■ 2003/09/01
きのうは下北沢の美容室でライブをしました。なかなかいい感じのお店でした。エスニック風の内装(小物も売ってました)、店長さん(ソラミミスト安齋肇似)のファッションもエスニック風(というかヒッピー風)でした。曼陀羅のかかった壁の前でボサノバというのもなかなか面白かったです。予想以上に内輪以外のお客さんが来てくれて(全部で20人ぐらいでしょうか)良かったです。やはり下北沢という土地柄でしょうか。9月もまたやるかもしれませんのでよろしく。
* * *
6月17日、24日の朝日新聞夕刊「窓」欄に「手話は母語」という論説文が載り、その後、8月9日に「私の視点」欄で「ろう学校教育 手話のできる教師の増加を(村松孝徳)」が載りました。それらの記事で、日本のほとんどのろう学校では手話が教えられておらず、手話ができる先生も少ない、ということをはじめて知った人もいると思います。なぜろう学校で手話が教えられない(それどころか禁止されたりする)のか。それは、日本のろう教育が、「口話主義」という考え方を採用してきたからです。口話主義とは、ろうの子供達に、唇のうごきから話の内容を読みとる(読話)訓練と、発声(発語)の訓練を平行して行う口話法教育を重視する考え方です。アメリカで発生し、19世紀末に世界のろう教育で広まったこの考え方においては、手話を使うことは口話の妨げになる、として手話が禁止されました。その後、世界ではこの考え方の見直しも進んでいるのですが、日本のろう学校ではいまだに口話主義が主流だということです。
そうした口話主義を激しく批判し、手話は「音声言語を使うことのできない人のための、”不完全な”代替品」ではなく、「音声言語に匹敵する、複雑で洗練された構造をもつ言語である」という事実を訴え、「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」と宣言しているのが、木村晴美十市田泰弘氏の「ろう文化宣言―言語的少数者としてのろう者―」です(『現代思想』一九九五年三月号、『ろう文化』現代思想編集部・編 青土社 2000年に再録)。
授業で、ろう者の文化(ろう文化 Deaf culture )の話をするときには、山本おさむ氏の『わが指のオーケストラ』というマンガ(91〜2年に『ヤングチャンピオン』で連載)を紹介しています。大正から昭和初期を舞台にしたこのマンガは、日本のろう学校でどのように口話法が広まっていき、手話が弾圧されるようになったか、ということを、日本で唯一手話法を守り続けた大阪市立盲唖学校校長の高橋潔(実在の人物)を主人公に、詳しく描いています。なかなか、いいマンガです(アマゾン・オンラインブックストア)。
さて、この『わが指のオーケストラ』には、大正7年の米騒動と共に、大正12年の関東大震災が描かれています。大正12年9月1日に関東を襲った大地震と火災による被害は、死者10万人、重傷者3万人余におよんだということです。しかし、関東大震災における死者は、地震と火災による死者だけではなかったわけです。以下は、関東大震災で生き残った東京聾唖学校生徒の一作という登場人物が、震災の状況を語る(もちろん手話で)場面です。
一作 地獄です……東京は…まさに地獄です 東京の荒川を渡って 埼玉県の大宮まで線路を歩いて やっと汽車に乗れました その間に何百…何千もの死体を見ました 壊れかけたビルには 殺された朝鮮人の死体が針金で縛りつけてありました 川では自警団に殺され投げ込まれた死体にウジがわいていました
高橋潔 何故だ!? 朝鮮の人達が暴動を起こしたというのは本当なのか!?
一作 デマです!! そんな事はありません おかしいのは軍隊や警察や自警団の連中です!! 連中は片っぱしから朝鮮人を見つけては追い回し捕まえて よってたかって虐殺しました そして…… 殺されたのは朝鮮人や社会主義者だけではありません ろうあ者も殺されました!! 東京聾唖学校の生徒も殺されました!!
高橋潔 何故だ!! 何故ろうあ者が!!
