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何もしないくせに休むのです。つまり、ひとはいつでも、ただ存在しているというだけで疲れているのですから。(マルセル・デュシャン)


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2002/06/29

 yahooのニュースで知ったのですが、「絶版や品切れになり、入手が困難になったマンガを販売するオンライン書店」 Comic Park が開設されました。講談社、小学館、青林堂、幻冬舎コミックスの本が対象ということです。販売は、注文に応じて一冊からでも製本する、といういわゆるオンデマンド出版のシステムを使って行われるそうです。開設直後はアクセスが集中したのか、見られませんでしたが、今日、はじめて行ってみました。今のところ買いたい作品はありませんでしたが、順次ラインナップが増えていくとのことで、期待できます。このサイトには、いしかわじゅんと夏目房之介(『BSマンガ夜話』のコンビですね)もあって、これもまあ面白そう。
***
 アメリカの大半の公立学校で毎朝生徒に神への忠誠の誓いをさせている(星条旗を前に起立し、右手を胸にあてて「私たちは神の下に一つになった自由と正義の国、合衆国に忠誠を誓います」という「忠誠の誓い」を暗唱する)ことに対して、26日、サンフランシスコの連邦高裁が、政教分離に反する、ということで違憲判決を出したそうです。28日昼のテレビニュースを見たところ、この判決をブッシュが強く批判しているとのこと。アメリカの伝統を踏み越えたけしからん判決だ、とかなんとか。「私自身の人生も神を信じることによって豊かになった」、というようなことも言っているそうです。関係ないやろが……んなこと。そういえば、サミットで、虚ろな目をしてイスをゆっさゆっささせているブッシュの姿が映ったけど、大丈夫でしょうか……あの人。しかし、靖国参拝の日本も日本だけど、アメリカはある意味でそれ以上ですね……。までも、逆に言うと、9.11以後愛国ムードが高まっている中こんな判決が出るというのもアメリカらしいんですかね。ありがちな感想だけど。
 原告は「小学生女児の父親で無信仰者」とのことです。
***
 ミスター虎、唐渡氏いわく、「人は時々、以前に住んでいた所が妙に懐かしくなり、ふと立ち寄ってみたくなることがあるじゃないですか。 現在のタイガースはちょうどそんな感じで、去年まで住んでいた家をちょっと覗きに行こうとしているのでは……」 とのこと。うまいね。HANSHINファンは文学者だね。

