2002/12/03

 微妙に忙しいので更新とまりがちです……。CDコーナーとか、写真コーナーとか、更新したいんですけど。
 例のカモの死体ですが、先日来の雨で川の水かさが増えたために流され、あとかたもなくなっていました。それもまたいいですね。魚のエサかなんかになったりして。ところで、近所の観察スポットのカモですが、ここ数日でまた急に数が増えました。あらたに渡ってきたのか、どこか他の場所から移動してきたのかはわかりませんが、カルガモ約40羽(+10)オナガガモ約30羽(+15)コガモ約20羽(+-0)マガモ7羽(+4)という感じで、全部で100羽近くいるんですね!ぜんぜんしょぼい川なのに(川幅はせいぜい数メートルです)、ちょっとしたカモ・パラダイスです。たぶん、近所の人のほとんどがこんなにもいるとは気づいていないと思いますけどね(私も去年までは気づかなかった)。
 ところで、デロンギのオイルヒーターですが、今のところ、快適です。ただ、オイルヒーターは電気代がかかる、という愚痴をネット上でよくみかけます。というか、そもそも買いに行った電器屋の売場のひとがそう言っていた……。まあ、そうなんでしょうけど、この性格なもので、いちいち電気代いくらかかったかチェックしていないので、たとえば去年の今頃と比べてどうか、というのは確かめようがないのが実状。でも、いままでは暖気が降りてこないのでガンガンエアコンをかけていたから、そのことを考えるとそうかわらないのではないか、と希望的観測をしています。
 さて、先日はさらに留守電FAXも買いました。なんか電気製品ばっかり買ってる。でも、しょうがないんですよお。壊れたんだから! いや、むしろよく頑張った。もう5年は使ってると思う。……今古いの見たら95年11月製だったから、7年だ。長いと見るか短いと見るか……。まあそれはいいとして、とにかく、留守電なのに留守番をしてくれなくなっちゃった。なんか最近無言の留守電が多いんで、おかしいと思って、部屋で自分の携帯からかけてみたら、留守電本体からは応答メッセージが流れているのに、携帯(つまりかけている側の電話の受話器)から聞こえてくる音はずっと呼び出し音のまま。そのうち、留守電本体はメッセージを言い終えて何の録音もせず勝手に止まりました。……まったく、いつのまにそんな独り言電話になってやがったのか? 部屋で独り言って、まるで私じゃないか。しかも、ダイアルのボタンもおかしくて、電話がかけられなくなっている……。携帯(というかPHSですが)あまり使わない私ですが、こんな私でも、携帯中心の生活をしていると、家電(イエデン)が壊れていたことに気が付かなかったというわけです。というわけで、私の家電(イエデン)に電話したんだけど、なんか変だ、と思った人もいたかもしれませんが、すみませんでした(てそんな人でこれを読んでいる人は少ないと思うけど)。
 それにしてもこの7年でずいぶん留守電も高機能になったもんですね(結局壊れたのを口実に新しいの買ってよろこんでいる)。まあでも、やっぱ新しい家電(カデン)というのは、うれしいですね。いくつになっても。


2002/12/11

 というわけで、なんとまた電気製品を買ってしまいました……金もないのに……買いすぎだ。明らかに、電気製品(含むパソコン)を「買うこと自体」が好き、という面はあるな。私。いかんな。用もないのに電器屋いっちゃうもんなあ。しかし、今回のは比較的安いです。電動歯ブラシです。2000円ぐらいでした。最近安い電動歯ブラシが売り出されて、少しブームになっている、というようなのをどこかで読んだのですが、たしかに昔にくらべると安くなっているようです。というわけでこれは電器屋ではなくスーパーの歯ブラシ売場でぶら下がっていたのを買ってきました。昔の電動歯ブラシは充電式で、普通の歯ブラシと同じ形状のものが振動する方式でしたが、最近のは単三電池一本で動いて、円形の小さいブラシが回転する方式です。この方が、機械っぽくて私は好きですね。振動する方式だと、結局ついつい普通の歯ブラシみたいに動かしたくなってしまいますが(私だけか?)回転方式だと、「当てているだけできれいになる」感がより高いように思います。
 機械好きの精神は、明らかに横着好きの精神に通じるものがあると思います。少なくとも私はそうです。昔の喜劇映画とかアニメによく出てきた、朝起きると、自動的に顔を洗ってくれて歯も磨いてくれて、口にパンがつっこまれ、服も着せてくれて……ていうあの架空の機械、あれが、「機械」の理想ですね。結局パソコンも、基本は、楽をするために使うという面があります。だから、エクセルで成績表を作って、面倒な計算を自動的にやらせたりするときに、私は心から喜びを感じますね。「あ〜楽だあ〜」と。機械冥利につきるというか。たとえ、受講者名簿をOCRで取り込んだり、点数を打ち込んだり、レイアウトを考えたり、計算式を考えたり、云々と、手書きでやるより結局時間がかかってたり(まあこれは私に能力がないからでしょうが)……しても、です。「楽をするためなら、どんな苦労でもする」これが、機械好きの精神ですね。たぶん。



