2003/05/01 (前回 04/30)

 ご心配をいただきましたが、風邪はなんとか治ったようです。結局寝込むことはありませんでした。野口整体では、風邪を引くことによって身体のゆがみが治るのだ、と考えるそうです。それを無理に薬でなおそうとするのはよくない、とそんな感じらしいです。『風邪の効用』という本が出ています(とかいって読んでないのですが)。なるほど、と思いまして、私も、薬等いっさいのまず、ゆがみが治ってるんだ、今……と思ってごろごろしていました。今回のは、のどの痛みとだるさが三日ぐらい続き、その後咳が半日、喘息が半日、で収束、という変な経緯をたどりました。気温の変動が激しくて風邪流行っている見たいですので、みなさまもお気をつけ下さい。さて、
 つ、つおい!阪神……。
 タマちゃんが埼玉ちゃんに……。
 「タマちゃん」有効票に……。
 などいろいろネタはあるのですが……。ちょっと、長く、かつ興味のない人には退屈以外のなにものでもないであろう文章を書いてしまったので、とりあえずアップします。興味がない人は読み飛ばしてください……。上記のネタについてはそのうち書く(かもしれません)。
------------------
 前回の日記を読んで下さった方から、糸井氏に対して私が「怒って」書いたくだりに意義はないものの、「『糸井重里よ、恥を知れ!!』なんていわれると実は私自身がビクッとしてまう」というコメントをいただきました。たぶん、その方のコメントに答えることにはぜんぜんならないような予感がすでにするのですが、「恥を知れ」という言葉遣いを半ば無意識に私がしたことに関して、たぶんうまく書けないと思いますが(て最初から……)ちょっと書いてみることにします。
 「恥を知れ」という言葉は、マイケル・ムーアのまねです。というのはいいすぎなら、マイケル・ムーアが例のアカデミー賞授賞式で言った言葉使いが一種かっこいいものとして頭に残っていて、なんとなく半ば無意識に使ってみたんだと思います。というか、そもそももとは英語(Shame on you! Mr.Bush)なわけですが*。が、この言葉は考えてみればずいぶんと生々しく、攻撃的な言葉です。
 使うべきではなかった、とまでは思わないのですが……しかし、言葉遣いの問題というのは、結構大事な問題なのかもしれない、とも思うので、少し補足、というか蛇足というか、恥の上塗り、を書いてみようかと。
 といっても大したことは書けないのですが……。唐突ですが、内田樹氏のホームページはかなり前から愛読しているのですが、最近氏はちょっと有名になってきて、しゃくだ、というのはもちろん冗談なのですが、そこで読んだ印象に残っている言葉で「ソフトであるためにハードに努力する」というのがあります。今読み返してみると(2002年3月14日の日記)正確には、「ソフトであり続けることに身体を張る、という点については、けっこうハード」でした。この日の日記は、内田氏を、加藤典洋氏ともども「ネオ・ソフト・ナショナリスト」とカテゴライズして批判する高橋哲哉氏に答えるものなのですが、私は内田氏のスタンスがよくわかったような気がして、印象に残っています。ちょっと長くなりますが引用します。

ウチダは高橋哲哉さんの論理を「正しい」と思っているのである。
それは同書のなかでも繰り返し書いている。ただ、「正しい」けどおいらにはその語り口がダメなので、その辺の機微を分かって頂いた上で、どうか「同じこと」をおいらも「そーだそーだ」と唱和できるような別の言い方でしてはくれないだろうか、という欲張りなことを言っているのである。
もちろん、それが身勝手な要請だということは百も承知である。
けれども私と高橋哲哉の距離と、私と藤岡信勝の距離はまったく違う。
「どっちの陣営」と言われれば、私はためらわず「高橋さんの方さ」と答える。
けれども高橋さんは私を「藤岡」や「西部」と同じカテゴリーに入れたがっている。
でも、私は古典的な意味での「ナショナリスト」とはまるで無縁な人間だ。
私は均質的な集団が嫌いなだけである。
ナショナリズムが集団の均質性を要求する限り、私はそれを断固拒否する。
でもナショナリズムを批判するときの語法が「反ナショナリズムの均質性」を求めるならば、私は「それじゃナショナリズムと同じじゃないか」と思ってぶーぶー文句を言うのである。
加藤典洋さんを私が支持するのは、彼が「多様性」を容認する人だということが直観的に分かるからだ。
高橋哲哉に距離を感じるのは、彼が「正しさの均質性」というものを恐れていないような気がするからだ。
正しいことはもちろんすてきなことだ。
でも、均質的であることは、正しさを損なう。
私は「正しくない」ことよりも「均質性がない」ことの方がよりキライなのである*。
ものごとにはグラデーションがあった方いいと私は思う。
グラデーションがある方が「正しさ」がほんとうの意味で実現されるためには有効だろうと、私は経験的に信じている。
理由はうまく言えない。
私を「ナショナリスト」と呼ぶのは、私を藤岡信勝や西尾幹二と「均質化」することだ。
高橋は均質化することがやっぱりすごく好きな人なのだろうか。