2002/06/27

 昔話をはじめたらおしまいだあ(何が?)、という気もしなくもないですが、すいません、単なるなんのひねりもない昔話です。しかもありがちなネタ。
 福岡在住のゆきさん(私と同年齢)の掲示板およびメールのやりとりでわかったのですが、給食って、場所によってずいぶん違ったんですね。私が小学校で給食を食べていたのって、なんともう四半世紀ほど前なのですが(わー考えたくない)時代が同じでも場所によってぜんぜん違ったらしい。たとえば、給食の思い出といえば、揚げパンというのがあるのですが、福岡では揚げパンが出なかったらしい。揚げパンとは文字どおり揚げたパンなのですが、知らない人に説明するとなると、私のイメージではカレーパンの外側、みたいな感じだったような気がします。たしか砂糖がまぶしてあった。当時はわりと好きだった記憶があるのですが、今食べてみるとどうなんだろう。しかし、揚げパンそのものの味はともかく、閉口したのが、揚げパンの時は必ずみそ汁がついたということです。おそらく栄養バランスとかで機械的に決まってたんだろうけど、今思えば(って当時も思ってたけど)パンと味噌汁はないだろう、という感じです。私はたまに出る揚げパンは嫌いではなかったように思いますが、私が嫌いだったのは、むしろ、レギュラーのパンである固くて味気ないコッペパン(と呼ばれていた)です。よく残してこっそり机の中に入れて、石のようになっていた気がする。小分けしてパックされたバター、ピーナツバター、イチゴジャム、なども配られていたように思いますが、これもまずかったなあ。ところが福岡では(福岡ならどこも同じということもなかったかもしれませんが)なんと、ブドウパンとかパインパン(パインのかけらが入っている)などがあったとか。いいなあ、ていまさら言っても意味ないんだけど。
 あと、給食の思い出といえば鯨の竜田揚げ。これは福岡でもあったそうです。固くてねえ、全然かみ切れない。こっそり捨てた憶えがあります。今じゃ考えられませんね。
 ひどいなあ、と思っていたのが「ミートソース」です。ミートソースといえば「ミートソーススパゲッティ」のことですが(ちなみに、昔はスパゲッティと言えばミートソースとナポリタンの二つしかなかった)給食の「ミートソース」は、名前だけなんですよ。だってうどんなんだもん。しかも自分でつくるのです。まず、アルマイトのボールに入った、煮えてないたまねぎとグリーンピースがふんだんにはいった昔のハヤシライスの具みたいなのが配られます。そして、ビニールのパックにはいった、いわゆるゆでうどんがくばられるわけです。子供たちは、そのパックをひんむいて、うどんをボールにつっこみ、ぐっちゃぐっちゃと先割れスプーン(てあったなあ)でまぜまぜします。もちろんちべたいのですよ。私は嫌いでしたが、みんなけっこう好きだと言ってたなあ……。
 ところが、福岡のゆきさんの話の中で、同じく名前倒し(名前負けとみかけ倒しをくっつけて今作った言葉)のメニューでまずかったものとして揚げられているのは、なんと「コールスロー」「ザワークラウト」「ボルシチ」なんですよ! ううむ、同じ名前倒しでまずいにしても、このラインナップ、名前だけみたら、「ミートソース」完全に負けている……くやしい。
 あとは、福岡では「ミルメーク」というものがあったそうです。ところが、山梨育ちの私、ミルメーク、何ですか?それ……です。googleで調べたところ、小学校の先生が作っている、ミルメークへの愛に満ちたページを発見しました。ミルメークって、牛乳に混ぜる粉、なんですってね。「ええ?知らないの?」という声も聞こえそうですが、山梨県甲府市立SK屋小学校にはありませんでした。ミルメーク売り上げの第一位がおとなりの長野県らしいんですけど、不思議ですね。

2002/06/22

 ほんというと、ちょっと気が重いんですが、たまにまじめなことも書いてみよう。ここのところ、ワールドカップ共催国である韓国に対するバッシングが、一部で起こっているようです。あまりに自国びいきすぎるとか、応援の仕方が汚いとか、そういうことらしいです。「ドイツvsパラグアイ戦がガラガラだった」とか「相手チームが得点するとブーイングが起こった」とからしいですが、きわめつけは、日本の敗戦を聞いて大喝采が起こったらしい、という話でしょう。たぶん、これがいたく一部の日本人たち※に不快感を与えた、ということだと思います。まあ、韓国のような激しいナショナリズムの盛り上がり方(韓国だけじゃないと思うけど)は、私も好きではありませんが、ここへ来ての韓国バッシングの方も、気になります。
 たとえば、「オレは差別主義者さ!差別大好き、差別最高!イエ〜イ!」なんていって差別する人はいないわけですよね。サルトルの『ユダヤ人』(岩波新書)に、こんなところがあります。

 「穏健」な反ユダヤ主義者とは、落ち着き払った調子で、こんなことを言える物腰の柔らかい男でもあろう。
 「わたしは、なにも、ユダヤ人を毛嫌いしているわけではありません。ただ、かくかくの理由により、国家活動における彼等の領域が、制限されていた方がいいと思うだけなのです。」しかし、彼はそのすぐあとで、こちらが信用出来そうだと思えば、更に打ちとけた調子でつけ加えるだろう。
 「おわかりでしょう、ユダヤ人には、『何かが』ありますよ。だから、わたしには生理的に堪えられないのです。」
(J.-P.サルトル、安堂信也訳『ユダヤ人』、岩波新書、5ページ)


