2002/10/01

キーボード USBの外付けキーボードを買いました。黒くてちょっとおしゃれなやつなんですが、安くて、1980円でした。USBキーボード、ダサイやつなら1480円てのもありました。PS/2なら980円とかもあった。安っ!。
 フルキーボードなのでけっこうでかいですが、うちの安机(ニッセンで購入)はキーボードを載せるスライド棚がついてるのに今までは使ってなかったわけで、置き場所の問題もなく、むしろ快適です。
 というわけで、この日記に書いた状態をついに脱したのです!おおお!! 
「ー」 キタ━━━━━(゜∀゜)━━━━━!!!!!
「6」 キタ━━━━━(゜∀゜)━━━━━!!!!!
「Del」 キタ━━━━━(゜∀゜)━━━━━!!!!!
「Ctrl+Alt+Del」再起動 キタ━━━━━(゜∀゜)━━━━━!!!!!
 でも、未だについ「ー」を打つのに「no(変換)」てやっちゃうんですよね。
 それにしても、マウスもキーボードも外付けで、どうせ持ち歩かないし、ノートパソコンである必然性はあんまりない、って感じです。


2002/10/03

 それにしても、今年の阪神はすばらしかった。大活躍!しかもプロ野球の歴史を塗り替える大活躍でした。メーク・ミラクルとはこのことです。何しろ、開幕7連勝以上したチームは優勝か2位にしかなったことがない、という、日本プロ野球の歴史に立ちはだかる壁をいとも簡単にうち破ったのですから。しかも、開幕7連勝で3位、というだけで記録更新なのに、なんと一挙に、開幕7連勝でBクラス(5位もあり?)という大記録をうち立てました。阪神タイガース、まったくもって、あなどれないチームです。
 ところで、夏に帰省したときの写真日記のようなものをアップしました(和歌山・加太)。

2002/10/05

 肉離れで全治2週間?!今年の阪神、けが人続出はまだ続くか……。
 ところで、購読しているメルマガ「 我が永遠の恋人・・・阪神タイガース」に、面白い表現がありました。

今こそ久万さん、球団のオーナーは後進の熱血漢に譲って引退しなさい。貴方がオーナーである限り阪神 タイガースは永遠に滅亡です。

 あははは「永遠に滅亡」て。まあ、本家(?)の「永遠に不滅」(永久だったような気もするけど)ていう方も、さすがナガシマだけあってちょっと冗語ぽいですが、「永遠に滅亡しない」と言い換えて理解できないことはない。しかし、「永遠に滅亡」とは、なにやら哲学的にすら聞こえてくる表現だ。うーむ、深い。
 ところで、この日記でも何回も書いたように、一年ほど前からすっかりカモ・ウォッチャーとなっている私ですが、カモに興味を持って初めて、身近な川に何種類ものカモが生息していることを知りました。そしてもう一つ知ったことが、カルガモを除く多くのカモは渡り鳥(冬鳥)だ、ということです。というわけで、夏の間、すっかりカモはいなくなってしまい、近くの乞田川ではカルガモしか見られなくなってしまっていました。が、今日、コガモの群れを発見しました。いやあ、なつかしい。だんだん他の種類のカモも帰ってくるのかな。

2002/10/10

 今年の阪神の総括、という事をつらつらと考えてみるとですね、結局、今岡と浜中ががんばっただけではないか、という気がします。いやほんとに。一年を通して、安心して見ていられたのはこの二人だけだったように思います。ところで、今岡、浜中、と二人の名前を並べて見ると、気が付くことがあります。それは、二人とも「○ま○か」というパターンになっている、ということです。ということで、ここに鍵があるのではないでしょうか。それで言うと、「○た○か」なんて、微妙に似ているがゆえに、かえって良くなかったのにちがいありません。中途半端に似ている物はかえって害をなすものです。一酸化炭素も、酸素に微妙に似ているがゆえに、ヘモグロビンと結びついてしまって酸欠を起こすというではありませんか。一酸化炭素野郎と呼んでやりましょう。というわけで、理想的なオーダーを考えてみました。