 さて、「正しくない」ことよりも「均質性がある」ことがキライだ、と言う内田氏は*、同時に、「正しさ」よりもある意味で「語り口」「語法」の方が大事だ、と言っています。私の記憶では、「語り口」「語法」の問題が大事だ、ということを、内田氏は他の文章でも繰り返し言っていると思います。しかし、そのようなスタンスに批判的な人もいると思います。ちょっと話がずれてしまうのかもしれませんが、一般に、「議論の最中に『言い方』にこだわるのは、議論の中身から話をそらして話をごまかすずるいやりかただ」と怒る人はよくいるように思います。
 しかし、私は、この文章を読んで、なんとなく内田氏の基本的な考え方がわかったような気がしました(いや、ぜんぜん誤解だ、と内田氏本人に言われそうな気もするのですが)。とはいえ、ご本人が「理由はうまく言えない」と言っていることを私が説明できるはずはなく、ずるいですが、この先を引用させていただくことにします。

そうはいっても、私に「ネオ」と「ソフト」と二つの限定形容詞がついていることは評価されなくてはならない。
「新しくて」「柔らかい」んだ。
新しいというのはあきらかに誤認だが(私はほとんど「古典的」な人間である)、
「ソフト」であるというのはうれしい評価だ。
政治犯になって拷問されるときに、鞭でびしびし打ったり、爪を剥いだりするやつと、「君にもいろいろ考えがあるんだよね、おじさんにも若い人の気持ちは分からんわけじゃない。ま、煙草でもどうかね。カツ丼食べる?」というやつと「どっちに尋問されるのがいい?」と聞かれたら、私はぜったい後者の方がいい。
そんなこといっても、革命運動を抑圧する効果から言えば、犯罪性において本質的に選ぶところがない、いう人もいるだろう。
でも、じっさいに拷問される立場になったら、やっぱり「本質的同一性」よりも「経験的差異」の方が重要だと私は思う。
私は高橋哲哉が言うとおり、わりと「ソフト」な人間である。
でも「ソフト」であり続けることに身体を張る、という点については、けっこう「ハード」なのである。
ハードじゃないと生きていけないし、ソフトじゃないと生きてる甲斐がない。
マーロウさんもそう言ってるじゃないですか。


 おそらく、この内田氏の「ソフト」に対する断固たる支持、というスタンスは、「革命運動」のただ中で学生時代を過ごされた内田氏の「経験」によるものでもあるのだと思います。そこで、内田氏は、革命運動の「正しさ」よりも、革命運動の中の、「均質さ」を求める精神、あるいは、抑圧的な「語法」「語り口」のもたらす害悪が勝ってしまった事例を数多く経験した、ということなのではないか(と私は勝手に想像しているのですが、確か実際にそのようなことを書いていた思います)。そういう、ある意味「正しさ」を追い求める運動の挫折に現に関わり、経験した人間による忠告、という重みのようなものが感じられるように思うので(あ、なんか偉そうな書き方ですんません)、私は、内田氏の「ソフト支持」は、単にしたり顔のありがちなサヨク批判とは違うものとして、傾聴しなければならないように思うのです。ところが、同じく(かどうかは知らないのですが)かつては「革命運動」に関わっていた、という噂の糸井氏の発言(すくなくとも例の忌野批判)には、そのような重みは私はまったく感じられないのです……。というわけで、その辺に、内田氏と糸井氏、ひょっとして言ってることはあまり変わらないのかもしれないのですが、微妙(だけど重要かもしれない)差異を、私は(勝手に)感じているのですが……。(内田氏が糸井氏をどう評価しているのかは知らないのですが)。
 ……うーん、なんか、長々と書いたわりにぜんぜんよくない文章になってしまいました……。
 まあとにかく、「『ソフト』であり続けることに身体を張る、という点については、けっこう『ハード』」というスローガン(?)は私は結構好きである、ということと、それは、(我田引水ですが)私がサルトルとレインについての論文「引き裂かれた自己」で書いた、「『ふまじめ』であることに『まじめ』である」というスローガンとひょっとしてつながるのではないか、と勝手に思っているのです。
 あー、なんか、ぐだぐだだ。またもやぜんぜんまとまっていませんが、勢いでアップします。
 たぶん、わけわかんない文章だと思う方が多いと思いますが、すいません。

