DIARY
LAST UPDATE/ 2001/02/27
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※記号のせつめい
○○(最高!)=勝って負け/ ○●(惜しい)=勝ったけども勝った/ ●○(まあいいか)=負けたけども負けた/ ●●(最悪!)=負けて勝ち/ ―=試合無し。

−−2001/02/27  下克上


 私の使用しているパソコンは、もう4年前に買ったゲイトウエイ2000(まだ「2000」がついていた)で、CPUは(ただの)ペンティアム120MHzという、今となってはもう年代物です。今からすると信じられませんが当時はモニター入れて30万ぐらいしました。(しかし当時は、さらに昔にパソコンを買った人に「ええ?30万?なんでそんなに安いの?」と言われた)。さて、非力ながら快調に使っているこのパソコンをのせている台があるのですが、これは半年前に4万円で買いました。なぜそんなに高いかというと、この、CPU(セレロン633MHz)やマザーボードを内蔵しているのです。しかし、あくまでですから、パソコンとしては使えません。ただ、モニターにつなぐと、OSが立ち上がって、5分ぐらいでフリーズする、という楽しい遊びができます。こういうすばらしい機能が付いているなのですが、このたびこの台をパソコンに改造しよう、という計画を、実行しました。
 えーとまどろっこしいので遠回しな言い方はもうやめますが、つまり、半年前に組み立てたものの動かなかった自作パソコンのどこに問題があるかを調査し、修理しよう、ということなわけです……。ずっと気にはなっていたのですが、自作師匠のきく氏の指導のもと、日曜日についに決行しました。さて、結果はどうだったかというと、なんと、記念すべき私の自作一号機(台なので「台介」と命名)は、みごとに不死鳥のように甦ったのでした。結論から言うと、ビデオカードが原因でした。マザーボードと相性が悪かったか、初期不良かどっちかだと思うんですが……。わかって見るとなあんだ、という感じですが、それがわかるまで半年もかかってしまったことになります。というわけで、今台介を使ってこれを書いています。そして、台介が乗っている台は、昨日までのメインマシン、ゲイトウエイ2000P5-120……お疲れさま。これからは台としてがんばってね(合掌)。それにしても、やっと21世紀です。台介の速さに感動してます(というか今までが遅すぎた)。

○○2001/02/26 

西武 5 - 7 阪神/ 巨人 6 - 7 広島

 昨日の似顔絵は後で見たらやっぱり全然似てないので削除します……。
 さて、気が付くともうオープン戦開幕です。というわけで、全国の大〜好き、大〜嫌い、という人のために、今後日記のタイトルにのその日の結果を書いてみることにします。