2002/12/14

 最近、新聞をとるようになりました。もう10年ぶりぐらいです。10年前何でとるのやめたかというと、ブル新の体勢よりの姿勢に嫌気がさした、というのは冗談ですが(まあ半分本当ですが)ゴミはたまるし、ついつい読んじゃって時間はとられるし……主要ニュースはテレビ(後にはインターネット)で見ればいいし、と思ってやめてしまいました。というわけで、ニュースということに関してはほとんど困った憶えがありません。いままでいかに余計な情報を得ていたのか、と思ったものです。これで月3〜4000円浮くわけで、結構結構、と思いました。ただ、困ったのは選挙の時で、選挙公報がとどかない。まあ公報も大したこと書いてはいないのでしょうが。しかし、新聞を取っていない人間に公報がとどかないようなシステムってのは問題じゃないのか?なんて思ったりもしたのですが。他にも、市の公報とかもそうですよね。
 まあ、それはいいんですが、そうやって10年ぐらい特に不自由も感じずやってきたのに、お金もないのになぜ急にまた取るようになったか、というのはこれまたはっきりしないのですが、まあ、授業のネタさがし、というのが大きいです。で、まだ一ヶ月ぐらいなのですが、結局、なんていうか結構すみずみまで読んじゃうんですよね。予想はできたことですが。で、かさばるばっかりでほんとに困る大量に入っている折り込み広告なんですが……そんな中でも、やっぱり電気店のチラシだけは見てしまいます。
 ところで、昨日はこんなチラシがありました。

ちらし

 新聞を前から取っていた人にとっては、ああ、よくあるじゃん、珍しくもないよ、という感じなのかもしれませんが。一瞬、何じゃこれ、と思ったものの、よく見ると、何か変なんですよね。第一、主催者の会社(?)の住所が「海部郡美和町」となっているんですが、これ、どこかと思ったら愛知なんですね。結局、この会社は、自分が倒産しそうなのではなく、倒産しそうな会社の商品を買いたたいて売る会社だとか、そんな感じなのだろうな、とも思うのですが、ウラにはこうあります。

限界

 なんか、完全にヤケクソの威勢の良さ、みたいな感じが、笑えます。ほんとは笑い事じゃなくて、この背後には、しゃれにならない悲惨なドロドロしたものが渦巻いていたりするのかもしれませんが。

2002/12/18

 教えに行っている某看護学校から帰る途中、渋谷を通過するのですが、バス乗り場から井の頭線の乗り場に行くため、いつも、なぜか「東横のれん街」というところを通って行きます。先日、その東横のれん街で、ベージュ色のコートを着た背の高い中年男性とすれ違いました。何気なく顔を見たら、えらく蓮実重彦に似ています。「あ、蓮実重彦に似てる!この人……」と思ってついしばらく見てしまったのですが、すると、彼の後ろから金髪の女性が追いついて来て、並んで歩きはじめました。ありゃ!本物だったか! しかし、噂には聞いていましたがほんとに背が高かった。だからどう、てことはないのですが。

2002/12/21

 米国務長官、イラクが国連に提出した申告書について、大量破壊兵器の開発計画の存在を完全に否定したことを「最もずうずうしい」と指摘、「重大な違反にあたる」と武力行使を示唆、とのこと。
 ところで、15世紀から17世紀にかけてヨーロッパでは「魔女狩り」が荒れ狂ったわけですが、魔女狩り裁判の尋問はこのようなものだったそうです(森島恒雄著『魔女狩り』岩波新書)。「お前は魔女になってから、何年になるか」「悪魔にどんなことを誓約したか」「箒の柄に塗った軟膏は何でできていたか」等々……。さて、当然ながらそもそも魔女でなどない「被告」が件の質問に、「知りません、わかりません」と答えたとします。すると、さらに厳しい尋問、すなわち、拷問が行われます。いかなる身の毛もよだつ残虐な拷問が行われたかは、上記の本などをご覧下さい。彼女たちは結局、拷問から逃れたい一心で「自白」します。その後に待っているのは、処刑です。そうした魔女裁判の不条理性を典型的に示しているのが、イングランドで永い間公式に採用されていたという次のような拷問法(?)です。すごいですよ。

