■ 2003/11/05

 なんとか、論文書けました。まだ今後の作業はのこっていますが、とりあえずほっとしました。と思ったら、また風邪をひいてしまった。治ったばっかりなのに。この秋2回目です。
 カモは、大分もどってきました。オナガガモも増えました。エクリプスも、大分模様がはっきりして繁殖羽に近づいてきました。
 いまごろ、ウェザーリポートにはまっています。「8:30」と、最近出た未発表ライブ録音集「ライブ・アンド・アンリリースド」(ともに2枚組)を、4倍モードでMDに入れて聞いています。いまどきmp3プレーヤーではないところがあれですが。買おうかなあ……。といいつつ、実は後者の2枚目のCDが見つからない。どこいったんだろう。最近、ケースがどこかいっちゃったCDと、中身がどっかいっちゃったケースを、一カ所にあつめるようにしています。その集積所で、めでたく再会をはたし、無事旅立っていくCDも多いのですが、この画期的システムを開発したにもかかわらず、集積所には、いまだに迷子のCDとケースが堆く(うずたかく!こんな字だったのか!恥)つもっています。どういうことでしょうか。とうぜん、未発表ライブの二枚目もここにはない。なんか水色っぽいCDだったんだけど。知りませんか?
 CDは、まあいいんです。すごく気になって、しょっちゅう「あのCDどこいったかなあ」と探していますが、それでなかったとしても、まあしょうがないんですが。問題は本です。「ちょっと授業で(論文で)使いたいんだけど、あの本どこいったかなあ」という本探し、なんか毎日のようにやってます。それにかける時間、いったいどれぐらいとられてるのか。さがすってのは、結局積み上がった山をさがすわけですが、そうするとその山がしばしば崩れる。で、部屋がむちゃくちゃなことになる。急いでいるときにかぎって見つからない。ときどき、本棚の上の方を探していると、頭のうえにバラバラと本が降ってくることもあり、そんなときは、いてー!ちくしょー!!とキレて自ら棚の本をぶちまけたり、ということもたまにある。そうしてまた部屋がむちゃくちゃになり、泣きながら本の積み直しをする、というこの繰り返しです。こんな生活はもういやだ、というわけで、ついに、データベース化に着手しようか、と、そらおそろしいことを考え始めています。とりあえず、漢字変換にかける時間を省略すればけっこう早く打てるのでは、と思って、テクストファイルに、ひらがな固定変換で、著者、書名、出版社という項目でごく簡略なものを試みにある棚の前にモバイルギアを持っていってぱちぱち打ち込んでみたところ、意外と早くできるのではないか、ということで(csvにして後でエクセルに入れる予定)。これに、簡略な場所情報(どこの棚の何段目とか)を入れてやればいいのではないか!
 ……ていうか、そうすると今後使ったらちゃんともとの場所にもどさなくては意味なくなるんだよなあ……。私がそんなきちんとした人だったらそもそも今の状況は訪れていないわけで。ラベル貼るか……そこまでやるのもな。なんか、整理したいという欲求よりも、どちらかというとすべての情報を電子化したい、というビョーキのようなものと関係があるかもしれない。電子化すりゃいいってもんでもないんだけどね。
 まあとにかく、あとは勢いだ。やるぞー、とここで宣言しておこう。ほんとにやるのかな。

■ 2003/11/06

 ウェザーについて書こうとおもっていたのに、変な方向に行ってしまった。日付を変えてウェザーの話を書こう(日付は意味ない)。私は、ウェザーリポートはリアルタイムで聴いていてもおかしくはない年齢なんですが、昔は「フュージョン」というものが大嫌いだったので、全然聴いてませんでした。とうぜん、例のバードランドとか、耳にする機会はありましたが、嫌いでしたね。のーてんきなメロディーが鼻につく(耳につく、か)という感じで。私は昔は、フュージョンとは、ただたんにのーてんきでさわやかなだけのつまらん音楽、と思っていました(ほんとにそういうのも多かったと思いますが)。しかし、今思えば、ウェザーがのーてんき、というのは誤解でしたね。むしろ、ウェザーリポートの本質は「変態」だ、ということが、今になってわかります。とくに、やっぱりザビヌルという名前自体変態な人の変態力が大きいのでしょうが、この大変態に、ジャコ、ショーターというさらなる変態(かつ天才)がからみつき、しかもそれがブレンドされてすごいのができちゃってるよー、というのがウェザーではないか、というのが今のところの私の考えなのですが(てきとうですが)。といっても、ショーターはもうすでにちょっと別格の存在になっちゃってて、ザビヌルとジャコが作り出す変態粘着サウンドの上で、なんか老人が全裸で太極拳を飄々と舞っている、みたいな感じを私は受けるのですが。この3変態を、アースキンという超まじめな人がサポートしてるのがまたおかしい。とにかく、30年前に、これってことは、8:30のライナーにありますが「ウェザーがすべてやってしまった」という感じはしますね。