1(二) い 今岡   
2(中) こ 駒中   
3(三) は 浜岡   
4(左) は 浜中   
5(一) リ リマルカ 
6(右) や 山岡   
7(遊) や 山中   
8(捕) し 島岡   
9(投) い 今中   

   ぬ  沼岡 監督

 実はなんちゃってプロ野球ファンなもので、阪神以外の選手で「○ま○か」というのは、今中しか思いつきませんでした(しかももう引退してるし……)。というわけで、このチームにこんな「○ま○か」選手がいる、という情報をお待ちしております。リマルカという人は外国人です。そんな名前の人がいるのかどうかわかりませんが、探すのです。もちろん、ジャで。
 それにしても、こんな馬鹿なことを考えてしまうのも阪神ファンの性かもしれませんが、もしこんなチームが実現したらそれこそ馬鹿なチームですよね。なにしろ、うですから。お後がよろしいようで。

2002/10/15

 さあ!ついに長かったオフシーズンも終わり、プロ野球シーズンの始まりですよ!今年はいったいどのようなバトルが繰り広げられるのか!?FA選手獲得をめぐる他球団との戦い、フロントとの戦い、ドラフトの戦い、年俸をめぐる熱い銭闘、楽しみだなー……。ていうか、野球に興味のない読者の方々、以後、阪神ネタは減ると思いますので、ご安心下さい(ホントかよ)。
 今頃告知しても遅いかもしれないけど、本日、荻窪でのライブ、お暇な方はいらしてください。場所はこちら>(ヴェルヴェットサン


2002/10/16

 よくある、実生活トホホネタとして、「メガネがない、ない、と探しているお父さんの額にメガネ」というのがありますよね。それのパソコンバージョンではないか、と思うのですが、あるCD-ROMがいくら探してもどうしても見つからない、と思っていたのですが、はっと気づいてCDドライブのトレイを開いたらちゃんと格納されていました……。いや、といっても、私の場合、例の放置してある自作パソコンのドライブに入っていたということであって、いつも使っているパソコンのドライブに入っていたらさすがにすぐ気が付く……と思うけど(本当かな……)。
 で、ちょっと話は変わるのですが、上記のように、実生活での事例に「似た」事例がパソコン生活において見られる、ということがしばしばありますが、あまりにパソコンが中心の生活をしているとですね、それが逆転してきて、実生活の事例がパソコンの事例に「似ている」と感じられてくるのでちょっとこわいのです。つまり、モデルとコピーの関係が逆転しつつある、というか。たとえば、電子メールというのは、もともとは、言うまでもなく「電子」メールなのであって、記号論で言うところの「有徴」てやつで、普通の「手紙」に対して、特別な「電子の手紙」ということだったはずです。ところが、最近では電子メールの方が紙の手紙よりよほど利用機会が多い、という人も多いでしょう。そう言う場合、有徴と無徴の関係が逆転してしまって、紙の手紙の方が、特別な「紙の電子メール」と感じられてしまうようになるのです。つまり、電子メールはもともと「特別」便利な手紙、だったのが、紙の手紙が、「特別」不便な電子メールと感じられる、というか。ちなみに、「紙の手紙」が今や稀だ、という言い方の奇妙さは、、「黒い黒板」が今や稀だ、というのとちょっと似てますけど(今は「黒板」はほとんど深緑です)。
 ちょっと脱線してしまいましたが、とにかく、コンピュータをモデルにして実生活を考える場面が生じてきつつあります。もともとはコンピュータをめぐるいろんなものは実生活をモデルに命名されていますよね。フォルダーだの、ゴミ箱だの。しかしそのうち、そうしたものも、現実のフォルダーや現実のゴミ箱が、コンピュータのフォルダーやゴミ箱に「似ている」もの、と感じられるようになってくるかもしれない……。フォルダーやゴミ箱の場合は、幸い私はまだそこまで行ってないですが、私が危ないな、と思うのは、検索です。コンピュータの「検索(サーチ)」とは、もちろん、現実の「探す」という行為をモデルにした、コンピュータの中でのいわばバーチャルな「探し物」なわけですが、言うまでもなく、現実の探し物よりも格段に便利です。というわけで、そっちに馴れてしまうと、現実において探し物をしているとき(たとえば上記のようなCD-ROMを探す、というような)しばしば私は、「あーっ!検索したい!」と思うようになってしまいました。英語で言うと、「あーっ!サーチしたい!」てなるわけで、こういう言い方をすると、「ていうかあんた今サーチしてるじゃないの」と言うことになるわけですが、つまり、パソコンでの「サーチ」があまりに「普通」のことと感じられるようになってしまうと、パソコンのサーチの方が「本来の」サーチと感じられるようになって、本来モデルであったはずの現実の「サーチ」が、なんだか不便なまがい物の「サーチ」と感じられるようになってしまうわけです。大げさに言うとですけど。……あのー、そんなことって、ありませんか? ない?こんな私、危ないでしょうか。