* 英語のニュアンスの問題、というか、「Shame on you」が英語話者に与える生々しさと、「恥を知れ」が日本語話者に与える生々しさの違い、というのもそれはそれで問題になるのかもしれませんが、その辺を判断する能力は言うまでもなく私にはありません……。

*上の引用で、「私は『正しくない』ことよりも『均質性がない』ことの方がよりキライなのである」というのは文脈から言って「私は『正しくない』ことよりも『均質性がある』ことの方がよりキライなのである」のタイプミスだと思うので(単行本では直っているのかもしれません)そうだとして話を進めさせていただきます。

2003/05/09 (前回 05/01)

社会ニューヌ - 5月32日(日)19時61分

<タマちゃん>「タマちゃんピアス」ブーム 関係者にとまどい

 目の周辺に釣り針が刺さった姿で発見されたタマちゃんが、意外なブームを生み出した。右目のわきから赤い糸が垂れ下がった姿が「かわいい」と、タマちゃんをまねて、釣り針を「顔ピアス」として眉に付ける若者が増えているのだ。都内の専門学校生西田真央さん(18)は「垂れ下がった赤い糸がポイント。針も、タマちゃんと同じ、コイを釣るための『吸い込み針』を使っている。運命の赤い糸で恋を釣る、という意味もある」と言う。今やブームは全国的で、各地の釣具店で、「かわいい」釣り針と赤い釣り糸を選ぶ若い女性たちの姿が見られるようになった。こうした事態に、釣具店はとまどい気味だ。「まさかこんな形で釣り針が使われるとは思ってもみませんでした」(釣具店店員)。「タマちゃんを守ろう会」のメンバー、平田宏さん(37)は「心ない人間が放置し、タマちゃんを傷つけている釣り針をファッションとして使うなんて不謹慎」と言っている。(毎目新聞)
[5月32日19時61分更新]


2003/05/14 (前回 05/09)

社会ニューヌ - 5月14日(水)19時132分

<タマちゃん>列島激震 タマちゃんは北朝鮮のロボット?

 埼玉県西部環境管理事務所の職員が午前10時前、お気に入りのボートに上ろうとしているタマちゃんを双眼鏡で見たところ、尾鰭の部分に北朝鮮を示す丸に星マーク及びハングル文字が刻印されていることに気づき、警察に通報した。警察で確認したところ、これまでアゴヒゲアザラシと見られてきた通称「タマちゃん」は、北朝鮮から密入国した潜水航行物体である可能性が高いと判断。埼玉県警は、午後12時50分, 本庁に、「荒川不審アザラシ対策本部」を設置。埼玉県朝霞市の荒川の「タマちゃん」出没地帯を急遽立入禁止とし、「タマちゃん」とされてきた物体を回収する準備を始めている。
 不審アザラシは、アザラシ型をした潜水ロボットで、目の部分に設置されたカメラによって情報収集を行っていたのではないかと見られている。しかし、北朝鮮のロボット開発に詳しい京王帝都大学の中野舜教授(49)は「北朝鮮がそのような高度なロボット技術を持っているとは考えにくく、不審アザラシは、むしろ特殊ゴムを用いたキグルミ、いや潜水スーツで、中には工作員が入っているのではないか」と言っている。
 この事態の発覚後、各地の動物園で展示されているアザラシに対して、ものを投げつけるなどの嫌がらせが相次いだ。市民からはアザラシの展示を批判する声も多く寄せられており、動物園の中には、東京都のタマ動物園など、アザラシの展示を一時中止したところもある。タマ動物園の花平博園長(56)は「展示中止を求める声があまりに多かった。苦渋の決断です」と話している。
 そのような動きに対して、「タマちゃんを守ろう会」のメンバー、平田宏さん(37)は、「アザラシには何の罪もなく、アザラシに対してそのような行為をすることは、人間として恥ずかしいことだと思う」と言っている。
 また、「立会川のボラを救う会」の加藤正美会長は、「不審アザラシは核爆弾や化学兵器を搭載している可能性がある。これに対抗するために、日本も、ASIMOとAIBOの核武装を進めるべきだ」との見解を発表し、日本政府に、アメリカが進めるロボット防衛構想(RDI。通称ガンダム計画)への参加を促していく考えを示した。
 ネット上では、不審アザラシを、北朝鮮のロボット「労働者」として揶揄するサイト「侍タマしい」に人気が集まり、アクセスが増え続けている。(毎曰新聞)
[5月14日19時133分更新]


