■ 2003/07/01

 そろそろ、授業が終わった後に、レポートの課題はなんだ、と聞きに来る人が増えてきました。で、今日、某大学でそういう質問を受けた後に、教室を出て廊下を歩いていると、その質問をした人を含めて数人の学生が話しをしていました。すれ違いざま話の内容が聞こえました。
「○○論もレポート出てたみたいだよ。」「ああ、あれ余裕そう。今日先生の顔見たら、えなりかずきみたいだったから。」
 Σ(゜□゜; 顔でわかるんかい……。今日初めて見たんかい……。

■ 2003/07/02

 『20世紀少年』の新刊が出ていたので買った。と思って本屋のマンガコーナーに行ったら、『ベルセルク』『テレプシコーラ』の新刊も出ていたので買った。『バガボンド』もあわせると、ここ数日で「出たら買う」というマンガの単行本をいっぺんに買ってしまった。藤沢の授業が終わって小田急線で帰ってくるときに、400円の特急券を買って、新百合ヶ丘までロマンスカーに乗ってしまった。飲み物と甘いものも買って、『テレプシコーラ』を読んだ。30分ぐらいだけど、非常に幸せな気分になった。よかったよかった。

■ 2003/07/03

 昨日買ったマンガは結局全部読んでしまった……。感想でも書いてみようか……。『20世紀少年』と『ベルセルク』に関しては、惰性で買っている、という面がかなり大きい……。やっぱり山岸凉子『舞姫 テレプシコーラ』4巻が一番おもしろかった。知らない人もいるかもしれないので、説明すると、これはバレエマンガで、主人公は小学生の姉妹(母親はバレエ教室の先生)。バレエの技術やバレエ業界(?)の描き方もすごくリアルで面白いのですが、なんといっても、子供と大人それぞれの人間模様がすごい。
 いまさらいうまでもないかもしれませんが、山岸凉子という人は、キャラクターの細かい心理描写、ものすごいうまいですね(それにしても、ストーリーが、ほとんど、吹き出しのない主人公の内声を表すセリフで進んでいくようなところがある)。特にわき役の描き方にうならされます。たとえば金子先生っていう、主人公が習っているバレエ教室の先生、ああいう一見地味な人を、しかも存在感あるように描くというのは、うまいなあ、と思ってしまいます。

■ 2003/07/04 ケッセルではなくウィリアムス

 これ、有名な話だったんでしょうか。ヤンキースのバーニー・ウィリアムスってジャズギターも弾くんですね。知りませんでした。GRPからアルバム発表とは「も弾く」というレベルではないのでしょうね。ちょっと聴いてみたいです。と、思ったら、ばんちさんの情報によると、松井秀喜もポピュラー曲の譜面なら初見で軽々弾けるくらいピアノが弾けるらしい、との事です。ほお。

■ 2003/07/06

 『週間アスキー』に連載中の、青木光恵のエッセーマンガ「女子(秘)パソコン事情」(というタイトルですがパソコンの話題はほとんど出てこない)楽しみにしているのですが、前の前の号(7月8日号)に、こんな記述がありました。

6月△日(土)
なんや上手く仕事に集中ができなくて
何も進まないまま一日が終わる
[ポケーーとパソコン画面を見る絵]

翌日(日)
なんや上手く仕事に(以下略)
何も進まないまま(以下略)
[犬といっしょに昼寝している絵]

翌々日(月)
なんや知らんけどスケジュールパンパンで
どれから片づけていいか判らず
あせって仕事に集中できない

「なんで!? なんで1Pでもひとコマでも進めとけへんかってんや!!
あたしのアホ ボケ カス!!
なんで!?」
[脂汗を流しながら叫ぶ青木先生の絵]
――そんな15年間を繰り返しています