■ 2003/11/14

 あのあと、風邪をこじらせてしまいまして、大変でした。喘息に来てしまいました。いわゆる「喘息持ち」なのです。が、最近はたまにしかならないし、なっても軽症なので、甘く見ていました。ところが今回は、これまでで最悪に近いひどい発作になってしまいました。先週の木曜日、休講にして病院にいったら、入院してもいいぐらいだ、と言われたのですが、一泊4万円の部屋しかあいてない、ということでΣ(゜□゜; 点滴を2本、吸入、念のため酸素吸入までして、大分よくなったので帰ってきました。次の日も病院に行って半日点滴をうちました。まいりました。お医者さんに、喘息を甘く見てはいけない、とちょっと怒られてしまいました。その後も体調万全とはいいがたかったのですが、やっとそろそろ治ってきた感じです。みなさんも風邪にはお気をつけ下さい。
 そういえば、前、圧力鍋の重りがどっかいったまま(単なる鍋として)ずっと使っていたことがあったのですが、最近それに近い、というかそれよりひどいのをやっていました。電動歯ブラシの電池がなくなったのですが、替えるのがめんどくさくて、しばらく手動で使ってました。ええ、つまり普通の歯ブラシになります(重いですけど)。<たいして面白いネタでもありませんが。こんな私なので、データベース化とか、絶対無理だ、と自分でも思います。

■ 2003/11/16

 某大学の授業で手塚治虫の『火の鳥』の話をしている関係で、この機会に『火の鳥』を読み直しています。これが、やはりすごい。が、そんなことはみんながみんな言っていることなのであえて繰り返すことはやめましょう。角川文庫版で読み直しているのですが、昔読んだ巻と、読んでいない巻がありました(なんとなく、全部読んだような気になっていた)。で、読んだことのある巻は、本当に細部まで覚えているので驚きました。私が『火の鳥』を読んだのは、おそらく小学生のとき、もう20年以上前なんですが。当時は手塚治虫はまだ現役ばりばりで、かつ巨匠という位置づけでした。が、『火の鳥』は、大人向けというか、まわりの小学生は存在も知らない人が多かったように思います(なんか自慢してるみたいですが)。私の場合も、自分で読もうと思った、というよりは親が持っていたので読んだ、という感じです。当時読んだときは、強い印象をもった記憶があります。ときどきあらわれるちょっと古いセンスのギャグ的表現にとまどいながらも、なんだかすごい話だ、と圧倒されたように思います。で、今回20年以上ぶりに読み直してみたところ、当時と同じように圧倒されてしまったので、あらためて感心した、という次第です。ただ単に壮大なだけの薄っぺらい話、というのならいくらもありますが、『火の鳥』は壮大にして、なおかつ濃密です。といっても、長い期間にわたって断続的に書かれた各巻の間には、雰囲気と密度にかなりな差があるようです。まだ全巻読んではいないのですが、いまのところ、やはり初期のころのがすごいですね。どれもすばらしいですが、1969年に連載された『鳳凰編』は、ストーリー、絵、どちらをとっても非常に密度の高い、大傑作だと思います。
 で、今回、70年代、80代に書かれた後期の諸巻をほとんどはじめて読みました。「ほとんど」と書いたのは、中には、当時私が雑誌に連載されていたものをリアルタイムで読んだものもあったからです(『望郷編』『乱世編』など)。『COM』という幻の雑誌(私が小学生の時にはすでに廃刊となっていた)に連載された初期の諸巻を、私はいわば幻の傑作として単行本で読んだわけですが、そのころ(今調べたら1976年、小学6年生のとき)朝日ソノラマが『マンガ少年』という雑誌を創刊し、その目玉のひとつが「手塚治虫があの幻の傑作『火の鳥』を連載!」というのでした。この雑誌は、その他の作家のラインナップも含めて、「あの幻の雑誌『COM』の再来」みたいな位置づけで、かなりマニアックな感じの雑誌でした。というわけでこちらもしばらしくて休刊になり、いまややはり幻の雑誌となってしまいましたが。親もマンガずきであった我が家では、この雑誌を当初毎月買っていました。で、そこに連載されたものは、部分的に覚えていて、これまた懐かしかった(結末は覚えていなかったりした)。80年代以降の作品については、今回初めて読みました。特に、手塚が完成させた『火の鳥』の最後の巻、文庫本では上中下の3分冊になっている『太陽編』は、ちょっと手塚らしくない異質な雰囲気もあって、不思議な作品でした。これは角川の『野生時代』(これもいまはない雑誌だ)に86年に連載されたそうなのですが、このころ私は大学生で、手塚に対する関心が薄かった時期らしく、雑誌連載も読んでいません。
 さて、今回読み直してみて、気が付いたのは、宮崎駿の作品との共通性なのです。そんなこといまさらな話題なのかもしれませんが、私としては、意外な盲点というか、そうか、こんなに似ていたんだ、とちょっとおどろきました。たとえば、『太陽編』。これ、ほとんど「もののけ姫」です。狗族という土着の神々と人間との戦い、さらに狗族が蝦夷を思わせる姿に描かれているところ、また、異質な出自をもった主人公が人間と土着神の狭間にたって活躍するところ、など、ほとんどそのままです。て、いうかですね、不死の力を持つ神(シシ神)の首を求めて人間が……て、火の鳥じゃん(鳥が鹿に変わってるけど)。今回はじめて気が付きました(にぶいですね)。『乱世編』『鳳凰編』なんかも、仏教の扱いなど、『もののけ姫』とちょっと似ているかもしれません。さらに、マンガ版ナウシカを思わせるものも『火の鳥』にはたくさんあるように思います。『太陽編』に関しては、もう一つあります。この作品は、過去と未来が一巻の中で交錯する、という、『火の鳥』にしてはめずらしい構成なのですが、この未来のエピソードのほうは、妙に『未来少年コナン』に似ているのです。もろ三角塔みたいのが出てくるし、奴隷が反乱を起こして地下から出てくるところもそっくり。あとは、『異形編』の、異人歓待エピソード、つまり異形の「もののけ」(神)が癒されるために時空を越えた場所(蓬莱寺)に集まってくるところ、これはかなり『千と千尋』です。
 他にもあるのでしょうが、今回私が気づいたのはそんなところです。さて、これは、(1)宮崎が直接『火の鳥』を参考にした(2)無意識のうちに影響を受けた(3)二人の発想が共通しているので自然と似た作品になった、等々いろいろな可能性がありますが、そうした詮索はどうでもいいように思います。二人の作品どちらも共通して面白い、それでいいと思います。だいたい、よく考えてみると、『太陽編』が発表された1986年、「未来少年コナン」はもちろんのこと、「ナウシカ」もすでに世に出ていたわけですよね。てことは、逆に手塚が宮崎の影響を受けた可能性もある。
 が、さらにいえば、宮崎だけではありません。ここ20年のマンガ・アニメの傑作に見られるアイデアは、ことごとく『火の鳥』の中にある、とすらいえそうに思ってしまう。例えばエヴァンゲリオンにしたって、使徒=火の鳥とも言えるし、クローンのような話はすでに火の鳥の中でしょっちゅうでてくる。ま、そこまでいったらなんでも『火の鳥』のパクリってことになっちゃうので、言ってもしかたないんですが。まあとにかく、ちょっと長くなってしまったので、火の鳥はすごいと、そういうありきたりな感想でおわっときます。もうちょっと作品自体の分析もしたいのと、宮崎にはまっていたころの昔話を書こうと思っていたんだけど、時間もないので今日はこの辺で。