記号のせつめい
○○ 最高!    勝って負け
○● 惜しい。   勝ったけども勝った
●○ まあいいか。 負けたけども負けた
●● 最悪!    負けて勝ち

●2001/02/22

 昔々、「スペイン組」という、悪名を轟かせた広域暴力団があった、というのはご存じと思います。広域といっても半端ではなくて、世界規模ですが。このスペイン組、とにかくやることがあくどい。新大陸を「発見」したと称して乗り込み、勝手にそこを自分のシマにしました(文字通り)。逆らうやつらは皆殺しです。彼らはそうしたアコギなやり方で手に入れた自分たちのシマで、農園を経営し、そこからのアガリを収入源としていたわけです。彼らはまた、家出少女、じゃなくてアフリカから人々をさらって来て、奴隷として働かせていました。さて、時は16世紀、世はスペイン組の天下でして、泣く子も黙るスペイン組、てなもんでした。しかし、次第に新興の暴力団がのし上がって来ました。その一つに反スペイン系のイギリス組というのがありました。ここもたちの悪い暴力団で、これはずっと後の話ですが(1839年)、当時主な収入源の一つとしていた麻薬密売で、中国にヘロインを売りつけておいて、中国が抗議すると戦争をしかけ、逆に領土をぶんどる(香港)、というめちゃくちゃさです。16世紀当時はまだ新興でしたが、スペイン組は、だんだんのし上がって来たイギリス組が目障りになり、ここらで痛めつけて力の差を思い知らせておこうと思いました。お定まりの抗争事件というやつですね。というわけで、スペイン組のフェリペ親分は、無敵艦隊をイギリスに送ります。ところが、予想外にも、イギリス組はこの無敵艦隊を撃退してしまいます。その後もしばらくはスペイン組の天下は続きますが、この事件は、新旧広域暴力団の世代交代を予感させる象徴的な大抗争事件だったとのことです。
 さて、この無敵艦隊を破ったイギリスの艦隊を指揮していたのが、女組長エリザベスねえさんの舎弟、ドレイク(Francis Drake 1543?‐96)という男です。この人はもともと海賊だった人で、スペインに個人的恨みもあったので、スペインの商船を襲っては略奪を繰り返していました。もっとも、当時は海賊も提督もあんまり区別はなかったみたいですが。というか国全体が海賊みたいなもんでしたから。さらに、彼は流行のシノギである奴隷貿易にも従事していました(奴隷クだけに、なんちて)。1577‐80年にはイギリス人として初めて世界周航に成功し、ナイトの盃を受けます。そして、1588年、副提督としてスペイン無敵艦隊を迎えうちました。
 ところで、彼は無類のボールゲーム(ボーリングのようなものだそうですが)好きだったらしい。で、無敵艦隊撃退の時の逸話として、彼は、スペインの艦隊接近の知らせを受けているのに、やりかけのボールゲームを続けた、というのがあるらしいんですね。さて、めずらしく英語のページを見ていたら、えひめ丸の事故の知らせを受けながらゴルフを続けた森首相を、このドレイクになぞらえている記事を見つけました。いくらなんでも、歴史上の大人物と、あの森君とは、格が違うだろう、とお思いになるかもしれません。しかし、どうでしょうかね。森さんは無力ですがまあ無害といっていいんではないでしょうか。賭ゴルフなど、かわいいもんです。私には、ドレイクの方が、よほどたちの悪い人物だったように思えます。

●2001/02/20 結局洗い物はできないの法則

 私は、一人暮らしの食器洗いに関する重大な法則を発見しました。それは以下のようなものです。

1 洗い物が少ない→「まだこれだけか、もっとたまってから洗おう」→洗わない
2 洗い物がたまった→「うわ、こんなにたまってる、洗うの嫌だ」→洗わない


 というわけで、これでは永久に洗い物はできません。できればそうしたいのですが、そうも行かず、実状は下のような感じでしょうか。

1 洗い物が少ない→「まだこれだけか、もっとたまってから洗おう」→洗わない
2 洗い物がたまった→
  if 洗うの嫌だ度 ≧ 汚い流し見るの嫌だ度 then 洗わない
  else しかたなく洗う


 「食器がなくなったら洗うだろう」とお思いになるかもしれません。ちっちっち、甘いですね。そういうときは、使いたい食器だけ掘り出して洗うんですね〜(自慢すんな)。ところで、このループを抜け出す平均日数は……ご想像にお任せします。

* * *

 今日は豪華二本立て。CMの続きですが、「のんびり」とかいうお茶のCMかなんか(と思ったらJR東日本のCMでした。というわけで他地域では放送してないかな)の音楽、クラムボンですね。じょじょに、出世しつつあるように思います。
 それから、紳士服の青木(メンズプラザ・アオキ)のCMのニューバージョンは、今度はラヴェルの弦楽四重奏曲の第4楽章のパクリだ、と私は思います。「兵士の物語」もこの曲も、昔好きでよく聴いていたのでわかったのですが、それにしても意表をついた選択です。おぬしなかなかやるな、という感じでしょうか。というわけで例のごとくネット検索してみたところ、メンズプラザ・アオキのCMの作曲者は若草恵という人のようです。アニメ音楽などで活躍してるみたいですね。演奏はKOIKE STRINGSこのページによると、「ストラヴィンスキー風になりました」とか言ってますが、「風」ていうか、そのまんまやん……という気もします。でも、わりとセンスいいと思います(映像は印象に残ってませんが……)。

●2001/02/15

 シャンプーかなんかのCMで、明らかに「2001年宇宙の旅」(ディスカバリー号の内部)のパクリ、というのがありますね。それから、紳士服の青木のCM音楽は、明らかに、ストラビンスキーの「兵士の物語」のパクリですね。
 ストラビン試験、「春の採点」ていうの考えたんですが、つまんないですね。すいません。

●2001/02/10

 教育の荒廃について、こんなページを発見しました。家本芳郎氏「平和ボケ」はどっちという文章です。
 ところで!もうとっくにあきらめていた日記の一部消失事件ですが、何と、友人N氏が、たまたまダウンロードして下さっていた、という事で、消えた部分を送って下さいました。ありがとうございます!というわけでさっそく復活させたのですが(過去 7)、せっかく送ってきていただいたのにこんなことを言うのも何ですが、自分で読見直してみて、結構寒いかも……反省しました……今後はもうちょっとまじめになろうか、と思ってみたりもして。