一作 50円50銭です……朝鮮の人は大体「こちゅーえんこちゅーせん」と発音するんだそうです だから憲兵に「50円50銭」と言ってみろと言われ でも黙って答えませんでした その ろうあの生徒は憲兵に呼び止められても耳がきこえないために答えられませんでした だから…朝鮮人だと思われて 憲兵に連れていかれ殺されました
(山本おさむ『わが指のオーケストラ』第22話、秋田文庫、第二巻、238〜242ページ)
マンガの一シーンではありますが、これは実話に基づいて描かれています。
いうまでもなく、これは、ろう者が朝鮮人と「間違えられて」しまったという悲劇、ではありません。そもそも、朝鮮人や社会主義者が暴動を起こした、という情報に関しても、それは確かに「間違い」であり「デマ」だったわけですが、問題の本質はそこにはない、とも言えます。恐怖にかられた市民たちは、その暴力の矛先を、まさに「間違わずに(正確に)」自分たちが差別してきた「他者」たちに向けたわけです。この辺の構図は、(単純化しすぎという批判はあるにせよ)あのボーリング・フォー・コロンバインが描いていたのとまったく同じ構図です。『わが指のオーケストラ』では、自らろう者でもある、大阪市立盲唖学校の福田先生はこう語っています。
我々が おし つんぼと 差別を受けてきた事と 今度の震災で朝鮮人や社会主義者が虐殺された事は 決して無関係じゃない 国家は権力を維持し強化するために差別の体制を作りあげ……軍隊や警察や市民に差別を実行させるんだ
(同書第23話、秋田文庫、第二巻、245〜246ページ)
■ 2003/09/02
今日は、夏休み後最初の授業でした。某看護学校での論理学の授業なのですが、後期からの授業なので、その意味でも最初の授業でした。久しぶりの授業なので気負ってしまったところがあり、知らず知らずのうちにヤケクソ気味にテンションが上がっていたようです。2コマ続きの授業の1コマ目が終わった後の休み時間に、さっそく書いてもらった授業の感想を読んでいたら、「見た目はおとなしそうなのに、しゃべり出すとテンションが高くておもしろい授業でした」と書いてあってびっくりしました。私は、めったにテンションが高いなどと言われない人間なので、なんだかうれしくなってしまい、2コマ目にはさらにテンションをあげて行ってみました。というわけで、ひさしぶりの2コマ続けての授業、かなり疲れてしまい、喉もちょっと痛くなりました。軟弱です……。
授業後、かねてからの予定通り、帰り道の渋谷にある東急bunkamuraに寄って、終了間近(7日(日)まで)の「フリーダ・カーロとその時代 メキシコの女性シュルレアリストたち」展を観に行きました。最近では展覧会に行くこともめったになく、久しぶりの展覧会です。が、さっきも書いたように、久々の授業ですっかり疲れてしまっていたので、会場についたのは5時過ぎだったのですが、6時半まで入場すればいいということでまだかなり時間があったので、会場に入る前に休んでから行くことにしました(な、軟弱……)。というわけで、bunkamura一階のロビーみたいなところにある喫茶コーナーに行くと、フリーダ展連動メニューということで、メキシコ風のデザートというのがありました。プリン入りのめずらしいコーヒーフロートです。おいしそうなのでそれにしました。
さて、フリーダの絵は、すばらしかったですが、とりわけ、生で見ると全然違うというタイプの絵かも、と思いました。画集では、やはりタッチとかテクスチュアは再現されませんね。で、フリーダのコーナーを見終わって角を曲がり、次のコーナーに入ったとたん、見覚えのある絵と、「バロ」という名前が目に飛び込んできて、「あ!」と思いました。レメディオス・バロは、美大出身の哲学者ひらい君のお気に入りの画家、ということで、かつて某大学の院生室で画集を見せてもらったことがあるのです。彼女がメキシコに亡命したフリーダと同年代の画家であり、今回の展覧会でも取り上げられている、ということ、全然知りませんでした。画集を見せてもらったときも、「たしかにこれはいい!」と思ったのですが、今回初めて「生」で見てみると、この人の絵も、画集では表現できないすばらしさを持ったタイプの絵だと思いました。とにかくすばらしかった。というわけで帰ろうとしていたら、会場の中で知り合いの先生にばったり出会ってびっくりしました。知っている人との意外な出会いのシンクロ体験でした。