 私は、もちろん青木光恵先生とは仕事の量も、大変さも、ぜんぜん違うでしょうから、こんなこと言ったら怒られちゃうでしょうが、これ……非常ーーーによくわかります。こう言ってはなんですが、この自業自得なところ、まったく私と同じです。今年は、私的には史上最大の週9コマ、漫画家的に言うと連載9本かかえてるので(もちろん単純比較はできませんが)私的にはもうかなりキツイっす……。いや、だから自業自得なんですけどね……。
 で、上の続きですが、青木さんは上の叫びを同業者にメールしたらしいのですが、それに対して来たレスが

胸かきむしるくらいわかるよその気持ち。 たぶん土日のしわ寄せじゃなくて
15年前からのしわ寄せがまだ続いてるんだよ俺ら。

 それを読んだ青木さん

そりゃ15年分のしわ寄せ来てたら大変やわ〜〜!!
[無理無理〜〜いやー ハハハハ と笑う絵]
――で
この15年分のしわ寄せは
どうやったらなおるんでしょう……?


 ハハハハハ。
……てなことを書いているうちに、気が付くとなんや知らんけど日曜の夜なんですけど……。

■ 2003/07/07

 わあ、そんなヒマないのに、また社会ニューフ、更新しちゃった。ヒマニズムを掲げてると、ヒマじゃないのにヒマなフリしなくちゃいけないから、大変だなあ……まったく。
 それにしても、そろそろあの動物から離れないとなー。飽きられるなー。ていうかそんなに読者もいないだろうけど……。

■ 2003/07/09

 山岸凉子『舞姫 テレプシコーラ』の続き。結局また最初から読み直してしまった。しかし、主人公の少女たち、小学校高学年にして大人すぎ……。特に主人公の姉の篠原千花、実年齢では私の娘であってもまったく不思議ではない年(途中から中学一年)でありながら(オ、オソロシイ)少なくとも私より明らかに大人であるところが、すごい(千花ちゃんが?私が?) いろいろ教えられることが多いです。

電車の網棚はブラック・ホールだよ
置くと必ず忘れるからね
(4巻での千花のセリフ)


 そうかー……。また一つ大人になれました。ありがとうございました、千花さん……。
 それにしても、これはフィクションだから、現実はまた違うでしょうが、子供の世界ってのも大変そうですね。学校に塾に、超多忙。その上ドロドロした人間関係。ボク大人だからわかんなーい。よかった、気楽な大人で。
 ところで、1・2巻を読み直したのですが、買ったはずの3巻、ブラックホール化した私の部屋の中で行方不明。あー、読みてー。買っちゃうかも。こうして同じ本が2冊、てのが増えていくんだよなあ。

■ 2003/07/10

 今年から、山梨県の大月市で週一回授業をやっているのですが、その帰り、大月駅前の喫茶店アダージョで食事をする習慣になっています。ランチタイムは2時半までで、私が行く時間には終わっています(ランチはとてもおいしそうなんですが)。というか、二階がレストランなんですよね。こっちも一回行ってみたい。
 というわけで、いつも、オールタイムのメニューであるサンドイッチをたべます。が、このサンドイッチ(BLTサンド)初めて食べたときにとてもおいしく、それ以来BLTサンドにはまってしまい、家でもしょっちゅう作って食べるようになりました。BLTは、ご存知だと思いますがベーコン・レタス・トマトの略です。
 食パン2枚、ベーコンを乗せてオーブントースターで焼く>一枚の食パンの上にのトマト(輪切り)レタス少々、キュウリのピクルス(輪切り)を乗せる>マヨネーズと粒入りマスタードをかける>もう一枚の食パンで蓋をする>真ん中を切る
 という感じで私は作っています。最初はレタスも入れていたのですが、みなさん、レタスって、腐ると液状化するんですね! というわけで、もう冷蔵庫の中でエイリアンの体液のようなものは見たくないので、最近はトマトだけ。したがってBTサンドです。(こんなこと書くとまた親に怒られるなあ)。
 けっこうピクルスがポイントだと思うのですが、最初、某国製の安いのを買ったら、なーんか、気のせいかもしれませんが薬臭く感じておいしくない。というわけで、ドイツ製のものを買うようになりました(結構おいしい)。