「いやわたしは、なにも、黒人を毛嫌いしているわけではありません。でも、事実あの人たちはずるがしこくてなまけもので……。この間もね……」
「いや、わたしは別に関西人に対してふくむところはないですよ。でも、事実あいつらはガサツで無神経で……。この間もね……」
 まあ、だいたいこういうパターンなわけです。そして、そんなふうに言う人は、本気で「自分は差別していない」と思っているわけです。そして、事実「ああいうことやああいうこと」があったりするわけで、そこがまたやっかいといえばやっかいです。「あなたは差別意識を問題にするけど、私は事実を問題にしてるんです。事実、こういうことがあったんですよ。ね?反論できないでしょ?」と言われちゃう。でもたいてい、ことさら「気に食わない」事実を探し出して騒いでいる、ということも多いと思うのです。

 ある若い女は、わたしに言った。
 「わたくし、ある毛皮屋にひどい目にあわされましたのよ、預けておいた毛皮に焼きこがしを拵えられて。ところがどう、その店の人はみんなユダヤ人だったんですの。」
 しかし、なぜこの女は、毛皮屋を憎まないで、ユダヤ人を憎みたがるのだろう。なぜ、そのユダヤ人、その毛皮屋を憎まないで、ユダヤ人全体、毛皮屋全体を憎みたがるのだろう。それは、彼女が、自分のうちに、反ユダヤ主義の傾向を、それ以前から具えていたからである。
(同書、7ページ)


 サルトルは、反ユダヤ主義は「情熱 passion」だと言っています。しかも、その情熱は、侮辱されたという事実から怒りが生まれる、という普通の場合と反対だというのです。逆に、もともと「気にくわない」という感情があって、それにあてはまる事実を探し出すのです。

 それは、その情熱を生むべき事実に先行し、逆に事実を探し求めて、それによって自らを養う。そればかりか、事実を自分流に解釈して、それが全く侮辱的であることにしてしまわねばやまない。
(同書、15ページ)


 ま、とにかく、冷静になりましょうよ。……ね? 身近にいる阪神ファンの姿でも見て、ちょっと我が身をふりかえってください。ほら、みんな、まるで阪神ファンとか、アンチ○○みたいになっちゃってますよ。
「私は一野球ファンでね、特定の球団に対するウラミがあるわけではないんですよ。でも、事実あの球団はひどいじゃないですか。ほら、ああいうことも、ああいうことも……」いやもう、たとえばエガワ事件、厳然たる事実です。ゆるすまじ、○○……なんちゃって。えっへへ。

※私のまわり(若い人ですが)でけっこうそういう声があったのと、2ちゃんねるをはじめとしたネット方面で例のごとくそういうのが広まっているらしいということでこの話を書きましたが、「そんな話は聞いたこともない、私のまわりではみんな韓国を応援している」という意見もいただきました。あと、ちょっと後から訂正しました。

2002/06/19

 我が家にADSLが来て、あこがれの常時接続が実現してから、はや一年が経とうとしています。もはやあのころ、つまり、非・常時接続(随時接続?)だったころのことなど忘れつつあります。ところで、私は、ネットをはじめたときからネット中毒の症状を示していまして、ADSL導入直前のころなど、それが悪化してひどい状況になっていました。当時、ネット中毒からの脱却は危急の課題であったはずです。しかし、だとするとなぜそんなときADSLを導入したのか、と思われるかもしれません。ただでさえテレホで寝不足、という感じなのに、この上常時接続にするなどしたら、大変なことになるのではないか。……と、当時の私も思っていました。ところが、当時の私はこんなとんでもない詭弁をひねりだしたのです。すなわち、「私はますますネット中毒になるためにADSLにするのではない!ネット中毒から脱却するためにADSLにするのだ!」と。当時の私の理屈はこうです。

****
 今の私の状況を考えて見よ。何かというと「メールが来ているのではないか」とダイアルアップする。「ああ、やっぱり来ていなかった」と落胆して切断……。その繰り返しである。つまり、常時接続ではない私は、常時接続でないがゆえに、かえって、常時ネットが気になっている状態なのである。これこそがネット中毒である。つまり、「常時・接続」ならぬ「常時・接続したい」である。そこで!この状態から脱するために、あえて、常時接続にするのである。常時接続にすることによって、「常時接続したい」という欲望から解放されるのである。なにしろ、すでにつながっているのだから、「つなぎたい」という欲望が起こるはずがない。イライラしたり、ダイアルアップのために作業が中断されたり、期待と落胆を繰り返したり、ということがなくなるのである。精神衛生的に非常によい状態となるに違いない!
****