で、当初は、ついでに、おなじbunkamuraの映画館で上映中の映画「フリーダ」も観る、という計画だったのですが、授業で立ち通しだった上に会場も歩き回って、足が疲れてしまったので、7時からの回には十分間に合ったものの、映画はまた出直してくることにしました(映画は少なくとも9月中旬まで上映ということだったので)。ていうか、映画は座って観るんだから足の疲れは関係ないやん、と自分でも思いましたが、とにかく帰ることに(軟弱)。ついでに会場そばのブックコーナーでフリーダ関連の本を数冊購入。映画を見る前にあらためて予習しておこう、ということなんですが、そういう風に知識から入ろうとするのがよくない、と自分でも思うんですけどね。「予習」すると、どうしても「あ、ここはおかしいな」というようにあら探しをしてしまいがちですからね。映画を観るまであえて読まないことにしようか。
で、bunkamuraを出た後に、おなかがすいていたので夕食を食べていくことに。渋谷駅の方向に向かってあるいていたら、ベトナム料理の看板を見つけたので、入ってみました。雑居ビルの二階のせまい店でしたが、それだけに、町田のフォーハウスと違って、けっこう本場「ぽい」ような感じが。とりあえず、生春巻きとフォーと、ベトナムの「333(バーバーバー)ビール」をたのみました。まず来たのがバーバーバービール。すると、缶のプルトップが、はずれるタイプのやつでした。超なつかすぃ!昔は逆に、輸入品のコーラなんかがはずれないタイプのプルトップで、めずらしかったんですけどね。で、生春巻き、フォーと、次々とやってきました。おいしかったです。フォーは、町田のフォーハウスのもの(どちらかというと日本のソバやウドンぽい)と比較すると、もうちょっとあぶらっこくて、ラーメンに近い感じでした。でも、メニューには「ベトナムきしめん」と書いてあった。
■ 2003/09/05
ついに、〈あれ〉が〈あれ〉しそうです。ていうかぶっちゃけ、阪神が優勝しちゃいそうです。ていうか優勝します。
ところで、私は4年前、ドラゴンズ優勝のときこんなネタを日記に書いているんですよねー。
思えばあれが大きかったんだよなあ……一昨年のオフの中日阪神の大型トレード。あれは、びっくりしたなあ。あれがあって、今年の阪神と今年の中日の明暗が分かれたわけです。阪神から中日にいった選手はほんとに損したと思ってるだろうなあ。逆に、阪神に残った選手は、トレードされなくてよかった、と本当に思ってるだろうな。中日にのこった選手も損したよな。うんうん。
いやー、よかったね。関川選手、久慈選手!優勝おめでとう!ほんとに、阪神に残ってよかったね。それにしても、あのトレードはすごかったなあ。なにしろ、ほとんどの選手が入れ替わっちゃったからねえ。監督や球団職員まで、全部入れ替わった、というのは、プロ野球史上はじめてだったよね。わずかに、トレードされずに阪神に残ったのが関川、久慈のたった二人だもんね。その二人が今年活躍して、優勝に貢献したというのも、ほんとに感慨深いね。そうそう、あんまりすごいトレードだったから、なんか、阪神と中日を間違う、という混乱が、結局今年のシーズンも終わるというのに、まだ続いてるよね。まあ、ユニホームの新調も間に合わなかったんで、阪神に移籍した選手も、中日のユニホームのまま試合をしていた、というのも大きいね。でも、もう2年目なんだからさあ、優勝したときぐらい、そろそろちゃんと自分のチームのユニホーム着てほしいなあ。ま、とにかく、優勝おめでとう!星野阪神タイガース!おめでとう!関川、おめでとう!久慈!