■ 2003/07/16

 主に鳥撮影のために、中古の一眼レフ(キャノンEOSkiss)と80-300mmの望遠ズームレンズ(純正)をHARD OFFで買った(あわせて2万弱)、ということは大分前に書いたように思います。その後、結構いろいろ撮っているのですが、このページで紹介しよう、と思いつつ結局してない。で、このレンズ、川岸からカモを撮影する分には十分で、満足しているのですが、カモシーズンも終わり、だんだん写真そのものの面白さが感じられるようになってくると、やっぱり広角レンズも欲しいなあ、という欲が出てきました。というわけで、同じHARD OFFで、たまたまあった、タムロンというメーカーの28-80mm(f3.5-5.6)のズームレンズ(もちろん中古)を買いました(5000円)。値段からいってもたぶん安物なんでしょうし、しかもこの中古価格が適正なのかもぜんぜんわかりません。カメラに詳しい人には「えー?そんなの買ったの?」とか言われるのかもしれませんが、なにしろめんどくさがりなもので、たまたま店頭にあったから買った、というだけです。しかし、ちょっとデザインが変わっていて、私はとても気に入りました。

■ 2003/07/17

 今日は昼間授業がなかったので、乞田川を散歩していたら、カルガモ以外のカモ発見! コガモでした。びっくりしました。前にも書いたと思いますが、ほとんどのカモは渡り鳥で、春先に北に渡ってしまい、日本で夏を越すのは基本的にカルガモだけです。ということは、このコガモは渡りそこねたのか、はたまたもう戻ってきたのか(普通はもどってくるのは秋です)。もちろん写真にとりましたが、デジカメと違って現像するまでお見せできないのは、ちょっとめんどくさいですね(でもやっぱり画質はぜんぜん違う)。そのうち、カモコーナーを作ります。て、主に楽しむのは作者だけだと思いますが。

■ 2003/07/18

 一回分を短くして、そのかわり毎日更新しよう、と意気込んだものの即座に挫折。その後しばらくは、2・3日分まとめて更新、という形で日付だけはほぼ日記になっていたが、実はそれも、結局更新日に全部書いて、話題ごとに適当に日付を割り振っていた。意味ねー。もちろん、今回もそうです。
 今日の話題はまたもや『舞姫 テレプシコーラ』(メディアファクトリー)。というか、自分でもどうかしている、と思うほど、このマンガにはまりつつあります。というか、バレエというものに急に興味が出てきたのです。3日の日記では、バレエをバレーと表記していた、というレベルだったのに(今は直してあります)。踊りのBALLETはバレエと表記するのが普通なんですね? いや、なんか変だな、とは思ったのですが。
 『舞姫 テレプシコーラ』は、バレエの知識がないまま読んでも十分すごいマンガだ、ということは分かるのですが、読み返しているうちに、マンガで描かれているバレエそのものを、見たくなってきました。というわけで、とりあえず、amazonで注文して、キーロフ・バレエのくるみ割り人形のDVDを買ってしまいました。これを見ておかないと『舞姫 テレプシコーラ』4巻はよくわからない、というところがある。ふむふむ、これはワイノーネン版で、千花が出演するピーター・ライト版とは違うわけだ……なーんて、すでにうんちくを語りはじめています。バレエのテクニックにも、それぞれフランス語でかっこいい名前がついていて、細かく見ようと思えばいくらでもできる。うんちくを語りやすい世界ですね。面白い。バレエ。というわけでただいま研究中。とりあえず、ダンスマガジン編のムック本『バレエって、何?』(新書館)、鈴木晶の『バレエへの招待』(ちくまプリマーブックス)、といういかにも初心者の本を購入しました。
 ……が、バレエというのは一方で一種差別的な視線にさらされているところがあると思う。ようするに、志村けんの東村山音頭一丁目、とか、男性ダンサーのもっこり、とか、そういうイメージですね。私の中にもそういう意識はどこかにあったかもしれない……。しかし、そういう心理的壁(?)のためにバレエファン(特に男性)の数が少ないとすると、もったいないように思います。ずいぶん面白い世界みたいですよ。バレエ。