2003/05/15 (前回 05/14)

社会ニューヌ - 5月15日(水)1.9時3.2分

<不審アザラシ> 中身は金正男氏か

 14日から埼玉県朝霞市荒川流域で捕獲作業が進められている不審アザラシは、北朝鮮の特殊な潜水スーツであるとも言われているが、ここへ来て、中に入っているのは北朝鮮の金正日総書記の長男、金正男氏(31)ではないかという説が浮上している。一昨年の5月、金正男氏とみられる男性が強制退去させられる事件が起こったが、来日の目的はディズニーランド見物だったと言われる。当時目的を達成できずに強制退去となった金正男氏が、アザラシ型スーツに身を隠して日本への再潜入を図ったのが今回の事件だ、というのだ。
 金正男氏のディズニーランド問題に詳しい、幕張学院大学の暇塚利夫教授(専門は北朝鮮の悪口学)はこう言う。「今回の不審アザラシが金正男氏であることはほぼ間違いないでしょう。横浜に出没した不審アザラシが、最近埼玉に移動するなど、次第に千葉に近づいていることがその証拠です。最初に多摩川に現れたのは、間違って多摩市にあるサンリオピューロランドに行こうとしてしまったからではないか。」
 しかし、金正男氏が問題の不審アザラシの中に入ることは体型的に無理ではないか、などと疑問の声も上がっている。
 ディズニーランド側は「アザラシのキグルミを着た方の入場を認めた例はありません」と当惑を隠せない。今回不審アザラシが捕獲され、中身が金正男氏であった場合、再び強制退去になってしまう可能性は高い。「秘密裏に入国したつもりが、タマちゃん騒動で騒ぎになってしまい、身動きがとれなくなっているのではないか。魚やホタテを食べて飢えをしのいでいたとしても、そろそろ体力の限界が近づいているはずだ」(暇塚教授)。
 ディズニーが『リトル・マーメイド』のタイトルで映画化した人魚姫は、人間の王子に恋をして地上に上がろうとした。ディズニーランドに恋をした金王朝の王子、正男氏は人魚となって日本に上陸しようとしたが、人魚姫と同様、どうやらハッピーエンドを迎えられそうにはない。(毎白新聞)
[5月15日1.9時3.3分更新]

-----------
 ……「北朝鮮をバカにしている人たちをバカにするネタ」をめざしているのですが、どうも、結局「北朝鮮をバカにするネタ」と区別がなくなってしまうのが困る……。難しいものです。


2003/05/19 神玖珠(前回 05/15)

 ……最近、あれが、あれしてますよね……なのに、今年私、そのことをほとんどあれしてないですよね……何でですか?って聞かれたりするのですが……いや、ふと気づいたんですが、ひょっとして、今年は私があれしてないから、あれなんじゃないか……てことは、もうあれのことをあれするわけにはいかない……いいや、もう、いくらあれでも、あれするまでは決してあれしない……
 ああ!!Σ(゜□゜;しまった!!といいつつ、今回「あれしない」てあれしたことは、すでにあれしてしまったことになるのでは?? い、いいや、違う……今回はあくまで「あれ」としかあれしてないから。「あれ」が何かはあれしてないから、「あれした」ことにはなっていないのだ!……ていうか「あれ」て何? 何のこと?……「あれする」てどういうこと??……ボク、さぱーりわかんない……あは、あは、あはははははははは……。



2003/05/20 殺すな (前回 05/19)

