最近読んだマンガ

2004/02/21 一色まこと『ピアノの森』 美内すずえ『ガラスの仮面』

 『のだめカンタービレ』が面白いので、読み比べということもあり、マンガ喫茶で『ピアノの森』を1・2冊読んでみました。「家が貧乏」「金持ちのライバル」「実は天才」「訳アリ鬼コーチ」と、非常に典型的なストーリーだと思いました。で、ついでに、同じマンガ喫茶で、実はいままで読んだことのなかった『ガラスの仮面』も、これまた1・2冊読みかけたのですが、まったく設定が重なりますね……。ある意味で、スポ根ならぬ、芸根マンガ(芸術根性マンガ)の典型ということでしょうか(もちろんスポ根とも共通しているでしょう)。山岸凉子のバレ根もの、『アラベスク』や『テレプシコーラ』にもにた設定があります。『テレプシコーラ』の須藤美智子は、『ガラスの仮面』の月影先生に重なりますね。『テレプシ』は金持ち娘が主人公、てところがちょっと変わっているのかも。
 しかし、『ピアノの森』の話にもどると、全体的にはまあまあかな、て思いました(えらそうですが)。マンガとしてはそこそこ面白くできているのだと思うけど、たとえば、ピアノ演奏や演奏者の実態に関するリアリティが今ひとつ感じられませんでした。もちろんリアリティがあればいいってもんじゃないけど……すくなくともその点は『のだめ』の圧勝かな、と。もちろん私は、クラシックのピアノ習ったこともないので、なんとも言えませんが。
 たとえば、演奏シーンにしても、吹き出しに入った「ポン」という擬音が鍵盤からたくさん出ている、という具合で、「ピアノの音=ポン」という紋切り型的発想に基づいている感じ。絵からちっとも曲が聞こえてこない。それから、ネタバレですが、主人公だけが森の不思議なピアノを弾ける、という謎は、要するに彼がものすごいタッチが強いから、ていう種明かしになっていて、彼が普通のピアノを弾いたら、タッチが強すぎて町中に聞こえる爆音になってしまう、というシーンがある。しかしこれも、「力が強い=優れている」というありきたりなスポーツ的発想もさることながら、いくらマンガでも、ピアノという楽器の構造上、リアリティがなさすぎると思います。
 さらに、文句ばっかりになっちゃいますが、主人公が天才である、ということを示すエピソードとして、「一回聞いた曲を即座に憶えて弾ける」「調律師顔負けの微妙な音感がある」などのエピソードがあるのですが、どれもありきたりスポーツ的発想で、どうもいただけません。曲を憶えられる、と言うことに関しては、鬼コーチ(ケガをして引退したかつての天才ピアニスト)が、「あの曲の音符の数は一万個をくだらないはずなのに……恐るべし」みたいなことを言っているのですが……ていうか数えたのかよ!て感じ。普通、音楽をやるときに、音符(だいたい、お玉杓子、て意味なんだろうか?)の数なんて意識しないと思うし、また音符の数が多いからって憶えにくいとは限らないと思う。こんなことからも、作者はピアノを弾かない人なのかもしれない、と思ってしまいます。
 なーんて、いやあ、大リーグボールに難癖つけてもしかたないわけで、別にリアリティがあればいいってもんではないし、面白ければいいわけですが……また今度続きを読もう、と思うほどのインパクトが、なかったかなあ……えらそうですが。
 そういえば、この「天才=一回聞いた(見た)だけで憶える」という設定、『ガラスの仮面』でもまったく同じ、というところが面白い。北島マヤも、テレビを一回みただけで、役者のセリフや表情を憶えてしまう、という場面が出てきます。まあ、芸術の場合、「センスがすごい」というのは表現しにくいから、やっぱり万人にわかりやすく天才性を表現しようとしたら、「記憶力がすごい」となるんでしょうね。あ、そうだ、『テレプシコーラ』の六花も、『アラベスク』のヴェータも、一回見ただけで振り付けを憶える天才、という設定になってますね。ただ、ヴェータの場合は、それが逆に個性を出すことが出来ない限界でもある、という描かれ方をしてますが。
 というわけで、「もし哲根マンガがあったら?」というこんなバカなものを作ってしまいました……。