 芸術や文化には、普遍性の高いものとそうでないものとがあります。たとえば現代では、世界の多くの人がアメリカ映画に感動し、アメリカのポピュラー音楽を聴いています。これはアメリカの経済力と無縁ではないでしょうが、それだけで説明できることではありません。アメリカの文化は全体的に普遍性が高いのです。ただし、普遍性の高い芸術のほうが普遍性の低い芸術よりも優れているというわけではありません。つまり普遍性が高いか低いかということは、優れているかどうかとはかならずしも関係ありません。アメリカのポユラー・ソングと日本の演歌のどちらが優れているかという問いはあまり意味がありませんが、前者のほうが後者よりも普遍性が高いということはできます。(……)バレエはヨーロッパで生まれた芸術ですが、こんなに世界的に浸透したのは、他のジャンルのダンスよりも普遍性が高かったからです。(鈴木晶『バレエへの招待』ちくまプリマーブックス、2002年、p.207f)

 なるほど。その辺の「普遍性」という事に関しては、ジャズについても感じていたことです。


■ 2003/07/19

 昨日は、やっと、映画「WATARIDORI」を観てきました。ずっと観そびれてきて、ついに町田で最終日、最終上映を観ました。ぎりぎりセーフ。ご存知のように、撮影期間3年、世界40ヶ国以上を訪れ、100種類以上の渡り鳥の旅を映像化したドキュメンタリーです。特に、特別に製作した超小型飛行機で、飛行中の鳥たちを至近距離から撮影した映像は、話題になりました。評判もいいので、鳥好きの私としてはかなり期待して行きました。
 さて、感想です。まず、タイトルがうつってオヤと思いました。Le peuple migrateur と出ています。私はてっきりWATARIDORIというのは原題かと思っていました。アルファベットになっている、ということは、同じフランス人の監督リュック・ベッソンの「WASABI」と同じように(あれは広末が出てたけど)監督のジャック・ペランが、渡り鳥を意味する日本語をタイトルとして採用した、ということなのか、と思っていました。じゃないてことは、これは、アルファベットであるにもかかわらず、邦題なのね? 最近、原題そのままのカタカナ邦題が多いですが、それとはまた違う意味で、ちょっと気持ち悪い邦題だなあ。ま、内容には関係ないんだけど。
 そして、いよいよ本編がはじまりました。おー、鳥と並んで飛びながら撮影したシーン、期待に違わず、すばらしい! まるで自分も鳥になったような気分だ! あー、きれいだった。……終わり。
 ……いや、決して、悪くはないです。なかなかよかった。……が、期待したほどではなかったかも。てことで、文句を書いてしまいますが、これから観に行こうとおもっている人は、気にせずに観に行って下さい! 決して悪くはないんで……。そうだ、以下は、まだ観てない人は観た後でお読み下さい。