 魔女を裸にし、右手の親指を左足の親指に、左手の親指を右足の親指に結びつけた上で、池や川の中に投げ込むのである。もし水中に沈めば無罪の証拠。(ただし、溺死することがしばしばだったという。)もし沈まずに浮かべば、その魔女は、それ以上の証拠の必要なく、有罪を宣告され、溺死はまぬがれる。(が、その後には絞首刑が待っている……。)
『魔女狩り』109ページ

 ……なんて話を思い出す今日この頃、という感じでしょうか。
 どうやらイラクが「有罪」だというのは最初から決まっているようです(といっても、「罪」て何でしょう。一番「大量破壊兵器」を持ってるのはどこの国なんだ、と言いたくはなりますが)。そして、言い訳しようとしまいと「処刑」されるということも。

2002/12/24

 相変わらずカモ観察は続けています。天気のいい日に川沿いの道を散歩しながらカモを観察するのはほんとにいいものです。くりっとした眼とか、よちよち歩く姿とか、ぷるぷるっとお尻を振るところとか、めちゃくちゃかわいいではないですか。そんな私の愛情に答えるかのように、カモたちが寄ってくることがあるんですよ。立ち止まり、土手の柵にもたれかかってぼーっとカモを眺めていると、カモたち(主にオナガガモ)が次々と水からあがって、よちよちと土手をのぼり、私の目の前に集まってくることがあります。集まってくるのはカモだけではありません。ハトたちもどこからともなく集まってきます。ハトは、私のもたれている柵にもとまり、10センチぐらいの距離まで近づいてきます。ハトの眼って赤いんだなあ、でもちゃんと真中に黒眼もあるんだなあ、というのさえわかるような距離です。何もせずに立っているだけで、何十羽というカモやハトが集まってくるというのは、気分がいいものです。ナウシカか、ラナ(ってマニアックすぎますか。『コナン』の、です)にでもなったような気分です。しかし実際は、その光景はそんなロマンチックなものではないのです。「あたりまえじゃないか、何がラナだ、おっさんじゃないか」というのは、もちろんあります。しかしそれだけでなく、私には、なぜやつらがこんなにも集まってくるかがわかっているのです。つまり、やつらは、私がエサをくれるんじゃないか、と思って集まってきているのです。散歩していると、たまに、カモにエサ(パンくず?)をやっているおばさん、おじさんを目撃します。というわけで、私は一度もエサをまいたことなどないのですが、やつらは、「立ち止まってこっちを見ているニンゲン」=「エサをくれる存在」、と認識しているようなのです。近づいてきたカモたちは、私が何もまいていないにもかかわらず、しきりと私の足元の草むらにくちばしをつっこんでエサをさがしている、ということからも、それはわかります。つまり、パブロフのカモです。要は私はベルの音、てことですな。……と、いうか、いうなれば私は、カモたちにとって「カモ」と認識されてるってことですね。「お!またカモがきたぜ!集まれ!」ということでしょう。カモのカモか……。だけど私はエサはやらないよ。世の中はそんなに甘くはない。

2002/12/30

 またカモの話ですいません。またカモ!……またカヨ!……
 まえからいってるように、私の観察スポット(多摩市乞田川)にいるカモは、カルガモ、オナガガモ、マガモ、コガモの4種類なんですが、なんと!初めて、この4種類以外のカモを発見したのです。最初はオナガガモかと思ったのですが、どうもおかしい……と思ってよく見たら、明らかに今までみたことのない種類のカモだということがわかりました。思わず「あー!!」と声を出してしまいました。周りに人がいなくてよかった……。で、それが、このカモ、トモエガモです。