 「反戦」の声もあれば、「反・反戦」という声もあります。「ふざけるな芸能人反戦商法」のようなものや、「人間の盾」に対する嘲笑や罵倒のようなものももちろんあります。が、そういうものではなく、どちらかというと戦争反対の立場でありながら、今ある形の「反戦」に対して疑問を呈する、というようなものも結構あります。そうした意見を、太田光が「イラク戦争」というコラム(「天下御免の向こう見ず」『テレビブロス』4月12日号、東京ニュース通信社)で典型的な形で述べていました。

 (……)開戦以来、連日テレビで生の爆撃の映像を見、また自分の番組でもその様子を伝える度に、そのテレビの臨場感とは裏腹に、遠い国の実感できない人々の苦痛は、どう想像しても分かち合うことは出来ないという冷めた気分が私の中に起こった。また世界各地で展開された平和運動に対しても、こう言ってはなんだが、むなしさを感じずにはいられない。”反戦””平和”とはそれだけで、力のある言葉だとは思うが、単純で、発した瞬間に思考停止状態を引き起こす言葉でもある。イラクの今までの長い戦争の歴史。(……)また、アメリカと戦いつつその一方ではフセイン政権からの解放を願う人々が現実に存在するという事実。それらの複雑な状況が絡み合って、正義ということを世界の誰一人、自信をもって表現できない状況下で巻き起こっている戦争に対し、単純に”戦争反対”と叫ぶことは、暴力と同じぐらい乱暴で、短絡的な行為ではないだろうか。(……)

 こうした意見を見ると

「現実(戦争)」は複雑だが、「反戦」は単純だ

 ということがまるで自明な前提であるかのようです。もちろん、さらにこれは

単純なものはよくない>なぜなら、単純なものは無力だから

 というのも前提しています。例えば太田氏は、上記の引用に続けて、

 ”平和”とはあくまで結果を表す状態であって、手段には成りえない。武力行使という手段しか持ち得ないアメリカの発想の貧弱さを批判するのであれば、平和主義者の側も”平和”と叫ぶ以外の、それに導くための工程を複数提示出来なかった自らの発想の貧弱さを省みなければならないという気がしている。

 と言っています。平和を「叫ぶ」だけというのは、戦争を防ぐ「ための」「有効な手段」とはなりえない、というわけです。

 このように、「平和主義者」は、「単純だ」「無力だ」「幼稚だ」「軽薄だ」「浅はかだ」「偽善だ」等々、等々……の罵倒、嘲笑、冷笑、はたまた(太田氏のような)暖かい助言(?)に囲まれて、なかなか大変です。
 こうした「反・反戦」ないし「非・反戦」の声に囲まれて、口ごもってしまういわゆる「平和主義者」(この他称自体に、何か軽蔑的な響きさえ感じられてしまうから困ったものです)も多いのではないでしょうか。
 しかし、しかしです。口ごもる必要など、毛頭ない。とこれは強く言いたいのです。
 「反戦」が「単純な」叫びだ、などという見方それ自体が単純です。
 また、「叫ぶこと」の価値は、そもそも「叫ぶことなど無力だ」などと言う人が考えているような「有効性」だの「無効性」だの「国益」だの(それは「平和のためにこの戦争を始めるのだ」というブッシュらの大好きな言葉ではないか、と思えてなりません)とはまったく異質なものであるように思えます。

*  *  *

 さて、ここに「殺すな」という実に「単純な」叫びがあります。1967年4月3日、アメリカのワシントンポスト紙に、紙面をまるごと1ページ使った反戦の「意見広告」が出されたそうです。

 そこには、ひときわ大きな字でただひとこと、「殺すな」、とそう書かれていた。この全面広告の発起人になったのは、いずみたく、鶴見俊輔、永六輔、岡本太郎、桑原武夫、淡谷のり子、小田実、久野収、城山三郎、開高健、松本清張、加藤芳郎、小松左京の13名だった。通称「ベ平連」こと「ベトナムに平和を!市民連合」が広告主となり、「殺すな」の書字は、岡本太郎が書いた。
(小田マサノリ「殺すな一九六七年の記(とその追記)」、「殺すな」のホームページ