 文句1 出てくる鳥が偏っている。特に、飛翔シーンは、ガンばかり。たぶん刷り込みしやすいとかそういうことがあったのだろう。そして、私の愛するカモたちがまったく出てこない! これは大いに不満です<て結局そういうことかよ。 最後の方になってきたら、「またガンかよー。カモ出せー!カモー!」と心の中で叫んでました。
 文句2 演出過多。これは、まあある程度予想したことだったんですけどね。なんと言ってもただ単に鳥が飛んでるだけの映画ですから。それで1時間40分もたせるには、ある程度演出を加えないと、よほど鳥好きな人でもなければ、耐えられない、ということはあると思います。が、それにしても、ちょっとわざとらしく、思わせぶりな演出が多かったような気がする。例えば、群の中で一羽だけはぐれてしまう、とか、そういうシーンを、カット割りとBGM、効果音で、過剰に説明的に演出しているのです。各シーン、監督の想定しているタイトルが思い浮かぶようでした。「希望」「つかの間の休息」「驚愕」「逃走」「絶望」「非情な自然の摂理」とかね。ちょっとその辺、白けました。ヨーロッパ人は、動物を擬人化せずにはおれないのかな、とも思いましたが、そういうエセ文化論はガラでもないのでやめときます。
 あちこちで言われていますが、この映画は厳密にはドキュメンタリーではなく、むしろ鳥を使ったフィクションです。鳥は撮影機材に慣れさせるために卵から育てたものだし、さまざまなシチュエイションも、撮影のためにわざわざ作ったものだ、と監督自身が公言しているそうです。演出スタッフには、アニメ映画の監督も入っていたとか。まあその意味では確信犯的にやっているのであり、それはそれでいいのですが、どうも私は、見え隠れする「シナリオ」によって邪魔されて、鳥そのものの美しさを今ひとつ堪能できないようなもどかしさを感じてしまったんですよね……。
 文句3 あと、BGMがね。はっきりいって私の好みではありませんでした。クラシックだか、ロックだか、民族音楽だか、わかんないような感じ。癒し系? とにかく私はどうも好きになれなかった。しかも、例えば鳥の求愛ダンスに、リズムにあわせて太鼓の音を乗せたりするんですよ。そういうの、かえって邪魔だと思った。
 とにかく、このようにいろいろと必死でドラマ化しようとしているんだけど、そうは言っても結局セリフのない同じようなシーンが続くので、鳥好きのはずなんですが、実は私最後の方飽きてきました……。思うに、ヘタに映像詩みたいにしないで、もっと渡り鳥の生態などについての説明的なナレーションないし字幕を入れて、いわば学術的なものにした方が、かえって退屈せずに観ることができたのではないかなあ。たまーにナレーションも入るのですが、思わせぶりなポエムみたいなもんですし、また鳥の種類も一応字幕は出るんですが、全部ではないし。ていうか私があまりにNHKの動物ドキュメンタリーに慣れすぎてるってことかな(ある意味あれのすごさが確認されました)。まあ、最初から「映像詩」にしようとしてるんだからしょうがないのかもしれませんが。どうもセンスが私とは合わない感じだった。
 などと、例のごとく超長々と文句を書きましたが、繰り返しますが、悪いというわけではありません。例の飛翔シーンだけでも、観る価値は十分あると思います。て、いまさらフォローしても遅い?