 ……これが、あまりに馬鹿馬鹿しい詭弁だというのは、すぐわかると思います。ようするに、アル中の禁断症状から逃れるために常にアルコールを摂取していればいい、てのと同じですから。で、実際ADSLにしてどうだったか……。まあ、言うまでもないですね。サルのようにネットにおぼれるという……。というわけで、「これはいかん!」と気づいた私は(おせーよ)、なるべく家にいないようにして、仕事をするときは喫茶店などに行く、という生活になったわけです(ま、もともとそうでしたが)。これではなんのために常時接続にしたのかわかりません。いうなれば今の私は、「常時、常時接続から逃れることを考えている」わけです。以前が「常時、常時接続にすることを考えていた」ことを思えば、まったく正反対ですね。結局、どっちみち常時ネットにとらわれていることには変わりがないわけで、てことは中毒はよくも悪くもなってないとも言えます。ただ一つ言えることがあります。常時接続にしてよかったこと、それは「常時接続がそんなにいいものでもないということがわかった」ということでしょうか。

2002/06/15

 前回のやつ、socks の k があちこちで抜けていました。酔っぱらっていたので、といいわけしておこう。そういえば、一足のソックスて……一ソックの足ス? 清水義範の「英語日本語語源説」を思い出します。
 ちなみに、「pair」 も 「足(ソク)」も、辞書を引くと「二つ」一組を意味するとなってます。だから辞書的には、「一足の20の靴下」とか「one pair of 20 socks」は間違いということになります。でもそれではつまらん。
 ところでもう一つの利点を思いつきました。たとえば一つのソックに穴があいてしまったとき、2つのソックで一足の場合、ペアーごと、つまり二つのソックを捨てなくてはならない。無駄です。しかし、全部黒靴下の場合、穴があいたソックを捨てるだけでいい。環境にもやさしい。
 しかし、まだ解決していない問題があります。たしかに、左と右の違いはなくなった。そして、今日の靴下と明日の靴下の違いもなくなった。が、まだのこっている違いがあります。それは、「表と裏」の違いです。ほとんど何も考えなくていい我々の方式でも、現状では、表と裏の違いだけは考えなくてはいけない(間違えてはくことも実はたまにありますが)。表と裏の違いがない、いわばリバーシブルな靴下の縫製方法が開発されれば、カンペキになるんですがねえ。われわれとしては、それを待つことにしましょう。
 そういえば、ずーーっと昔、中島みゆきのオールナイトニッポンで、「一枚のパンツを洗わずに何回はけるか」という、トポロジー的な話題があったなあ。つまり、パンツを、「3つ(男の場合4つ)の穴があいた袋状の布」と考えると、「どの穴に足を通すか」「表か裏か」ということで、何通りもの「はき方」が考えられる、という話でした。
――――
 いやいや、こんな私でも、さすがに、日本戦やってる昨日の夕方はテレビを見ましたよ。たまに見るといいもんですね。躍動する若い肉体。走る、飛ぶ、ぶつかり合う……。すばらしい。そして、なんといっても……つのだりょうこおねいさん、かわいい……。たまに見るのもいいもんです。「おかあさんといっしょ」。スタジオせましと駆け回る子供達、元気があってよろしい。
 前半の時間はテレビを見てすらいなくて、喫茶店で仕事してたんですが、けっこう人いましたよ。で、後半のころに帰ってきてテレビつけたのですが、なんか見てたら退屈しちゃって、つい別のチャンネルに。
 しかし、歌のおにいさん、こういっては何ですが、「おにいさん」と呼ぶにはかなりキツい状態になっていますね(そういえばこの人覚醒剤疑惑が起こったりもしたんですよね)。「おにいさん」らしい髪型、格好が、かえって痛々しい気がする。もう、「歌のおじさん」にして、楽になった方がいいんじゃないか、と思いました。