 2003年、3月13日、この「殺すな」という言葉を「サンプリング」して、四人の美術家、美術評論家など(小田マサノリ、工藤キキ、椹木野衣、山本ゆうこ)が発起人となり「反戦運動『殺すな』」が発足したそうです。彼等は、賛同した美術家たちに「殺すな」とさえ読めるものであれば自由にデザインやアレンジした「殺すな」をつくってください、と依頼し、集まった作品ともプラカードとも言えないものをもちよって、何回かデモを行ったようです。その「声明文」は以下のようなものです。

アメリカ政府による大量殺戮の日が、いよいよそこまで迫ってきています。DO NOT KILL!
このまま私たちは、なしくずし的に、”戦争”に荷担させられるのでしょうか。もちろんNO!!です。でも、単純に”平和のために”と言うこともできない。なぜなら……”平和のために殺せ!”というのが今回の”ブッシュの戦争”の論理だからです。
WE ARE AGAINST BUSH'S JUSTICE.
そしてその”正義”は狂っている。

そこで私たちはただ一言”殺すな”と主張します。
WE JUST CLAIM
"DO NOT KILL"(KOROSUNA!)

でも、誰が? 誰にむかって?
誰を? ”殺すな”と? んなこと考えてる暇はもうないので、もはや、誰彼なく、ところかまわず、無差別に主張します。
殺すな、殺スな、コ・ロ・ス・ナ、虚露須奈、ころすな、故賂栖ナ、KOROSUNA、DO NOT KILL、DO NOTTO KIRU、個絽酢菜、殺すな、ぶっ殺すな!

殺すな! 殺すな! 殺すな!
殺すな! 殺すな! 殺すな!
殺すな! 殺すな! 殺すな!

”誰も無実ではない、沈黙は死なり”
SILENCE=DEATH/LOVE & CURSE

西暦二〇〇三年三月一四日
”殺すな”発起人 小田マサノリ+工藤キキ+椹木野衣+山本ゆうこ

 こうした「運動」自体をうさんくさいと思う人も多いでしょう。「自己満足にすぎない」とか「ゲイジツ家の反戦ゴッコか」などと言う人もいるでしょう(そもそも1967年の反戦広告自体をそう感じる人もいるでしょう)。いちいち否定しようとは思いません(私自身、「殺すな」のホームページにある椹木野衣氏の「今日(こんにち)の反戦運動」という文章は、なんとなく違和感を感じる部分もあります……)。
 が、繰り返しになりますが、問題は、何にせよ「叫び」を後ろめたく感じる必要はない、口ごもる必要はなんらないんだ、てことです。
 ついでに、1967年の「殺すな」について後年小田実氏が書いた文章を、上記のホームページから孫引きしておきます。

「殺すな」が「殺せ」を前提として存在する原理である以上、そして「殺せ」が積極的行為である以上、「殺すな」もまた「殺せ」にまっこうから対立し、それを押しつぶそうとする積極的行為であるということだ。逆に、積極的行為を前提としない「殺すな」は原理として成り立ち得ないし、それほどの力をもって「殺せ」とせめぎあわない「殺すな」は「死ぬな」であり得ても「殺すな」ではない。「殺すな」が「死ぬな」とはちがった次元に立つ原理であることは言うまでもないだろう。「殺すな」が「殺せ」と積極的にせめぎあう行為の原理であるのに対して、「死ぬな」は「死ぬ」という人間の不可避的な運命に積極的にせめぎあうことのない祈りであり、より適切にはあきらめなのにちがいない。
(小田実「「殺すな」から」1976年)

 繰り返しの多い、思わせぶりな文章……にも読めるけど、言いたいことは少なくとも私にはとてもよくわかるように思います。
 2003年の「殺すな」は、五月おわりから六月にかけて、アンデパンダン形式の連続デモ・グラフィック展「殺すなアンデパンダン」を開催し、「殺すな」と読める自作のグラフィック、小品を募集しているようです。作品制作してみようか、と思っています(元美術部(´Д`;))

「殺すな」のホームページの内容は、『美術手帳』(美術出版社)6月号にも再録されています。

2003/05/25 実践的惰性態 (前回 05/20)