■ 2003/07/21 辻元清美断固支持

 日本には判官贔屓という伝統もありますが、一方で、「水に落ちた犬は棒で叩け」ということわざもありますね。基本的に、私はどうもそういうのがあまり好きではありません。ま、私も、先日の阪神巨人戦のおりなどは「水に落ちたキョジンは棒で叩け」と思いましたけどね……。
 水に落ちたサルトル、水に落ちた社会主義、水に落ちた北朝鮮、嬉々として叩いてる人がいますね。それまで痛めつけられていて、たまりにたまった積年の恨みが爆発し、つい激しく叩いてしまっている人、なんていうのであれば、まだ理解はできるのですが。そうではなく、周りの様子を伺って、今なら叩いても大丈夫だ、と確認をとった上で「前からオレはいけ好かなかったんだ」と叩きまくる(しかも人の後ろから)て感じ、イヤですね。いや、私もそういうことをしているかもしれない。自戒の念も含めて、そう思います。
 辻元清美が議員辞職した時「ホラみたことか、オレは最初からあの女はいけ好かなかったんだ」というような意見をネット上でけっこうみかけました。主に保守的な男性から。でも女性でもあった。「正義ヅラしてたクセに、コソコソ不正してたのかよ」みたいな、要はそういうことですよね。しかし、小泉首相を初め、多くの国会議員は親族を政策秘書にしており(小泉の場合姉)その中には、秘書として働いているとはとてもいえないケースも大変多いとされます。だとすると、辻元氏だけが処罰されるのはおかしい。また、辻元氏の場合、流用といっても、私的に流用していたわけではないわけで、極悪人のような言われかたをするのはどうかと思います。が、まあそういうことをいくら言っても、辻元叩きをなさっている方々は「法をおかしたのは事実じゃないか」「発覚した後の態度が姑息じゃないか」「私たちの税金なんだから許せない」などと難癖をつけられるのだと思います。どうも、辻元叩きをする方々の中には、「法をやぶったこと」「正義ヅラしていたこと」云々が問題なのではなく、実は、「辻元さん」つまり「ああいう女」を叩くこと自体が問題だ、という人も多いのではないか、と邪推するのです。つまり、辻元叩きの裏には「口うるさい関西女はいけ好かない」という、コンプレックス、女性差別、地方差別、などがないまぜになったものもあるのではないか。「辻元の関西弁がハナにつく」と言っている人もいましたが、別にいいじゃないですか。私は逆に、女性の関西弁にとても魅力を感じるのですが。まあそれはいいんですが、とにかく、私に関していえば、前から辻元清美、ぜんぜん嫌いではないですし、どちらかといえば好感をもっていました。ルックスも含めてですよ。
 と書きましたが、私と違って、辻元さんがどうしてもガマンならん、という人もいるでしょうし、それはまあどうでもいいのです。人の好みはいろいろですし。私が気になったのは、辻元叩きの中には、「辻元のような女はいけ好かない」といういわば人格的反感と、「だから市民派だの護憲派だのってのは偽善的でロクでもないやつらなんだ」という主張とをぐちゃっとつなげているものが多かったのではないか、ということです。それは思考停止(この言葉はほんとは嫌いなんですが)ではないか。市民派、護憲派と言われる運動には、どのような問題があるのか、あったのか、という具体的検討をすっとばして、ぐちゃっとした「辻元いけ好かない」にまとめ上げてしまっているような感じがないだろうか。
 それはともかく、辻元氏に関して言えば、検察、マスコミこぞって、「悪人」ないし「バカ」のイメージ作りをやっているような感じで、どうにも嫌な感じです。逆に、小泉とか、石原慎太郎とか、プラスのイメージ作り、されてるように思います。私の感覚では、たとえば石原慎太郎とか、どうにもガマンならん、という感じなんですが。それは、彼の政治的立場、主張にたいする反発(だけ)ではありません。私は彼の人格・キャラクターが、でえーーーっきらいなのですが。もちろん、ルックスも含めてです。気が小さいのに去勢をはって、エラそうにしている。ホンネとやらを言ってれば、いさぎいい、男らしい、と喝采する人がいるので、ますます勘違いしてふんぞりかえっている。ああいうオヤジにだけは死んでもなりたくない、と私は思うんですが。あんなのになぜに人気がある(ということにされている)のか? さっぱりわかりません。
 が、考えてみると、私自身も「石原いけ好かねえ」を「ナショナリスト、いけ好かねえ」にぐちゃっと結びつけて思考停止しているという面は、あるかもしれない。と、あらためて反省してみました。


■ 2003/07/22 ジョイス

 今日は……うそ、ごめん。この日は、ブルーノート東京でジョイスのライブを見ました。ゲストは、ボサノバの「生ける伝説(とジョイスが紹介していた)」カルロス・リラでした。
 ジョイスは毎年ほぼ来日しているのですが、私は、一昨年に続いて二回目。ジョイスは、昔(7・8年前かな)テレビ東京で夜中「新星堂エバーグリーンミュージック」というのがあって、それで見たスタジオライブが超かっこよかったので、いっぺんにファンになりました(遅ればせながら)。ジョイスさんは立ってギターを弾くのですが、おかっぱの黒髪で、黒いワンピース。そして、弾きながら時々片足をひょいと後ろに蹴り上げるくせがあるのです。その時ジョイスさんは47・8歳ぐらいだったと思うのですが、その仕草もふくめて、とてもキュートだなあ、と思いました。しかし生み出される音楽は、キュートというよりは、まさに Hard Bossa でして、力強く、かつ知的。とにかく、超かっこいいのです。
 テコ・カルドーソ(sax.fl.)、トゥチ・モレーノ(ds.)の黄金のサイドメンは今回も一緒で(この二人がまた超かっこいいんですね)とてもよかったです。が、今回ジョイスさんはあまり足をあげていなかったように思います。ちょっと残念。