99年10月01日 01時56分55秒
今になってみると、すごい予言ですね、これ。これを書いたときには、まさか本当に「星野阪神タイガース」が優勝する日がくるなんて、思ってもみなかったんですけど。
というわけで、いやがうえにも気分が高揚してきているか、というと、そうでもなくて。なんか、どうも乗り切れません。この日記でも今シーズンになってめっきり阪神の話題が減っています。が、そうやって、阪神ファンは他とちょっと違うんだ、とばかりにひねくれて見せる、というのも、ヤらしいというか……すなおに喜べばいいじゃんか、とも思います。先日実家(和歌山)に帰ったとき、そういうひねくれタイガースファンの典型のような、「タイガースに優勝してほしくないタイガースファンの会」とかいう人たちが、今の阪神、また今年の優勝に対する違和感を表明した本が売ってました。思わず買って読んでみたのですが、まえがきでの彼等の主張にはとても共感するところがありました(が、この本は羊頭狗肉でして、〜の会が書いているのはほんのちょっとで、あとはひねりのない普通のタイガースうんちく本でした)。この本、もうちょっと詳しく紹介したいのですが、実家に置いてきてしまいまして、うちの近所の本屋には売っていない。いまネットでしらべたら、ネットの本屋でもグーグルでもひっかからない。聞いたことない出版社だったからなあ……。というわけで、書名すらわかりません。
で、私がどうも今年の阪神の大躍進にのりきれない大きな要因の一つが、星野です。確かに、星野のおかげで強くなったのは事実なのかもしれないけど、どうも私は星野が好きではない。有名な鉄拳制裁に象徴される、強権的、専制的な監督手法は、阪神のイメージとはそぐわないような気が、私などはしてしまいます。そういえば、オフには、情け容赦ない大量解雇もありました。これはまさに粛清です。そう、星野、星、スター……リン!というわけで、私としては、アンチジャイアンツにしてアンチ星野、つまり反ジャイ反スタ、なのです。
今年の星リン星野の強権発動を象徴する事件が、有名なトラッキーの「中の人」解雇事件です。トラッキーとは、阪神球団マスコットのトラのキグルミなんですが(オスのトラがトラッキー、メストラのキグルミもいて、それはラッキー)バック転など派手なパフォーマンスで人気だったこのマスコットの「中の人」が、今年4月、突然解雇されたのです。選手からラリアットを受けて倒れてみたり、横浜・佐伯と試合前にプロレス技の掛け合いをしたり、などのパフォーマンスが、「暴力的で子供の教育上よくない」とかいうのが、表向きの理由だったようですが、決定的だったのは、お立ち台に上がった赤星に、小道具のムーアの付け髭を渡して付けさせたことだったと言われます。とにかく、星リン星野はそういうおふざけが大嫌い。というわけで、星リンが激怒し、星リンの顔色を窺う球団側が中の人を解雇した、という噂です(星リン自身は否定している)。しかし、中の人(Aさん、30代)の人気は高く、「私たちのトラッキーを返して!」という署名運動さえあります。
星リンがトラッキーを追放か……スターリンがトラッキーを追放……トラッキー……はっ!!Σ(゜□゜; ト、ト○ッキー!? というわけで、こんなんつくってみました。
■ 2003/09/13
阪神はイラクである、って奴がいてさ。誰がフセインかは別にして、僕らはバース党員なんだよ。いまだにバースが恋しくてさ。
盛り上がらない、などといいつつ、雑誌『Number』の「阪神の国 ニッポン」特集を買ってしまいました(この特集タイトルは私の日記のパクリじゃないか??<自意識過剰)。で、それに再録されていたのですが、上の引用は、かつてナンバー264号に載った柄谷行人の言葉です。あらためて引用してみるとそれほど面白いわけでもないようにも思いますが……。