2002/06/14

 みなしゃん、靴下は、一体何足もってらっしゃりますか? 私ですか?……わたしゃ、一足です。え?たった一足?ふっふっふ。
 さて、靴下。たとえば、くるぶしんとこにマークがついていたりするばあい、左右を間違えると、マークが内側になっちゃったりして、ちょと恥ずかしいですね。また、足袋靴下の場合、左右を間違えると、そもそもはけません。つまり、そおいう靴下には、右足用と左足用があるっつうことです。が、そんなマークがついていない(そして足袋靴下でもない)靴下の場合、そういう心配はありません。左右間違えたって誰にもわからない、というかそもそも間違いが存在しない。別に右足用も左足用もないわけです。しかし、そういう靴下でも、たとえば黒い靴下と白い靴下を間違えたら、ちょっと大変なことになります。つまり、右足だけ黒靴下で、左足だけ白靴下、てのはけっこうかっこわるい。
 一足の黒靴下(one pair of black socks)があるとしましょう。この黒靴下は、ふつう、二つの靴下(sock)によって成っています。で、それらの各靴下(each sock)は「同じ」黒靴下なので、どちらがどうということもない。右だろうが左だろうが、何も考えずにはくことができる(便利!)。ところが、黒靴下と白靴下、これは、二足の「違う」靴下(two pairs of socks)です。これを混同してしまうと恥ずかしい(不便!)。だから、「今日は黒靴下、明日は白靴下」てな感じになるのです。しかしですね、右靴下と左靴下を「同じ」にしたことによって大変な便利さが生まれたということを知っているわれわれがですね、なぜ、今日の靴下と明日の靴下を「違う」ものにする必要があるのでしょうか?今こそ発想の転換が必要です。そう、今日の靴下と、明日の靴下も、「同じ」にしてしまえばいいではあーりませんか!つまり、全部黒靴下にしてしまえばよいのです。というわけで、私は、黒靴下しか持っていません(これ実話)。こうすれば、もう、右が黒くて左が白い、なんていう恥ずかしいことをしてしまうおそれもなくなります。右と左を考えなくていいだけでなく、靴下をはくときはまったく何も考えずにすみます。洗濯の後にいちいちペアーにする、なんていう手間もいらない。靴下をはくときは、とにかくどれでもいいから二つとって、はきゃあいいのです。これで、大幅に手間がはぶけることになるのです。私が黒いソックスしか買わなくなってもうずいぶんになります。最初は、「黒いソックス」を買う、と決めていただけなので、実はメーカーによって微妙に違っていて、よーく見ると左右で微妙に違う靴下をはいている、ということもしょっちゅうでした。それでも、近くから観察されることもないし、別にいいや、と思っていたのですが、最近、ついにメーカーも統一することにしたので、私は文字通り全く同じ黒い(厳密に言うとチャコールグレー)ソックしかもっていない、ということになってます。カンペキです。というか、私にとって、「その」「黒い」靴下、というような言葉はもはや余計であり、不要であります。私にとって、靴下は靴下、です。「同じ」二つのソックから成るペアー(one pair of 2 socks)を、「一足」の靴下と言うのであれば、私がもっているのは、「同じ」20のソックから成るペアー(one pair of 20 socks)であり、これまた、「一足」といってよいのではあるまいか?(ただし20個ぐらいありますが) まさにこれは、ボードリアール言うところの「n個の同じもの」ってやつです。というわけで、たとえば、私の足がいま突然3本になったとしましょう(やらしい意味ではありませんよ)。この場合、「異なった」多くのソックスをもっている人だったら大変です。新たに、3個組のソックスを買い直さなくてはなりません。具体的には、同じソックスを3足ずつ(つまり6個のソックからなる)買ってきて、二つに分けることになりましょうが、めんどくせえ! ところが!私の場合、そんなめんどくさいことをする必要はまったくない。現状のままでただちに3本足化という状況に対応できます。5本足になろうが7本足になろうが関係ありません(現状では3と7では数的には「余り」が出ますが、公倍数になるように買い足せばいいのれす)。すばらしい柔軟性です。どうです?うらやましいでしょ?