2002/10/19

 これが私のいつも使用しているコーヒーセットです。一日家にいるときは、これを使って4・5杯は飲みます。淹れる時の手順は決まっていて、以下の通りです。

1 お湯を沸かす
2 豆を挽く
3 カップにドリッパーをのせ、ペーパーをセットする
4 カップとドリッパーを温めるために少しお湯を注ぐ
5 お湯を捨てる
6 挽いた粉をドリッパーに入れる
7 まんべんなく少しお湯を注いで粉を蒸らす
8 回すようにしてお湯を注ぎ、抽出をはじめる
9 8を繰り返し、お湯が落ちきらないうちにドリッパーをはずす
10 飲む

 で、ですね、書きながら、ほんとどうでもいいこと書いてるなあ、と思い始めていますが、いつも、ほぼ毎回悩むことがあるのです。それは何かというとですね、7か8の工程の時に、毎回、5の行程をやったかどうか、悩むんです。つまり、「あれ?今、温めたお湯を捨てたっけなー」と。あまりに馴れた工程なので、ほとんど無意識のうちに8まで行っちゃうんですよ。で、蒸らすときに一段落着くから、そのとき、例の疑惑が頭をもたげてくるのです。で、ドリッパーをはずしてカップの中を見て確認します。7の時に気づいた時は、カップの中の液体の分量が多ければ、お湯を捨て忘れた、ということがわかるので、あわてて捨てるのですが、蒸らすときに注いだお湯からも多少は抽出液がカップに落ちるわけで、微妙な時もあります。カップの底にたまった液体を眺めながら、「これは『温め湯』と『蒸らしで落ちた抽出液』が混ざったものなのか?はたまた、純粋な『蒸らしで落ちた抽出液』なのか?」とまた悩みます……(ほんと、すいません、どうでもいいことで。もう少し続けますのでがまんしてください)。が、8に行ってしまった時は、もうおしまいです。確認のしようがありません。もやもやしながらそのまま飲んでしまうことも多いですが、あー、気になる!とできたコーヒーを捨ててしまって最初からいれ直したことも……。もったいない……。コーヒー農園の労働者の方すいません。しかし、だいたいですね、温めのお湯が入っていたからといって大した問題は何もないのです。もともと温めのお湯は少ししか入れないので。というわけで飲んでも気が付かないことがほとんどだし。薄めのコーヒーが好きってこともありますが。まあ、熱量保存の法則からいって、温めの効果はなくなるわけですが。温めのお湯をケチらずにもっとたくさん入れるようにすれば、捨て忘れたかどうかはっきりするわけですが、今のやり方だと、捨て忘れた場合の実害が少ないというメリットもある……。どうでもいいっすね。すいません。というか、大丈夫だろうか>私、と思う今日この頃である。