■ 2003/07/24 なるほど、これがグラン・フェッテね。

 引き続き、『舞姫 テレプシコーラ』(メディアファクトリー)にはまっております。つい何度も読み返してしまいます。こんなに一つのマンガにはまるというのは、ひさしぶりだ。山岸さんにとっては、『日出処天子』以来の代表作となるのではないか、という予感がする。傑作の誕生をリアルタイムで目撃するというわくわく感がある。さらには、私にとっては、バレエという広大な世界の入り口が見えてきた、というわくわく感がある。これまた久しぶりの感覚です。大学入ったばっかりのとき、スイングジャーナル別冊の『ジャズ名曲名盤』とかいうのをひっくり返しながら、FMのジャズ番組をラジカセで必死に録音し(エアーチェック(!) ポーズボタン押しまくり(!))「なるほど、これがアート・ペッパーか、ふむふむ」とか言っていたころを思い出します。
 ダンスマガジン編『バレエって、何?』(新書館)鈴木晶『バレエへの招待』(ちくまプリマーブックス)(どっちもいい本です)に続いて、赤尾雄人『バレエ・テクニックのすべて』(新書館)も購入。これ、いいです! まさに『テレプシコーラ』の参考書という感じ。いろいろなテクニックについて図解でわかりやすく解説してくれています。また、DVDも、キーロフの『くるみ割り人形』に続いて、『エッセンシャル・バレエ/ロシア・バレエのスターたち』も購入。これを観ながら、『バレエって、何?』をひっくり返しつつ、「なるほど、これがアナニアシヴィリか、ふむふむ。なるほど、これが grand fouette en tournant か。たしかにすごい。」とかやってます。てへ、初心者……。でも、確かにアナニアシヴィリ(グルジア生まれ、ボリショイ・バレエ、アメリカン・バレエ・シアターのプリマ・バレリーナ)という人は魅力的ですね。かっこいい。

■ 2003/07/28 

 関東地方は、ずっとじめじめした気持ち悪い天気が続いていたのですが、昨日当たりから、やっと夏になったか?という感じです。という時に、私は、いきなりこの夏の最高体温39度を記録して、一日中寝込んでいました(どうも近年風邪を引くと高熱を発する癖がついているようだ……)。体温は下がり、治ってはきたのですが、まだ調子悪い。締め切りがすぎた答案をいっさら*見ていないという状態なんですが、もう笑ってしまいますね。
 がまあ、いっさら採点していないのは、授業が終わった解放感でマンガなどを読みふけっていたからいけないのです。マンガとは、山岸凉子『アラベスク』(白泉社文庫)。言わずとしれた、山岸凉子の出世作にして、代表的バレエマンガです。やっぱりこれを読んどかねば。というか、実は以前、ちょっとだけ読みかけたことはあるのです。が、その時にはバレエの知識もほとんどなく(て今もないけど)、また、山岸さんの現在の作風とはまったく違って、お眼々に星(比喩じゃなくてほんとに全部の眼に入っている!)のドジで泣き虫な主人公のもとに、あり得ない王子様が現れる、みたいな典型的少女マンガのスタイルということもあり(『りぼん』での連載第一回は1971年、つまり30年以上前! 当時山岸さんは24歳)最初のところで挫折していたのです。しかし、ある程度『舞姫 テレプシコーラ』の研究を経た上で改めて読んでみると……超面白い! やっぱり、山岸凉子という人はすごい。このマンガ自体、ノンナという16歳の少女が超一流のバレリーナに成長していく、という物語なんですが、第二部の終了が1975年(第二部は『花とゆめ』連載)、この4年あまりの間に、山岸氏のマンガ自体が明らかに成長、というか進化しているんですよね。たとえば萩尾望都なんかは、70年代のころのマンガと最近のマンガでは、スタイル的にはほとんど変わっていないように思います。が、山岸凉子は、現在のスタイルと、71年のアラベスク第一回のころでは、まったくスタイルが違う。ジャズで言えばマイルス・デイヴィスみたいな。また、マイルス・デイヴィスの進化が、そのまま「ジャズの進化」と言える、というのと同様、大げさにいえば、山岸凉子の進化、とはそのまま「マンガの進化」と言えるのではないか、とも思います。山岸凉子、まさにマンガ界のリビング・レジェンド。
 とにかく、『アラベスク』だけを見ても、さっきも書いたように、最後の方は、第一回と比べただけでも、はるかに遠いところに来ているなあ、というのがわかるのです。第二部、とくにその後半の「金鎖」のエピソードなんかは、とても深い。文庫版2巻の解説で三浦雅士はこう書いていますが、たしかにその通りだと思います。