トモエガモ


 私のコンパクト・デジカメでは、最大ズームでも小さくなってしまうので、単眼境をデジカメのレンズにくっつけて無理矢理撮ったのが次の写真です。

トモエガモ


 一羽だけなので、迷ってきたのかもしれませんが、図鑑などを見ると、ちょっとはめずらしいカモのようで、もう、興奮です。昨日発見して、今日もいましたが、定着するのかなあ。先日は、少し下流の大栗川でカワウを発見して興奮したばかりだったのですが、そんなのめじゃありませんね。などと、鳥乱してしまいまして、失礼しました。しかし、こうなってくると、一眼レフのカメラと望遠レンズが欲しい……て、また金使うのかよ……て、うそです。買いません……たぶん……。
 山岸凉子の『鬼』という作品を本屋で見かけて買ってみました。単行本は5年ほど前に出ていたようなのですが、ごく最近文庫化されたようです。何気なく買ってドトールで読んでいたのですが、最後のへんで、あやうく、泣きそうになりました。……すいません、うそ言いました。ちょっと泣きました。37歳にしてドトールでマンガを読んで泣くとは思っていませんでした。明らかに最初から泣かせるようにつくってある話なわけで、まんまとはまっている自分がいまいましくはありますが、単なる泣かせる話になっていない、というか、深い問題に作者のまなざしがとどいている、というところがさすがだ、と思いました。しかし同時に、「宗教」との距離感の取り方がやや気になりました。村上政彦氏による解説(なかなかうまくまとまっていると思いました)では、「作者の、宗教的なものへのオマージュと読むべきだろう」と言っていますが……。その点で、あやうい作品であるとも思います。が、その辺のあやうさも含めて、さすが山岸凉子、という作品だとは思います。
 ちなみに、山岸凉子が現在連載中の『舞姫―テレプシコーラ』(単行本が3巻まで出ています)もすごいですけど。とかなんとかいってますが、年をとると涙腺がゆるむというのは本当でした。おそろしい話です。


2002/12/31

 もう更新しないつもりだったんですが……。
 今日は○蹟○ヶ丘というところに行ったのですが、ついまた某デパートの中にある電気店に行ってしまいました。そして、「とりあえずすぐ買う予定はないんだけどそのうち買うかもしれないもの(なんじゃそれ)」のカタログを2・3集め、それを持ったまま、何気なくすぐ上の階にある本屋に行きました。店に入ってしばらくして、すれ違った店員がそのカタログをちらっと見たような気がしたたので、ちょっとまずいかな、と思いました。本や雑誌ならば、持ったまま本屋に入らないようにといつも気をつけています。たまたま本や雑誌を持って歩いていたとしても、めんどうでも、店の外でかばんに入れてから、店にはいります。そのたびに、昔教科書で習った「李下に冠をたださず、瓜田に履をいれず」という言葉を思い出します(ごめんなさい。うそです。「瓜田(かでん)」の方は、なんだっけな、と今調べました)。……が、今日はぺらぺらのカタログだったので、油断していました。しかし、確かに遠目には雑誌と見分けがつかないかもしれませんね。といっても、いまさらかばんにいれるのはよけいあやしいし、めんどくさいので、とりあえず折り曲げてジャンパーのポケットにつっこみ、本を手にとってパラパラと中身を見ていました。すると、またさっきの店員が近くにきたのですが、カタログがポケットに入っているのを見て明らかに顔色を変えたのがわかりました。あ〜、やばいよ〜、と思ったものの、もう遅かったのでした。その店員は、「……っしゃいませぇ〜……」なんていいながら、明らかに何度も私の後ろを行ったり来たりしています。けっこうかわいい若い女性店員だったので、よけい悲しくなりました。どうも、私の後ろをとおるときポケットのところを覗きこもうとしている気配すら感じます(にしても露骨やなあ)。いたたまれなくなってきたのですが、ついに眼があいました。すごい怖い顔をしています。私は深いためいきを(心の中で)ついて、おもむろに(というか堪えられなくなって苦し紛れにやってしまったのですが)ポケットからカタログを取り出して、わざとらしく広げて眺めました。「うーん、これは、なかなかいいねえ……買おうかな〜……なんつって〜」などという小芝居すら(心の中で)しながら。しかし、これでカタログだってことはわかってもらえたのでしょうか?その後の彼女の反応は怖いから見てません。私はすぐに、立ち読みしていた本を手にとってレジに向かいました(もちろん、買いましたよ!)。
 と、いうわけで、彼女は仕事熱心な人だっただけでしょうし、明らかに紛らわしいものを持ちこんだ私が悪いのですが、こうして、私の2002年は、万引きと疑われた、という悲しい思い出とともに暮れていくことになりそうです。しかし、ささいなことでも、疑われる、というのは恐怖ですね。というか、無意味な物欲にかられてまた電気店にいってしまったバチがあたったのでしょう、どう考えても。というわけで、みなさん、良いお年を。

* ちなみに、そのよく行く本屋はかなり大きい本屋なのに『身体のエシックス/ポリティクス』が置いてないので、悲しい思いをしていたのですが、これでまた一つ○○○○書店にまつわる悲しい思い出が増えました……。




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