2002/10/21

 食わず嫌い王選手権、ていうの、ありますね。あれ、前から疑問に思っているのです。だって、「嫌い」といったって、度合いの違いがあるじゃないですか。「もう見るのも嫌い、匂いをかぐのも嫌い」というほど毛嫌いしている人のほうが、「食べられないことはないけど、好んで食べはしない」レベルの嫌いな人に比べて、圧倒的に不利ではないですか。そして、前者のような、絶対嫌い、というものは特にない、という人も結構多いように思います。で、私はどうかと言えば、私も、そんな意味で嫌いなものって、ないと思います。したがって、好き嫌いはない人間だと自分では思っていました(子供の頃はもちろん好き嫌いありましたけどね)。野菜は何でも好きです。ニンジン、タマネギ、ピーマン、ゴーヤも、大好きです(今日もゴーヤチャンプルーを作って食べた)。納豆も大好き。甘いものも大好き。なのですが、よく考えると、好んで食べないもの、というのがいくつかあります。そしてそれは人とはちょっと違うものかもしれない……ここでばらすと、将来食わず嫌い王選手権に出た時こまるんですが(<あの、笑えないと思いますが、一応笑うとこです……すいません)、特別にばらすことにします。まず、果物ですね。いや、果物といっても、全部だめというわけではないのです。柑橘類をはじめとする「すっぱさ」が含まれた果物です。というわけで、柑橘類、リンゴ、ブドウ、イチゴ、パイナップルなどは、自分から食べたいと思って買ったことが一度もありません。特に、キウイなんて、まったく食べたいという気が起こりませんね。逆に言うと、「すっぱさ」の要素がない果物は、好きな果物です。メロン、バナナ、柿、梨……そんなところでしょうか。かなり限定されますね、考えてみると。とはいえ、必ずしも「すっぱさ」が嫌い、というわけではないです。酢の物、ピクルス、梅干し、なんかは、ぜんぜん嫌いではないですね。むしろ好き。じゃあ、何がいやなのか……たぶん、私の頭の中に、「果物=デザート=甘い」という強固な先入観があるせいではないか、とも思うのです。というわけで、その辺のところ無理矢理考えてみました。
 さて、食事というのは、一種戦いです。栄養摂取という目的のために我々は食物に立ち向かいます。その中で、我々は、すっぱさや苦さなどといった、いわば自然からの抵抗を感じるわけです。しかし、そうした刺激は食事という戦いにおいてはむしろ心地よいものであり、それらを克服するからこそ食事には達成感が生まれる。何の味もしないゼリー状栄養剤では食事をしたという気がしません。しかし、果物は、食事ではありません。食事を終えた後のデザートです。それは、戦いが終わった後の休息です。したがって、私は、癒されたい、いや、まさしく「甘やかされたい」のです。だから、私がデザートに期待するのは、あくまで「甘さ」なのです。さて、私はデザートとしての果物を食べる。確かにそれは実際甘い(そこがまたくせもの)。が、同時に、気が付くと、舌のはじっこに、「すっぱさ」という、異質な刺激があることに気が付くのです。それが、妙にカンに触るのです。甘いなら徹底的に甘くあってほしい。まあ言ってみれば、勉強が終わったからと思ってマンガを読んでみたら、学習マンガで、面白いんだけど、どこか納得がいかない、と言う感じでしょうか。戦いの疲れを癒したいと思っているのに、「人生はそんなに甘くない、てことを忘れてもらっちゃ困る」と釘を刺されているようで、余計なお世話だ、と言いたくなる。
 同じ様な感覚は、「すっぱさ」だけでなく、他のものでも感じます。それは、「しょっぱさ(塩からさ)」です。というわけで、私が決して買わないもう一つの種類のものが、せんべい、おかき類、なのです。せんべいそのもののおいしさがある、というのは理解はできるのですが、なんか、納得いかないんですよ。「あんた、お菓子だろ、なんで塩辛いんだよ……」というような。塩味自体は好きなんです。ただし、それは食事においてはです。というわけで、やはり私は、「お菓子=甘い」という先入観がある。だから、塩味のついたスナック、ピーパリとか、なんとか、自分から食べるということは決してありませんね。(ただし、ポテトチップス、といっても潰して整形してないナチュラルなやつに限りますが、だけはどういうわけか嫌いではないんですが……理由はわかりません)。柿の種も嫌いです。柿ピーがあったら、ピーナツだけ分けて食べます。ほんというと、ナッツ類も塩が付いているやつは嫌いです。だから、みたらし団子、なんかも、かなり微妙です。食べないことはないですが、どこか納得がいかない思いを抱きながら食べる感じ。やっぱ団子はあんこでしょう……。とにかく、私は「デザートにおいては」あくまで「甘やかされたい」のです。「人生の酸いも辛いも」とか、そういう教訓めいたものが入ってるとうんざりなんです。エンターテインメントに徹してほしい、と言いたい!
 というわけで、またすっぱさにもどっちゃいますが、これはもうかなり許せない、というものがあります。それは、ところてん、ただし三杯酢をかけたもの、です……なんですか、あれは。なんで、なんで、デザートなのに、三杯酢なんですか……どうかしているとしか思えません。三杯酢のところてんだけは、かなり気持ち悪いぐらい嫌いかもしれない。黒蜜でしょう、やっぱ。というわけで、私が食わず嫌い王選手権に出たとしたら、勝負する食品は「三杯酢のところてん」かな。
 それにしても、こう書くと、なんか私って、結局けっこう好き嫌いがあるやつみたいだなあ。そうじゃないと思ってたんだけど。
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 などと書いた後、ネットで調べたところ、もともとは、ところてんに三杯酢をかけるのは関東、黒蜜をかけるのは関西、という具合に別れていたようですね。で、関東から関西に行った人で「ところてんに黒蜜なんて、気持ち悪い!」と書いている人がいて、びっくらこきました。むしろ逆でしょう……。やはり私には関西人の血が流れているからでしょうか( ゜Д゜) というか、実はあまりところてん自体食べた記憶がないのですが、私も関東(山梨)育ちなので、おそらく最初に酢醤油のところてんを食べて「なんてまずいんだ」と思ったものと思われます(あまり覚えてないけど)。で、どこか関西(親の出身地である和歌山?)で、黒蜜のところてんを食べ、「これが普通だろう」と思ったのではないでしょうか。そういえば、今年の夏和歌山に帰省したとき行った加太淡島神社の境内にある店では、ところてんをたのむと「すっぱいの?あまいの?」と聞かれました(もちろん「あまいの」を注文)。つまり両方売ってました。これは、関東方式が和歌山に進出した結果なのか、あるいは和歌山はもともと酢醤油で、大阪などから黒蜜方式が進出したのか、もともと両方あったのか……どうなのでしょうか。というわけで、うちの方ではところてんは三杯酢だ、もしくは黒蜜だ、いやぜんぜん別の食べ方だ、等々の情報をお待ちしております。