■ 2003/11/17

 昨日の続きです。桜井哲夫氏の『手塚治虫―時代と切り結ぶ表現者』(講談社現代新書)を読みました。大変面白かったです。実は今度書いた論文で手塚治虫のことも書いたのですが、私の書いたことがそんなに的はずれではなかったかな、と勇気づけられた部分もありました(ていうかもっと早く読んでおくべきだった)。で、これは論文に書いたこととは直接関係ないのですが、手塚治虫のことを読んでいると、私はどうしてもサルトルのことを考えてしまうのです。たとえば桜井氏の本の

手塚治虫の死は、確実にぼくに一つの時代のおわりをつげるものだった。(p7)
それでは、手塚治虫という天才の天才たるゆえんは、一体どこにあるのだろうか。一言でいってしまえば、彼が生涯、第一線で活躍する現役の知的職人であり続けたということである。(p10)

 というような文章は、「手塚」を「サルトル」に変えて誰かが書いていてもまったく不思議のない文章です。他にも、
 などなど、共通点はいくらでもある、と(私は)思うのですが。違いといえば、手塚はいまだに尊敬されているのに、サルトルはボロクソにいわれつくして忘却された、というところぐらいでしょうか。
 さて、桜井氏の本を読んで、さらにいろいろと手塚・サルトル関係について考えさせられました。
 まず、手塚は母親と仲が良く、父親に対しては最後まで嫌悪感を表明していたこと。これもサルトルと同じです(サルトルは継父ですが)。この辺は『図解雑学サルトル』を読んでね!(てへ。)
 それから、三島由紀夫との共通性に関する桜井氏の記述は特に興味深かった。というのも、私はかねがねサルトルと三島由紀夫の関係というのはどうなんだろう、と思っていたからです。一番わかりやすいエピソードは、ちょっとこじつけですが、三島も、サルトルと同じく、蟹が大嫌いだったそうなのです。三島は、「蟹という字を見るのも嫌いだ」と言っていたそうですが、その観念的なところも、なんかサルトルぽい。それはともかく、桜井氏の語る手塚と三島の関係です。

