」段階よりも、「譜面を見なくても(憶えて)弾ける」段階の方が上であるように思われているようですが、私にとってはまったく逆です。私にとっては「憶えなければ弾けない」今の段階よりも、「憶えていなくても(譜面を見てすぐ)弾ける」段階の方がはるか上であるように思えます。結局、私のクラシックコンプレックスというのは、いわゆる「初見で弾く」能力へのコンプレックスなんですよね(クラシックができる人は、「そんなのは慣れだ」てすぐいうんですがね)。
 で、前から思っているのですが、私にとって、クラシックの譜面を憶えるのって、曲のインストールなんですよね。私は、インストールしないと、弾けない。
 私はコンピュータプログラミングというものに関してはまったく素人なのですが、ここでちょっとプログラミング言語と楽譜を比較する素人談義をやってみようと思います。で、ほんとは「インストール」という言葉は不正確で、正確には「コンパイル」なんだと思います。


※プログラミング言語と楽譜
 「楽譜」というのは、プログラミング言語と同じ「人工言語」であるわけだが、BASICやCなどの言語(ソースプログラム)をコンピュータ(CPU)が直接読むことができないのと同じように、楽譜という言語は、身体(指)が直接読むことはできない。プログラミング言語を、コンピュータが直接読める機械語に翻訳(変換)してやらないと、コンピュータに命令を実行させることはできない。同じように、楽譜を、身体(指)が直接読める身体語に翻訳(変換)してやらないと、身体に曲を演奏させることはできない。  プログラミング言語を機械語に翻訳する仕方には、二種類の方式がある。

(1)インタプリタ方式
 実行時にソースプログラムをその都度読みとって機械語にその場で翻訳しながら実行する。>BASICやperlなど。
(2)コンパイラ方式
 ソースプログラムをあらかじめ機械語に一括して翻訳(コンパイル)しておく。実行時にはソースプログラムは用いない(コンパイルして出来た実行ファイルを用いる)。>CやFORTRANなど。

 と、いうわけで、これをピアノ演奏にも対応させると……

(1)インタプリタ方式
 演奏時に楽譜(ソースプログラム)をその都度読みとって身体語にその場で翻訳しながら演奏する。>初見バリバリの人。
(2)コンパイラ方式
 楽譜(ソースプログラム)をあらかじめ身体語に一括して翻訳(コンパイル)しておく。演奏時には楽譜(ソースプログラム)は見ない。>私。

 で、そうやって考えてみると、初見バリバリの人、というのは、要するにインタプリタ(とハード)の処理速度が速い、というだけの話であって、楽譜(プログラミング言語)の意味も分かってない、という人も多いわけですよね(つまり言ってみれば機械に近い)。とするとそういう人にコンプレックスを感じる必要は別にないわけだ。初見バリバリの人というのは、ものすごく速いマシンを持っているけど、プログラミングとかにはまったく興味のない人。私は、オンボロマシンしか持ってないけどプログラミングが趣味、みたいな人に近いのかも。
 結論はありきたりになってしまいました。こっから先話を発展させられるのかどうか、わからないのですが、今のところとりあえずここまでです。また考えたら書きます。
 あ、ちがった、このコーナーはCDのコーナーだった……。というわけで、タイトルにあげた3枚のCD(全部千円ぐらい)を中古などで集めて、三人の奏者による革命を聴き比べてみたのですが(順番に、V・アシュケナージ、アントゥール・モレイラ=リマ、ボリス・ベレゾフスキー)……すいません、違い、ほとんど分かりません。というか、微妙な違いはわかりますが、どれが良いも悪いもない、て感じです。もうちょっと聴き込んでみます。

2004/02/18

●ボニー・ピンク「PRIVATE LAUGHTER」
 ボニー・ピンクのCDを買ったのは2枚目で、初めて買ったのは「眠れない夜」というマキシシングル。それまでも名前ぐらいは知っていましたが。「眠れない夜」、は、当時深夜のファミレスで原稿執筆努力中、店内のBGMでよく流れていて、耳にとまったので買いました(うーん、今聴いたらあのころのつらい気持ちがよみがえります)。最初なにげなくきき流していたのですが、サビのメロディーの二回目、Cm/Dというコードが使われてて(てその場でわかったのではなく、今CD聴いてとったのですが)これが、ぐっとくるんですね。で、その時は誰のCDかもわからなかったので、歌詞の断片を憶えてネット検索し、めでたくCD購入となりました。と、これが、2001年の夏。なんと、もう2年半も前ですと?!
 その間、ボニピン氏はアルバム2枚、マキシ1枚、リミックス1枚と、出しているのに、彼女はすっかり私の視界(というか聴界?)の外でした。ではなぜ今回このCDを買ったかというと、最近、テレビを見なくなって以来、FMをよく聴くようになったのですが、FM(J−WAVE)でこの曲がよくかかるもんで、耳にとまった、というわけです。結局メディアに流されています。トーレ・ヨハンソンというスウェーデン・ポップスの重鎮とのコンビ復活、ということらしいです(復活する前のをそもそも聴いていない)。よいです。ただ、ラジオでかかっている表題曲はよいのですが、他の曲が……特に歌詞、はずかしいっつうか、どうにもいただけません、これは。でもおまけと思えば、買って損したというほどではない。

最近買ったCD1997
最近買ったCD2002