他にも、井上章一『「あと一球っ!』の精神史―阪神ファンとして生きる意味―』(太田出版)も買いました。こちらは、優勝目前にして緊急出版で書き殴った、と言う感じのエッセー。でもさすがに面白いです。前書いたかもしれませんが、この人の『阪神タイガースの正体』(太田出版)はとても面白かった。
さて、先日部屋の片づけをしていると、展覧会のカタログが出てきました。ん?『レメディオス・バロ展』 Σ(゜□゜; えー、前々回、私は、「バロを初めて生でみた、すばらしかった」などと、書いたわけですが……ていうか、あんた(=私)、ひらい君たちとバロ展行ったじゃん、何言ってんの、あんた(=私)。そんときも「すばらしい!」て言って図録買ったんじゃん。……いや、二回感動できたわけで、よかったじゃんか……。やばいかもしれません、私。しかし、1999年か……あれから4年もたってるんですね。ま、とにかく、バロはええよお〜。
展覧会といえば、水曜日は、茨城県笠間にある陶芸美術館に、ロシア・アヴァンギャルドの陶芸展を見に行ってきました。ロシア・アヴァンギャルドと陶芸、という取り合わせは、意外に思いますが、実際に見てみると、なるほどさすがにかっこいい、と納得させられます。ロドチェンコ・ルームプロジェクトというコーナーでは、陶芸だけでなく、ロドチェンコのデザインした家具、洋服、なども展示されていましたが、すばらしかったです。が、トラッキーの追放が1929年、30年代初頭には、この運動も星リンによって弾圧されちゃうわけです。
さて、明日はいよいよ「あれ」するか?……でも、どうせなら甲子園で勝って胴上げ、が盛り上がるんだけど……。特に、関東在住でケーブルテレビ契約もしていない私としては、甲子園の試合ならかろうじてインターネットで見られるので、明後日以降きぼんぬ。
■ 2003/09/16
ついに、あれ(注1)が、あれ(注2)しました。まあ、多くは語りますまい……。しかし、東京では、何事もなかったかのような日常の風景が(てあたりまえか)……。やっぱりその瞬間は、関西で、空気を感じたかったなあ。というわけで、ニュースステーションでビールかけを見ながら(録画しながら)一人缶ビールで祝杯をあげました。までも、それもまたいいかな。
で、今日は、また授業の帰りに渋谷bunkamuraに寄って、映画「フリーダ」を見てきました。というわけで、また無責任な感想を。これから観ようという人がお読みになる場合は、自己責任でお願いします(ていうほどたいしたことは書いてないですが)
まず冒頭のシーン。色がとてもきれいです。とても期待させます。少女時代のフリーダ登場。顔は、そっくり、ていうわけではありません。雰囲気で勝負、というところでしょうか。しかしですね、観終わった後で知ったんですが、主演のサルマ・ハエックは35歳だそうです。全然そうは見えなかった。少女時代も違和感なかった。むしろ晩年のフリーダの方が若すぎて違和感があったぐらい。ま、それはいいとして、しゃべりはじめたフリーダ、なんだ、セリフ英語かよ……どうもなじめませんね。こういうの。しかもスペイン語なまり。だったらスペイン語でやればいいのに。
(○×分経過)音楽はいいですね。歌の歌詞はスペイン語なのになあ。
(○×分経過)同志トラッキー(注3) キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ !!!!! 結構雰囲気出てますね。
(○×分経過)はうあっ!Σ(゜□゜;こ、これでわ単なるえろぢぢいではないかっ!!