2002/06/10

その1
 ひいい!またやってもうた! ビデオ2本、3日延滞で追加料金1800円……。なんで3日も延滞したかというとですね、今回、レンタル料金を安くしようと、一泊料金で借りたのですが、そのことをすっかり忘れていて、いつものように一週間レンタルだとばかり思っていたのです。というわけで、わずかなお金をけちったばっかりに、さらに高いお金を損するという、よくある話なんですが。で、何を借りたかというと、アニメの「デビルマン」っす。実は今倫理学の授業で、マンガ版のデビルマンの話をしていて、一応アニメ版も見てみようかと思って借りたのです(もちろん、この年なので、昔テレビで見たはずなんですが、あんまり覚えてないんですよね)。そしたら、予想以上にくだらなくてビックリしました(もちろん今回全部見たわけではなく最初の方だけ見たのですが)。永井豪のマンガ版デビルマンが、マンガ史上に残る大傑作であることはまぎれもない事実なのですが(いや、そうですよ!)それに比べて、アニメ版のくだらなさはまた脱力してしまいます。ストーリーが原作マンガと全然違う、というのは、昔のアニメでよくあることですが、それにしても深みが全然ない。第一、デビルマンが戦う動機が全然違います。マンガ版では、デーモンと戦うためにデーモンの勇者アモンと合体した不動明が、心は人間、体は悪魔、という両義的存在(だから「デビル・マン」なのです)として悩みながら戦っていく、というストーリーです。しかも、最後の方はものすごい話になっていきます。まさに倫理学にうってつけの素材だ、と私は思うんですがねえ(少なくとも永井均氏は賛同してくれるはず)。しかし、アニメ版ときたら、不動明を殺してその体に乗り移ったアモンが明の恋人美樹に一目惚れしてしまい、デーモンを裏切ることになる、という話です。これでは単なる色ボケ悪魔です。第一、主題歌の歌詞がすごい。「デビル・イヤーは地獄耳」ですからねえ……あんまりです、阿久悠さんよ……。しかし、このデビルマンのビデオは、授業のために借りたんだから、必要経費だよな……。理解されないだろうけど。

その2
 うおい!松○修三!全仏オープンの男子決勝をちらっと深夜見たのですが、解説していた松○、試合後に、こうぬかしやがりました。「いやー、良い試合でした!いやー、今回ね、正直言って、悩んだんですよ。ワールドカップがあったじゃないですか。一生に一度のことですし、このフランスに来るかどうか、正直悩んだんですよ……しかし、良い試合でした。来て良かった!」てうおい!……なんつうか……さすが松○というか……。「一生に一度」て、何だよそれ!あんたテニスとサカーのどっちが大事なんだ……。

2002/06/08

 世の中サッカーの話題ばかりでうんざりです。といいながら「世の中サッカーの話題ばかりでうんざりです」という話題もけっこう氾濫していてうんざりです。というわけでサッカーの話題にはふれないようにしたいものです。といいながらもうふれてしまいました……。
 F- red bill さんはサッカーと野球についてこのようにおっしゃっていますが、私は非常に共感をおぼえました。

サッカーは、プレイヤの動きが目まぐるしくて、見ていて疲れる。これに較べて、野球には独得の "間" があり、二つは全く違ったスポーツである。また、これは私の個人的な受けとめ方だけれども、野球は、自分でもやってみたい、という積もりで観戦しているのではないのだが、サッカーの方は、プレイヤの運動に引き込まれるようにして、つまり、自分が選手と同じようにプレイしているような感覚を持ちながら、観るスポーツである。その意味でも、サッカーは疲れる。