2002/10/24

 秋深し、隣の客はよく柿食う客だ、鐘がなるなり法隆寺、あーこりゃこりゃ、ということで、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
ところてん さて、前回、ところてんのことを書いたところ、いくつか反響がありまして、とにかくショックだったのが、「ところてんはおかずだと思っていた」というメール(および書き込み)をいただいたことです。ところてんがおかず?? なるほど……私は、酢醤油のところてんを、「おやつなのにすっぱい」ということで気持ち悪い、と書いたのですが、ところてんがおかずだと思っている方にとっては、たしかに、黒蜜のところてんは、まったく逆に「おかずなのに甘い」ということで気持ち悪い、ということはあるかもしれない。てことで少しネットで調べてみたのですが、やはりこの問題はあちこちで話題になっているようで、こちらのページが一番わかりやすいかもしれません。そのほか、掲示板でスイカさんが教えてくれたところてんにかけるものの分布図のページも、わかりやすいです。なるほど、和歌山は混在地域なんですね。
 で、私もスーパーに行ってところてんを探してみたのですが、どういうわけか見つかりませんでした。たぶんあっても酢醤油だと思うけど。というわけで、寒天と黒蜜を買ってきて作ってみました。もちろん例の「ところてん方式」のやつなどないので包丁で切りました。なかなかおいしくできました!