(○×分経過)終了。
さて。なるほどね……という感じでしょうか(偉そうに)。まあ、これはしょうがないんだけど、映画としての芸術性が、フリーダの作品の芸術性に追いついていない、という恨みはありました。一流芸術家を描いた映画が一流映画になるかっていうと……。そういえば予告編でやってましたが、「ポロック」ていう映画も近日公開らしいです。
それからまあ、少女時代から晩年までを描いているために、さまざまなエピソードをなぞっただけという感じで、今ひとつ深みに欠ける、というのは否定できないと思います……。背景(共産主義、トロツキー、リベラと壁画運動、などなど)の描き方も薄っぺらで、いただけませんでした。までも、それなりに面白かった。観て損ということはない。フリーダ入門、という感じかなあ(結局偉そうでした)。
繰り返しですが、音楽がけっこうよかった。メキシコ音楽をちゃんと聴きたくなった。それから、テキーラを飲みたくなった(テキーラ好きなんですよねー)。
(注1)阪神 (注2)優勝 (注3)フリーダ夫妻は、メキシコに亡命中のトロツキーを一時かくまっていて、その時同志トロツキーはフリーダと恋愛関係に陥ったのであります。
■ 2003/09/19
そろそろ大学では後期授業がはじまります(すでにはじまっているところもあります)。また、論文締め切りが迫っているので、尻に火がついてきました。とにかく、これから一月半は本気で修羅場モードに入ります……。(といいつつホームページはしばらくは更新してしまいそうですが)。
某大学で、前期にとった学生による授業評価アンケートの集計結果が帰ってきました。不正を防ぐため(?)大学事務職員がわざわざ教室に来てアンケート用紙の配布・回収を行うようになった、ということを以前この日記で書いた大学です。で、まあこの学生による授業評価、受ける方としては正直に言えばあまり気持ちのいいものではありませんが、例の「大学の自己点検」てやつの一環で、基本的には、仕方ないかな、と思います。が、とにかくこの大学での私の授業は、受講人数か多くて、登録は全部で400人です。しかもこのアンケート、マークシートではなく手書きなので、回収されたアンケートは集計をとるためにすべてパソコンに手入力されるわけです。まあアンケートを全員が提出するわけではもちろんないのですが。大学の事務職員がなさっているのか、下請けに出しているのか知りませんが、なにしろご苦労さんなことです。私の授業の採点は、総合点を見ると、幸い、まあまあ、といったところでしょうか。で、アンケートは、いくつかの設問があって、「とてもいい」「ややいい」……などの欄にチェックをする、という風になっているのですが、最後に学生さんが自由に書き込めるコメント欄もあります。今回の結果報告書には、そこにどんなコメントが書かれていたかも載っていました。
良い
特になし
などもありますが、ちょっとわざとらしい
この授業はすばらしい!
もあります。そしてもちろん
黒板の字がきたなくて見づらい
もうちょっと早めに休講を知らせて欲しい。
など、苦情もあります。謙虚に受け止めさせていただきます。が、まあ、予想はされますが、こういうのも。
髪型を変えてほしい。
顔が変です。
Σ(゜□゜; たしかに変かもしれませんがね……。
まあ、こういうこと書く人はいるでしょう。が、それよりも私がなんとも言えなかったのは、このコメント、もとはもちろん手書きだったわけですが、集計表ではちゃんと印字されている、てことなのです。つまり、この「落書き」をいちいちパソコンに打ち込む作業をした人がいる、てことです……。しかも全授業について。ご苦労様なことでございます。ま、それを日記のネタにするために再びパソコンに打ち込んでいる私も十分アホですけどね……。
■ 2003/09/20