 「今日はついてなかった、最悪だった」というのは日記の定番だと思いますが、今回はそれです。最悪といえば、あれが負けあれが勝った今日なんかもそうですが、そう言う意味ではなく、先週の火曜日は最悪でした。徹夜で授業準備したにもかかわらず(というかだからこそ、かもしれないけど)ぜんぜんうまくいかず最悪の気分で一日がはじまったのですが、火曜日は三つの学校を渡り歩かねばならないので大変で、しかもその日の授業は全部うまくいかずぼろぼろの気分で最後の授業を終えて7時半ごろ校舎の外に出てみると、バケツの底が抜けた、というような雨。傘もってない。購買まで走っていって傘を買ったのですが、あまりにひどい雨だったのでバス停に行くまでほとんど下半身はぐしょぐしょに。で、そこから家に帰るまではバスと3種類の電車を乗り継いで2時間ぐらいかかるのですが、途中ラーメン屋によったりして、最後の乗り換え駅についたのは10時前でした。電車では爆睡していたのですが(幸いその路線は始発から乗るので座れるのです)うまい具合に乗り換え駅の直前で目が覚めることができ、何とか乗り過ごさずにすみました。が、電車を降りてもまだ頭がぼーっとしています。私は、どろどろに疲れた顔をしたネズミ色の人の波にのってふらふらと改札に向かいました。改札を出て少し歩き、別の電車に乗ると、家に帰れます。私は、ぼーっとしたまま自動改札機にパスネットを突っ込みました(関東以外の人はわからないかもしれませんが、パスネットとは、首都圏の地下鉄・私鉄に切符を買わずに乗れるプリペイドカードです)。すると、神経にさわる警告音がけたたましく鳴ってゲートが閉まり、液晶画面に「磁気情報が異常です、係員にお知らせ下さい」という文字がでました。いやんなっちゃうなあ、と思いながらも、少しもどって、もう一度差し込んだのですが、またもや警告音と通せんぼです。かなり最悪の気分になりながら、私は係員のところに行こうとしました。さっきも書きましたが、夜10時と言っても、乗り換え駅ということもあり、その駅の改札は、帰宅途中のサラリーマンの波でところてん状態です。というわけで私のように改札を通れなかった人間は、ところてんの波に渋滞を起こしてしまうので、かなり顰蹙です。私はドロドロサラリーマンの波をかき分けて有人改札の駅員さんの所に向かったのですが、サラリーマンさんたちの突き刺すような冷たい視線が感じられます。横をすり抜けるときに「ちっ」と舌打ちをするオジサンも居ます。そういうわけで、ヘコみながら駅員さんのところまで行って「あのー、これ磁気異常って出るんですけ……」と言いかけたのですが、駅員さんは私が言い終わらないうちにその言葉をさえぎって、うんざりした顔で私を見ながら冷たくこうおっしゃったのです。「パスネットは通れないッ!!」  Σ(゜□゜; JR南武線稲田堤駅でした……。マ、マジバカ……。これまた関東以外の方はオチがわからないかもしれませんが(わかるか)パスネットは私鉄と地下鉄だけで、JRは参加してないんです。というわけで、川崎の券売機で買ったことをすっかり忘れていた切符を引っぱり出し、無事改札を通ることができました。磁気異常なのは私の頭でした。
 といいつつ、実は、JRの駅でパスネットで出ようとしてしまうというの、それまでにも何度かやっていたのです。が、さすがに、2回遮断されてもまだ気が付かず、駅員に言われて気づく、というのは初めてでした。ていうか、大丈夫でしょうか、私。
 おそらく私以上にへとへとに疲れて心がささくれ立っているであろうサラリーマンさんたちの行く手を阻んで、彼らの心をさらに毛羽立たせてしまった、と思うと、自分がまるでゴミクズになってしまったような気分がして、かなりヘコみます。それにしても、疲れたサラリーマンさんたちのところてん状態の中に入ると、ほんとに息苦しくて心がささくれ立ってきます……。いまだに慣れることができません……。




 ……ていうかパスネットに参加しないJRが悪いんでえい!

2003/05/28 (前回 05/25)

写真ニューヌ - 5月280日(水)19時320分

福岡にもアザラシあらわる

 一週間前、福岡県福岡市を流れる田茂川に突然アザラシが現れた。このアザラシは、毎日正午ごろに姿をあらわし、一時間ほど泳いだり休んだりする姿を見せるという。中州産業大学の神田森一義教授(58)によると、このアザラシはサングラスアザラシのオスで、目のまわりにサングラスを掛けているような模様があるのが特徴。日本で見られるは大変珍しいという。地元の人たちは、このアザラシにさっそく「タモちゃん」という愛称を付け、毎日姿を見せるのを楽しみにしている。
タモちゃん
サングラスアザラシのタモちゃん
---------------------
 ……はい、くだらないです……。