 ところで、実はサッカーの影に隠れてしまっているスポーツイベントが野球以外にもう一つあるのですね。それは、テニスです。いま、全仏オープンやってます。さすがに独自路線のテレ東、ちゃんと深夜に放送してくれてます。で、最近、ひいきの選手もいなくなったのであまり見てなかったのですが、先日久しぶりに見てみました。そしたら、びっくりしました。アガシの試合だったのですが、アナウンサーが「アガシは、グラフとの間に赤ちゃんも生まれて」といっているのでびっくらこきました!アガシがグラフと結婚していただなんて!!去年の秋のことらしいです。全然知らなかった(そんなことも知らないでテニスファンとは言えない、と言われるでしょうが)。冗談みたいな話です。ブルック・シールズと別れてグラフと結婚ねえ……わかるような、わからんような……。
 さて、私は、野球とテニス以外のスポーツはほとんど興味がないのですが、前から、野球とテニスは共通点があるのではないか、と思っています。F- red billさんの意見ともつながるのですが、球技の中で、野球とテニスだけが、なんというか、「一騎打ち」の要素があるように思うのです。もちろん野球は、ピッチャーとバッターの一騎打ち。しかもそこに「間」があるので、その一騎打ちがドラマチックに演出されやすいように思います。卓球やバトミントンも、テニスと同じく一騎打ちですが、ちょっとちょこまかしすぎで、「間」がないじゃないですか。というわけで、テニスは、もちろん野球ほどではないにしても、剛速球を待ち受けて打ち返す、という間がね、かっこいいと、思うわけです……あのー、自分で書いてて、たぶんスポーツというものを恐ろしく間違った見方をしているようにも思うのですが、まあ、許して下さい。
 でですね、さらに言うと、私はテニスといっても主に女子テニスしか興味がないんですよ。なんだ、単にスケベなだけじゃないか、と言われそうですが、そしてまあ、実際そういう面はあるのかもしれませんが……。しかしですね、たとえば女子は、イチローとかね、シンジョウとか、ステキな男子野球選手を見て、「かっこいい(ハートマーク)」と、萌えることができるじゃないですか。ところが、男子である私にとってはですね、「かっこいい戦う女子」を見て萌える機会、というのがほとんどないのです。女子ばかりが戦う男子に萌えるのはズルい、男子だって戦う女子に萌えたい、と、私は思うのです。というわけで、女子テニスは、男子が、戦う女子に萌えられる数少ないスポーツだと、勝手に私は思っているのですが……。だから、女子プロ野球があったら、絶対見ますね(戦後すぐにはあったらしいけど)。昔も、水原勇気はすごくかっこいいと思ってました……。

2002/06/06

 パソコン教室と言えば、ガッツ石松と鈴木さりなが出てるパソコン教室のCMやってますが(やってない地域もあるでしょうが)、パソコン教室のCMなのに、パソコンとしてのリアリティがないですよね。さりなが、「違う!これじゃなくて!こーれ!!」と言いながら、父親役のガッツにパソコンを教えている場面なわけですが、さりなもガッツも、ガチャガチャとキーボードをたたいています。まあ、テレビ的にわかりやすいように大げさに演技している、ということなのかもしれませんがね……たたき方があまりにぞんざいだ、というのもリアリティがないのですが、そもそも、(特にGUIの時代に)キーボードのキーに関して「これじゃなくてこれ」という場面はあまりないような気がします。家電の場合は「このボタンを押すとこうなる」を覚える=使用法を覚える、ですが、パソコンの使用法を覚える、とは、根本的にそういうものではないと思います……というわけで、そもそも、そうした「家電との違い」に関して、最初につまずいてしまう初心者の方も多いのではないかなあ……。なのに、パソコン教室のCMであるにもかかわらず、あのCMは「パソコンを知らない人が想像するパソコン」の発想で作っているように思うので、ちょっと気になります。
 もう一つ、気になるのが、ユースケ・サンタマリアが出ているADSLかなんかのCM。常時接続だから、もういちいち回線を切断しなくていいんだよ、ということをうたっているらしいのですが、ユースケが、パソコンのモニターの中から、「もう切らなくていいんだって!」と訴えるのに、みんな回線を切断してしまう、というCMです。が、この「回線を切断する」シーンが、問題ではないかと思うです。まるでテレビを消すときのように、ブチッという音がして、画面が真っ暗になるのですが、ただでさえ、パソコンを終了するときにブチっと電源ボタンを押そうとする初心者が多いというのに、ああいうCMはいいのかなあ、と思ってしまいます(細かいですが)。まあ、これもテレビ的に「わかりやすい」表現、てことなんでしょうが、ちょっと気になります。