本気で修羅場モード、などといいながらつい関係ない本も買ってしまって……。光文社新書の『食わず嫌いのためのバレエ入門』(守山実花著)「クルクル、ヒラヒラ、不気味な男の白タイツ……に挫折したアナタ、必読です!」あはは。やはり、バレエ愛好者は、バレエは不当に嫌われたりバカにされたりしている、という意識があるらしい。でも、意欲はよくわかるのですが、極端な話、「バレエって○○だから嫌い」と「偏見」を持っている人に「いや、バレエって○○だからステキなんですよ」と言っているようなところがあって、空回りしているようにも思えました。「偏見」をすでに持ってしまっている人に、その偏見を棄てさせる、てのは難しいですね。ちなみに、私も、サルトル研究者として「サルトルは不当に嫌われたりバカにされたりしている」という意識が強いものですから、『図解雑学サルトル』は、『食わず嫌いのためのサルトル入門』にしたいという気持ちもあったのですが、やはりうまくは行ってないでしょうね……。
ところで、雑誌『ダカーポ』で「21世紀「哲学」のお勉強 消えゆく学問か、逆に今こそ必要な学問か?」という特集があったので買ってみました。中身は、まあ普通の哲学案内、みたいな感じだったのですが、中に、「あの哲学書はいまでも売れているのか?」というコーナーがあって、サルトルの主著、『存在と無』もとりあげられています。『存在と無』は、1956年から60年にかけて、サルトル全集の一部として3巻本でだされました。その後サルトル全集は絶版となったのですが、1999年に、『存在と無』は2巻本の新装版として再刊行されました(内容はまったく同じです)。この新装版が出るまでに、旧全集版の『存在と無』第I巻は約16万〜17万部売れたそうです。で、『ダカーポ』に載っている人文書院の谷さんという人の話によると、新装版を出したのは、(売るためというより)「哲学書の古典としてなくしたくないという気持ちからです」ということで、「発行部数は上巻が2700部、下巻が2400部で今も初版のままです」とあって愕然としました……。先日出た『図解雑学サルトル』は初版5000です……。サルトル本人の「主著」が、私ごときが書いた解説書のたった半分しか「刷られて」いないわけですね……。大学のキャンパスを『存在と無』をかかえて歩くのがかっこいい、と言われた本も、2500(も売れてない)ですか……落ちぶれたもんすね……。ま、この新装版、むちゃくちゃ高いので、無理もないところもあるのですが。しかし、つまりこれは、「サルトルなんかもうだめだ」だの「もう古い」だの言っている人は、サルトルをまったく読まずに言っているてことですね??
ちなみに、『ダカーポ』の発行部数は12万5000です。また、2002年のベストセラーの集計は以下のとおり。
◆『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』などシリーズ4巻、J・K・ローリング、静山社=1654万部
◆『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』向山淳子、向山貴彦、たかしまてつを、幻冬舎=150万部
◆『生きかた上手』日野原重明、ユーリーグ=120万部
◆『ベラベラブックVol.1』ぴあ=105万部
◆『老いてこそ人生』石原慎太郎、幻冬舎=70万部
◆『常識として知っておきたい日本語』柴田武、幻冬舎=70万部
◆『海辺のカフカ』上下、村上春樹、新潮社=60万3000部
◆『図解「儲け」のカラクリ』インタービジョン21編、三笠書房=54万8000部
◆『盲導犬クイールの一生』石黒謙吾、秋元良平、文芸春秋=51万7000部
◆『青空のむこう』アレックス・シアラー、求龍堂=40万部
(ここより。数字は出版社による累計。)
■ 2003/09/26
論文書いてます。いや、本当に書いてます。ていうか書いてます。書くんだ、書け!書くんだじょー!!