●2001/2/5 教育の荒廃3

 いま行われようとしている教育改革の本質がどのようなものか、ということについては、斉藤貴男氏(ゴルゴの作者とは別人です)の『機会不平等』が鋭く描き出しています。ところで、その本の冒頭に、先日書いた文章でも取り上げた教育改革国民会議の議長、江崎玲於奈氏の発言が載っているので、引用しておきましょう。
「人間の遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。僕はアクセプト(許容)せざるを得ないと思う。自分でどうにもならないものは、そこに神の存在を考えるしかない。その上で、人間のできることをやっていく必要があるんです。
 ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ」
 江崎玲於奈・教育改革国民会議座長(七五歳)が力説している。二〇〇〇年六月下旬、彼の城である芝浦工業大学学長室。首相の私的諮問機関のリーダーとして戦後教育の抜本的改革を進めるノーベル物理学賞受賞者は、そして「優生学」を口にした。
「遺伝的な資質と、生まれた後の環境や教育とでは、人間にとってどちらが重要か。優生学者はネイチャー(天性)だと言い、社会学者はノーチャー(育成)を重視したがる。共産主義者も後者で、だから戦後の学校は平等というコンセプトを追い求めてきたわけだけれど、僕は遺伝だと思っています。
 これだけ科学技術にお金を投じてきたにもかかわらず、ノーベル賞を獲った日本人は私を含めてたった五人しかいない。過去のやり方がおかしかった証拠ですよ」
(斉藤貴男『機会不平等』文芸春秋社12ページ)
 さて、国民会議の委員の一人に、作家曾野綾子氏がいます。彼女は奉仕活動義務化にもっとも熱心な委員なのですが、彼女の夫である作家三浦朱門氏は、教育課程審議会の前会長であり、いわゆる「ゆとり教育」を進める立場に立つ人物でした。しかし、「ゆとり教育」という聞こえのいい言葉の裏には、戦後社会を清算して、日本を新たな形の階級社会に作り変えようとする思想が隠されている、と指摘する斉藤氏は、三浦氏のこのような言葉を取り上げています。
「いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。
〔…中略…〕平均学力が高いのは、遅れている国が近代国家に追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結果です。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが”ゆとり教育”の本来の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ。」
(前掲書41ページ)
 まあ、これは三浦氏の個人的な意見を述べたものにすぎません(というかそう思いたいですが)。しかし、出来ないものはできないままで結構、というこうした考え方は、教育を荒廃させる、というか、教育を否定する考え方、のように思えますけどねえ。先に引用した江崎氏の発言には、遺伝的に生まれつき優れた一部(自分もそうらしいけどね)の人間だけがエリートとして国を引っ張って行けばいい、という発想も見えます。で、生まれつき勉強したって無駄な人間は、せめて奉仕活動でもやって、お国のために働け、ということですか(^^;)
 さて、江崎氏と、現文部科学相の町村氏が仲良さそうに教育について対談しています。では、町村さんとはどのような人物かと言うと、昭和19年生まれで、父親は元北海道知事、元衆議院議員、元参議院議員会長です。都立日比谷高校を経て昭和38年東大経済学部に入学。大学3年の時にサンケイ新聞社奨学金を受けて米国コネティカット州ウェスリアン大学に留学、という経歴です。東大では、一般学生の代表として「大学紛争収拾」のために尽力なさった、とのことです。
 ※念のため書いときますが、前回の冒頭の文章は、「皮肉」ですよ。