2002/10/28

 乞田川にも北の国から続々とカモが帰ってきました。マガモ(写真左。オス)も来ています。マガモを家禽化したのがアヒルです。で、アヒルとマガモを再び掛け合わせたものが合鴨(アイガモ)です。
マガモ
オナガガモ
 で、右の写真は、おそらくオナガガモのメスだと思います。オスは確認できていないのですが、たぶんそうです。それにしてもオナガガモはなかなかスタイルがいい。
 というわけで、とにかくすっかりカモのとりこになってしまった私です。最近では、もうカモの一挙手一投足がすべて可愛い、と思うようになってきた。一種のビョーキです。さて、カルガモ、オナガガモ、マガモ、コガモ、という乞田川のカモの主役達はそろったわけですが、今年は他の種類のカモにも遭遇したいものです。去年はスズガモに遭遇しましたが。
 ……とか何とかいいながら、友人に「今度カモ鍋を食べよう」と誘われています。たぶん合鴨です(最近は、合鴨といいながら実はアヒルという場合も多いそうです)。ところが「ああ、食べたい。油がのってておいしいんだよね」と思っている私がいます。ほとんど倒錯しているようにも思いますが。いや、もちろん「じゃ、永野さん、カモ鍋やるときは材料の調達のほう、よろしく」「はいよ」とか、そういうわけではありませんが……。観察しているカモだとわかったら、食べづらいでしょうね。かなり。