2002/06/03

 また、本屋なんですけどね。今度は、どうやらパソコンの参考書を買いたいらしいおじいさんが、女性店員を困らせている場面でした。しかし、これがまた可笑しい。またまた立ち聞きしてしまったのですが、どうやら、老人はパソコン教室に通っているらしいこと、そして、店員は、老人が使っているOSやアプリケーションがわからないので、何を薦めていいやらわからず、困っているらしいこと、がわかってきました。で、老人は、パソコン教室の先生をいたく尊敬しているらしいのです。ちょっとあの可笑しさの再現は難しいのですが、何とか試みて見ましょう。

老「ね、メールっていうのがあるでしょう。それから、いろいろなページを見るのもあるでしょう。先生はね、全部わかってるからね、ぱっぱっと、ええ、受信したりね、それから、ええ、送信したりね。そういうのが、全部できるんですよ。」
店「ええ、ですから、教室でお客様が習っていらっしゃるソフトが何かがわかれば、その使い方を解説した本をお薦めできるんですが……」
老「いやあ、それはね、先生はえらいから、そういうの全部わかってるですがね……」
店「……ええ、先生は何を使っているかご存じなのでしょうが、ちょっとそれがわからないと……」
老「え?わからんのですか?困ったなあ。」
店「……まあ……お客様のパソコンを立ち上げてみれば、それは、わかるのですが……」
老「うーん、じゃあ、ノートパソコンだから、そんなに重くはないでしょう?じゃあ、ここへ持ってきて、開いたら、わかりますか?」
店「うーん……(何でそこまでせにゃならんのじゃ、と言いたげな間)」
老「インターネットもね、勉強したいんだけど、ほら、先生のところは、さいしんの、あれだから……速いってわけ。家はね、普通の、ほら、電話だから、遅いやつでね……」
店「ああ、じゃあ、教室ではADSLをお使いなのですか? 」
老「え?うん、そうね……うん……ムニャムニャ」
店「ADSLと普通の電話回線だと、また違ってくるのですが……」
  (突然老人が得意げに話しはじめた。)
老「ああ、そうそう! ほら、電気にね、プラスと、マイナスがあるでしょう!」
店「はあ……」
  (おお?!大きく出たぞ!どう展開するのかな、と思ってたら……)
老「……ね、それで……電話もね……いろいろとあってね……その、そういう、いろいろなものがね……」
  (う……どうも、言ってみただけ、だったみたいです……)
老「あなたはパソコンはやらんですか?」
店「(ムッ)いえ、やりますけど……とにかく、たとえば先生がお薦めの本がある、ということでしたら、在庫がなくても発注する、ということも可能なのですが……」
  (するとおじいさん何ととんでもないこと言い出した。)
老「(少し語気を荒げて)私はね!もう教室に行きたくないんですよ!先生はね、いい人なんだけどね、オーナーがよくない……オーナーの方針が良くない。だから私はもう教室には行きたくないんですよ……」
店「は、はあ……(困惑)」

 なんか、ほとんど話が堂々巡りで、全然進んでいなかった……まあ、今時の本屋ではわりとよくある光景なのかもしれないですね。ちょっとおじいさんをからかうような書き方をしてしまいましたが、しかしまあ、おじいさんの混乱ぶりも無理もないと思います……たしかに、現状ではパソコンて、わけわかりませんもんね。しかし、失礼ながら面白かったのは、ちょっとおじいさんの微妙な心理が伺えたところです。一方で先生は尊敬しているものの、やはりプライドもあるから、若造に教わりたくはないのではないか。だから参考書で独学したいのかもしれない。しかし、それもあるかもしれないけど、なんか、なんだかんだ言って、ただ単に店員にパソコンについて話しかけたかっただけじゃないか、という気もする……。

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