●2001/2/3 教育の荒廃2

 「教育の荒廃」の歴史は長いです。私は、その証拠を、明治時代のさる大作家の作品の中に発見しました。これは、四国の中学校に赴任してきた新任教師が主人公の小説ですが、彼は生徒による壮絶な嫌がらせを授業中に受けるのです。もちろん、これはフィクションですが、実際に愛媛に教師として赴任したことがある作家の体験をもとにしていると思われ、当時の教育がいかに「荒廃」していたか、ということを証言する貴重な資料となっていると思われます。当時、地方の学校までもがここまで荒れていたとは……。この作品が発表されたのは1906年(明治39年)ですが、それから35年後の国民学校令実施の後には、このような教師に対する反抗はあり得なかったのではないでしょうか。ところが、戦後教育によって、今再び、このような学級崩壊が復活しつつあります。まことに嘆かわしいことであります。
〔……〕その晩は久し振に蕎麦を食ったので、旨かったから天麩羅を四杯平げた。
 翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可笑しいかと聞いた。すると生徒の一人が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。但し笑うべからず。と黒板にかいてある。さっきは別に腹も立たなかったが今度は癪に障った。冗談も度を過ごせばいたずらだ。焼餅の黒焦のようなもので誰も賞め手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押して行っても構わないと云う了見だろう。一時間あるくと見物する町もないような狭い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争のように触れちらかすんだろう。憐れな奴等だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢の楓みたような小人が出来るんだ。無邪気ならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ。小供の癖に乙に毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが面白いか、卑怯な冗談だ。君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑われて怒るのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始めてしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って来てやった。生徒は休みになって喜んだそうだ。〔……〕
夏目漱石『坊っちゃん』三章(インターネットの図書館、青空文庫でダウンロードしたファイルより引用)
 ところで、昨日の文章は期せずしてタイムリーなものとなりました。昨日(日付上はもう一昨日ですが)、2月1日、省庁再編に伴い新たに発足した文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」(中教審)の1回目の総会が開かれました。新中教審は、旧中教審から審議が継続している教養教育のあり方を検討するほか、教育基本法の改正問題や18歳後の奉仕活動のあり方についても議論する予定だそうです。そして今日、町村信孝文部科学相によるこのような発言がありました。(毎日新聞ニュースセレクションより。)
2001年2月2日
町村文科相:
大学を秋入学にし半年間を奉仕活動に、と発言

 町村信孝文部科学相は2日、記者団と懇談し、18歳後の奉仕活動について、大学入学の時期を秋に設定し、3月の高校卒業から半年間を奉仕活動に充てればいいという考えを示した。
 町村氏は「まだ詰めて考えたわけではない」とした上で「高校卒業は3月のままにして、大学を9月入学にすればいい。その半年間に奉仕活動ができないか。大学の部分だけ省令を書き直せばすむ。しっかり奉仕活動をした人には投票権を18歳まで引き下げることもいい」と述べた。「日本の大学の国際化を図るには9月入学しかない」と奉仕活動の実施と大学の国際化を絡めて強い意欲を示した。〔…中略…〕
 また、町村氏は今の若者について「昔は(若者を)鍛える儀式があった。滝つぼに飛び込むとか軍隊もあった。今はそういうわけにはいかないが、そのようなものがないまま大人になることの弊害がある」との見解を示した。増加する不登校の問題にも触れ、「(子供の)自己統制力をないがしろにして好き勝手にやらせてきた面がある。学校に行かなくていいと、はき違えた自由が不登校を増やしてきた側面もある」と持論を述べた。
 ……滝つぼかあ……ここは一つ大臣閣下にまず率先して飛び込んでいただいて、若者に範をたれてほしいものですね。ついでに軍隊も。

●2001/2/2 教育の荒廃

 なんか、長くなってしまったので、今回書いたものはエッセイに移しました。こちらです。

●2001/1/27 ベースの巨匠

 ここのところ調子にのって日記の更新を続けていたところ、文字コードの関係で試行錯誤していたら(ジオの都合により表紙をEUCにしなくてはならなかった)ファイルがおかしくなってしまいました。しかも、ハードディスクの方のファイルも壊れた……ということで、ここ半月ほどの日記はきれいに消えました……はは(^^;)まあ、大したことは書いてなかったですが、ちょっとがっくり……。
 しかし、なにをしてしまったのかはもう忘れましたが、たぶん、シフトJISからEUCへの変換作業を繰り返しているうちに、もとにもどらなくなった、という感じです。修復方法を知っている人がいたら後学のために教えて下さい……おかしくなったファイルは一応まだとってあります。
 一回書いたことをまた書くのって、むなしい……で、昨日書いたのは……

 昨日はじめて見たCMですが(地域によってはやっていない可能性もあります)あのいかりや長助が、部屋で、リラックスした感じでアップライトのサイレント・ベースを弾いているCM。か、かっこよすぎる!いかりや長助……白髪混じりの頬髭がワイルドな感じです。まるでデイブ・ホランドかロン・カーターか、ていう感じ。ところで何のCMだったんだろう。