 あさって10/29(火)また調布でライブをやるのでお暇な方はいらして下さい。11/17(日)には横浜でやります。


2002/10/31

 夜一人でタクシーに乗ったら(夜9時までの授業だと、駅までタクシーが出るのです)日本シリーズ第4戦のラジオ中継が流れていました。これを流しているってことは、運転手さん野球が好きなのかな、と思って、6対2で巨人リード、というアナウンスを聴いた上で、「ああ、巨人が勝っているんですね?」と話しかけてみました。すると、案の定野球好きの方だったらしく、試合経過から始まって、いろいろな野球話をしてくれました。まずは試合経過。「そうなんですよ。いや、最初西武は西口が先発でしてね。2点はとられたものの、ずいぶんと好投していたんですよ。で、2対2に追いついたのですが、何を思ったのかそこで松阪に代えましてね。2点はとられたものの、好投してたんですよ、西口は。で、松阪がさっぱりで……いきなり先頭打者の高橋由にデッドボールですからね。次の松井清原は三振にとったんですが、その次の阿部にまあたデッドボールなんですよ(後略)」という感じ。丁寧な口調でしかもすごく詳しい。もう手に取るようにわかりました。「ああ、この調子だと、巨人勝ちますね。なんだか盛り上がりにかけるシリーズでしたね」と言ってみると……。「いやあ、堤オーナーは、頭にキノコ(雲)でしょうね(ああ、良い表現だ……)。もう一戦あれば、西武球場にもどってこれるわけで、何億という収益があったわけでしょう……(云々)」松阪はふがいない、という話になったので「ケガもあったんでしょうかね……」と言ってみると「内転筋を痛めているそうですよ。で、内転筋をいためたピッチャーは、たいていもうだめだそうですよ。」「そうですか。……使われ過ぎもあったんですかね?」「まあそれもあるでしょうが、やはり私生活でしょう。なんですか、あの日テレのアナウンサーと遊びほうけたりしてね。彼のようなピッチャーは、若いんだから特に、自分を厳しく律するというようなところがないとだめですね。やはりプロというのはそんなに甘いところではないわけで……(云々)」というわけで、50代か60代のおじさんだったのですが、なかなかコアな野球ファンとお見受けしました。口振りからすると巨人が好きではなさそうだったし。結局ほんの10分ぐらいの間だったんですが、いやー、濃密な時間をすごすことができて、ちょっと感動しました。そのぐらいのことで?と思うかもしれませんが、私の感動というのはですね、私がこういう会話に参加できた、という感動でもあるのです。
 私はこの日記でしきりと野球ネタ(というか阪神ネタ)を書いていますが、もちろんおわかりのことと思いますが、私の野球についての知識は非常にうすっぺらです。が、これでも最近昔に比べるとかなり野球に詳しくなってきた方なのですよ。というか、私は、10年前までは、ほとんどまったく野球のことを知らない人間だったのです。親の影響でアンチ巨人の精神だけは持っていましたが、具体的な選手のこと、ルールのこと、ほとんど知らなかったのです。しかも、今の時代考えられないことかもしれませんが、私にとって、「野球を知らない」ということは、長い間コンプレックスだったのです。私が育った環境(1970年代の山梨県甲府市)では、野球は「男子の基礎教養」という雰囲気がありました。友達の間では、プロ野球の各チーム主力選手の名前、右打ち(投げ)か左打ち(投げ)か、背番号、さらにはどんな球種が得意か、とか、そんなことについてすらすらと出てくる、なんてのは別に不思議でもなんでもなく、むしろ知らない方がおかしい、という雰囲気がありました(ちょっと大げさか)。野球が基礎教養だったというのは、「見る」ことに関してだけでなく、「やる」ほうについてもそうでした。運動音痴の私だったのですが、とにかく、学校では、野球ができない、というのはかなり恥ずかしいことだ、という雰囲気がありました。たしか中学のとき、球技大会かなんかでやむなくクラス対抗の野球かなんかに参加しなくてはならないはめになり、もちろん私は控え(というかみそっかす)扱いだったのですが、奇特なクラスの友人が、練習につきあってやろう、と言ってくれた(というか無理矢理だったんですが)ことがありました。ところが、私ときたら、キャッチボールをすれば、グローブをしているのに突き指をする(友人は理解不能、という顔をしていました)。さらに、ほとんど女投げ(こういう差別語があった)のようなフォームで投げる私の球を見た友人は一言、ほんとに不思議そうな顔で「……なんでそんなに肩が弱いの?」……ていうか、「なんで」て言われても……。嫌なやつではなかったので、イヤミで言っていたのではなく、男子なのにそんなに肩が弱い、ということがほんとに不思議だったようです。
 てな雰囲気だったので、野球を知らない、できない、という私はずいぶん疎外感を感じたものです。で、大学に入って、私とは違う環境に育った男子と出会い、同年代の男なのにファーストがどちらか知らない、という(つまり私より野球を知らない!)人間が世の中に存在することを知り、カルチャーショックを受けました。しかも彼は特にコンプレックスを持っていたようでもない。そうか!世の中には野球を知らなくても恥ずかしくない土地があったんだ!て感じでした。というわけで、そうやって大学に入ってしばらくは、大手を振って野球に無知のまますごしていたのですが、92年、大学院生のころ、阪神の大躍進(2位)をきっかけに阪神に興味を持ち始め、それから、特定球団についての知識を足がかりに次第に野球そのものの知識も増えてきて(といってもいまだに少ないですが)今に至る、というわけです。
 で、こんな私ですので、昔の私だったら、タクシーの運転手さんと野球についての会話をするなんて、考えられなかったわけです。もちろん、私の発言はぜんぜんしょぼいものですが、少なくとも運転手さんの話の内容がわかる!これはすごいことです。ああ、やっと私も3Xにして大人になった、という感じです。というか、今の時代でいうと、立派にオヤジの仲間入り、という感じですが、野球に関しては、むしろオヤジの仲間入りが出来たことが心地よくすら感じます。ビバ!野球!、ビバ!オヤジ!、サッカーがなんだ!あんなチャラチャラしたもん。

  
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