10月末締め切りなので、マジでやばいのです。
さて、ハラが辞めて、イシハラは辞めない……さっぱりわかりません。
ところで、このホームページを見た、という人からのメールというのは、めったに来ないのですが、今日、そんなメールがやってきました。うれしかったので載せちゃいます。
Yahoo!ジオシティーズです。
ご存知のとおりジオシティーズでは、「Yahoo!JAPAN 利用規約」および
「Yahoo! ジオシティーズガイドライン」等に沿ったホームページ作りを
お願いしております。
ところが、以下の点で違反しているとの申告がありました。(……)
違反項目
◎ジオガイド表示違反
次回違反が見つかりました場合には、ホームページの公開・利用を停止、または
ジオシティーズに転送されたファイルを削除させていただく場合があります。
お手数ですが、「Yahoo!JAPAN 利用規約」および「Yahoo!ジオシティーズガイド
ライン」を再度ご覧いただき、今後「Yahoo! ジオシティーズガイドライン」に
沿ったホームページ作りにご協力ください。
こ、これはこれは! も、もうし訳ございません〜〜!! ご親切に、申告してくださった方がいらっしゃったようです。早速違反箇所(と思われる部分)を訂正いたしましたので、お許しくださいませ〜〜!!ちなみに、規約およびガイドラインに、「ジオガイド表示違反」という言葉はないようなのですが……あ、いやいや「ジオシティーズ上で作成するすべてのHTMLページに自動的に掲載されるYahoo! JAPANの広告」のことっすよねえ!も〜ちろんわかってますとも〜〜!ごめんちゃい。
ところで、このホームページに載せている公開メールアドレス himanism@geocities.co.jp は、ジオシティーのアドレス(ジオ電子メール)だったのですが、このほど、この電子メールサービス自体が消滅してしまうのだそうです。送信(SMTP)サービスはすでに去年停止していたのですが、受信(POP)サービスも、10月いっぱいでなくなるとか。これは困りました。あちこちこのメールアドレスで登録したサービスがあるもんで、全部変えねばなりません。で、このサービス停止の通達、9月16日付けで出されてますが、私がこれを知ったのは今日です。というのも、まぐまぐ(メルマガサービス)から、ご親切にも、このままだと「まぐまぐ!」のメルマガ受け取れなくなりますよ、というメールがやってきたのです。まあ、ご親切に……ていうか、知らんがなΣ(゜□゜;
去年の送信サービス停止の時には、civics@geocities.co.jp というところろから、「重要なお知らせ」としてメールが来たのですが、ある意味でそれ以上に重要な今回のことに関しては、私のところにメールが来た形跡がありません(メールソフトで検索かけたんですが)。規約違反してたので私のところにはメールをくれなかったのでしょうか?? う〜〜ん、いけずなお方!
というわけで、従来の公開メールアドレス himanism@geocities.co.jp は使えなくなってしまいますので、以後は hanadairaxxxxxx とさせていただきます(非公開アドレスの方は変わりません)。
■ 2003/09/30
論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ論文書くぞ ほんとにここまでスクロールしたんですか……
某看護学校で論理学の授業をやってるのですが、そこで例文に人名を使うわけですね。今日、そのことに関して、このような感想が。
一つ疑問に思ったのは、今他の授業でやっている事例にでてくる名前と先生がつかっていた事例の名前が同じだったこと。偶然!?
(同様一通)
それはまた、すごい偶然ですね…… え?なんて名前だって? えーと……今岡さんと赤星さんと金本さん。すいません、安易で。ていうかはずかしい。でもどうやらなかまがいるらしい。
ところで、その某看護学校のそばを流れる川にカルガモがいることに、今日はじめて気が付きました。この学校もう何年も行っているのに、気が付かなかった……。私としたことが。川というより細ーいコンクリートの溝みたいな感じで、橋からかなり下を流れているというのと、いつも学校に行くときは急いでいるので川を見る余裕がなかったので……。言い訳ですね……まだまだ修行が足りないということです。でもこれから毎週楽しみが増えた。それにしても、プロ野球シーズンはもうすぐ終わりですが、てことはカモシーズンの到来、というわけで、楽しみだなあ。乞田川もまだカルガモしかいませんが。
『HEAVEN?』6巻買いました。そして終了です。なんか終わり方はちょっとなあ、と思いましたが。黒須仮名子ファンの私としてはちょっとさびしい。と思ったら、『トリック』がまたはじまるという朗報が……山田奈緒子ファンなもので。ていうか、論文……。
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2003>> 01 02 03 04 05 06 07 08
2002>> 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2001年以前の日記 (不要ファイルを削除して空きを作ったので、古い日記全部復活させました。)