謎の女性カリン・ルービツが登場して、おそらく作者自身にさえ解明しきれないのではと思えるほど複雑な心理行動を展開するが、ここにすでに後年の『日出処の天子』の予兆があるといっていいだろう。物語としても絵としても、そう思わせる。(p.340)

 「絵」の変化に関していえば、例えば瞳の中の十時型の星は、第二部ではまったくなくなっています。が、やはり一番大きいのは「線」の変化だと思います。『テレプシコーラ』第4巻巻末の山岸凉子と水野英子との対談で、水野英子は山岸の線に関してこのように言っています。

あの線は衝撃的だったんですよ。あれから一斉にみんながあの細い線に流れましたから。漫画史的に言うと、あれで手塚タッチから解放されたの。私たちのようなドタッとした線ではなくて、あの細い線だからこそ『アラベスク』のバレエの軽やかさ、リアルな感じがとっても出たんだと思いますよ。(p.198)

 が、『アラベスク』第一部の初めの方では、やはりまだ「手塚タッチ」がかなり残っているのです。だから、第二部の最後の方と比べると、かなり絵の違いが際だっています。ちなみに、対談で山岸氏は、筆圧が弱かったためやむを得ずあの細い線のスタイルを編み出したのだ、と言っています。最近の山岸氏は、『テレプシコーラ』において、さらに新しいスタイルに突入しているように思うのですが、そのことはまた後ほど書きたいと思います。
 それから、『アラベスク』という作品は、『舞姫 テレプシコーラ』と比較しながら読むと、いろいろと面白いということもあります。そもそも、『アラベスク』第一回を読めばすぐわかることなのですが、「バレエ教師の母と才能のある姉をもつコンプレックスをもつ妹が主人公」ということで、二つの作品はまったく設定が同じなんですよね。ただ、『アラベスク』の方では、母親と姉はすぐに影が薄くなってほとんど登場しなくなるんですが。また、影をもったライバル、ヴェータ(あるいはマチュー、カリンも?)なんかは、須藤空美と重なりあうところもあるのだと思います(須藤空美の場合、「影」といってもその暗さはハンパじゃないすけどね)。それから、細かいところでは、アーシャのオットのセルゲイ、これは篠原姉妹のお父さん(今調べたら利夫という名前だった)だな〜とか。その他、あ、このエピソードは『テレプシコーラ』のあそことまったく同じ! というところもたくさんありました。と、以上、両方のマンガを読んだことのないひとにはおそらくまったくわからない話で、すいません。

*いっさら> 山梨弁で、「まったく」「全然」の意味。

永野潤著『図解雑学 サルトル』(ナツメ社、2003年)近日発売!(8月10日頃書店にならぶとのことです)



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2001年以前の日記 (不要ファイルを削除して空きを作ったので、古い日記全部復活させました。)