 どうも火曜日はついていない日です。先週授業の帰りに、JRの改札機にパスネットをつっこんだばかりですが、まさにその同じパスネットを、こんどは朝出かけるときに、某駅の改札をあわてて通った際抜き忘れてしまいました。あわてて改札を通り、階段を駆け上がりながら、なんとなく抜き忘れたような気がしてきたのですが、そこで戻ってカードを抜き取っていたら遅刻してしまうので、「無意識のうちに抜き取っていた」とかそんなんであってくれ、と祈るような気持ちでとりあえず電車にのったのですが、やっぱありませんでした。降りた駅で事情を話し、お金を払って出ました。で、授業が終わって夜某駅に帰ってきて、駅員さんにパスネットの忘れ物がなかったか、と聞いたのですが、親切にずいぶん調べてくれたのですが、該当するものはありませんでした。1000円以上は確実に残ってたんだけど。差し間違ったり、抜き忘れたり、マジバカにもほどがあります。パスネット、なくすと痛いですが、首都圏を渡り歩く生活をしてると便利なんですよね……。

2003/05/30 (前回 05/28)

社会ニューヌ - 5月230日(水)19時320分

<タマちゃん>「金のタマちゃん」ブーム

 99年に阪珍野村監督(当時)の純金の像を発売した大阪・梅田の阪珍百貨店は、このほど、純金のタマちゃん像の発売をはじめた。寝そべった愛らしいポーズの金のタマちゃん像は、高さ約9・5センチ、重さ約50グラムで、価格は100万円。金のタマちゃんは同百貨店8階の宝飾サロンのショーケース内に置かれ、開店直後から、「金のタマちゃんはりっぱで、お金があったら欲しいですわ」などと阪神ファンら約10人がため息混じりに見入っていた。午前11時過ぎ、娘と孫を伴った60歳代の男性が内金を払ったのに続き、午後2時までに5人が申し込んだ。同百貨店によると先に予約の入っていた3体とあわせて、申し込みはこれで9体目。受注生産のため、商品が届くのは約1カ月後になるという。
 これに対して、「金のタマちゃん」は名古屋のシンボル「金の鯱(しゃちほこ)」の剽窃(ひょうせつ)だ、と怒りをあらわにするのが、「金の鯱を守る会」会長の烏山明(からすやまあきら)さん。「金の鯱は、金の水生生物の本家です。星野監督に続いて、名古屋の象徴を盗む大阪人はゆるせません」。しかし、『饂飩(うどん)ときしめん』の著者であり、名古屋・大阪問題に詳しい作家の清水幼稚範(しみずよちのり)さんは「さすが商魂たくましい大阪人。名古屋人も見習うべきです。」と苦笑する。
 一方、98年に天童よじみキーホルダーが売られた大阪・梅田のチティ・ランドでは、金メッキしたタマちゃんのキーホルダーが売り出された。よじみちゃんキーホルダーは、「魔よけ」になると女子高生の間に大ブームを起こしたが、金のタマちゃんキーホルダーも、「かわいい」と女子高生に大人気。金運を呼ぶという意味もあるそうだ。何でも名前を省略する女子高生たちは、この「金のタマちゃん」も、省略して「キン……(自粛)
金のタマ
金のタマちゃん

---------------------
 ……はい、もっとくだらないです……。


※追記
 念のため、「金のタマちゃん」でぐぐって(google検索して)みたら、ぬ、ぬわんと!「金のタマちゃん」は実在した!「岐阜おかみさん会は、2000年の年末に街をどこよりも元気にする貯金箱(金のタマちゃん)を製作し、会員や商店街に配布した。」 だ、だれも何も言わなかったのか?それともわざとか? おそるべし、岐阜おかみさん会。
 それから、「タモちゃん」とは、宝塚の愛華みれの愛称であることも判明。なぜなんだろう。



6/9(月)project H セショーンホスト@調布GINZ
6/11(水)村田バンド(ジャズ)@調布GINZ
6/20(金)project H @唐木田 CAFE DE SOEUR




2003>> 01 02 03 04
2002>> 03 04 05 06 07 08  09 10 11 12
2001年以前の日記 (不要ファイルを削除して空きを作ったので、古い日記全部復活させました。)