 しられているように、名門の血筋にうまれた三島は、生後四〇日で実の母親からひきはなされて、自分の夫をにくむ祖母にそだてられた(母のもとにもどったのは一〇歳の頃という)。そして、高級官僚の父は、彼が作家になることに徹底的に反対した。一方、加賀藩の儒者の家にうまれた母親は、文学好きで、義母や夫にあてつけるように、ひそかに三島が小説をかく手助けをした。三島は、生涯、父への嫌悪をいだきつづけたといわれる。
 三島と手塚治虫の気質のにているところは、彼らが徹底的に人工的な世界を構築することに情熱をかたむけたということだ。無機的といってもいい。絢爛華麗にみえようとも三島のえがく世界は、すべて観念的に構成された人工の無機的世界である。ドロドロとした現実のはいりこむ隙間はない。彼がみずからの人生すら一遍のフィクションにかえようとしてしまったことは、すでにしられているとおりである。
 手塚治虫はどうか。彼もまた無機的な人工的世界をつくりだすことに一生をついやしたといっていいのではないだろうか。(p39)


 で、ですね、この無機的人工的なものへの志向(それは「想像的なもの」への志向ともつながる)というのは、まさにサルトルにも当てはまると思うんです。祖父の書斎で、現実よりさきに百科事典を通じて世界を知った、と言っているサルトルは、生涯、自然的なものへの嫌悪と人工的なものへの好みを示しました。これも『図解雑学サルトル』のコラムを読んでね!(てへ。)
 まーこんなかんじで、きりがないのでやめときます。が、まあ、このへんはこじつけめいていますが、思想という点でも、桜井氏がまとめる手塚治虫の四つの思考様式のうちの少なくとも(1)と(2)は、まったくサルトルにも当てはまると思うのです。

(1)異質なものを排除すること(差別)への批判(現代マンガのもう一つのルーツたる劇画も出発点は、差別告発だった。このことは、戦後文化の中でマンガをかんがえるうえで、重要なポイントである)
(2)絶対的なものを信仰することへの疑義、すなわち一種の関係主義思想(「すべてを疑え」をモットーにしたのはマルクスだった)


■ 2003/11/18

 が、ですね、(長くなったので日付変えます。ておい。)もう一つ興味深いことがあるのです。それは、桜井哲夫氏とサルトルの関係なのです。上に引用した「手塚マンガの枠組」を「しらずしらずのうちに身につけてしまった」と言う桜井氏ですが、私の知る限り、氏はサルトルについて批判的にしか言及しません。といっても、サルトルに批判的な人自体はめずらしくもなんでもないのですが、桜井氏のサルトル批判の激しさは、かなりすごいです。たとえば、『フーコー』(講談社選書メチエ)では、フーコーと対比してなんどもサルトルが言及されているのですが、そこでのサルトル批判は、他のところの記述とバランスを欠いているのではないか、と思えるほど、執拗で、容赦のないものです(少なくとも私にはそう思えてしまいます)。

 主体性の哲学者サルトルから話を始めましょう。サルトルは[……]「デカルトの自由」という文章のなかで、概略、次のようなことを述べています。[桜井氏のまとめは省略]
 むずかしくて何を言っているのかわからないって? いえいえ、むずかしくはありません。なぜならこのセリフは、ふだんあなた方が会社の上司や学校の教師から言われているセリフだからです。
「何だ、この仕事は! どうなってるんだ。お前の責任はお前がとれ! お前が決めてお前がやった仕事の結果なんだからな。おれはお前に代わって責任なんかとれないからな。だめならクビだぞ。誰もお前のことなんか気にしちゃいないんだからな。会社に残れるか、クビになるか。どっちにするか決めるのはお前自身だ」
「お前の成績が悪いのは、主体的に授業に取り組んでこなかったからだ。おれの教え方がわるかったからじゃないぞ。学校のせいにするな」
 格下の相手の自己責任を問うイデオロギーの根源にあるのが、主体性論者サルトルの文章だなどと言うと、サルトル信奉者は目をむくかもしれませんね。しかし、よく考えてみて下さい。どこの誰が、会社という組織が過去からの積み重ねのうえでおこなってきた仕事の結果をひとりで負わなければならないのでしょうか?(p70)
([ ]内は引用者による省略。以下同)

 ちょ、ちょっとまってください(^^;) サルトルが憎いのはわかりますが、あきらかに暴走してませんか……。ていうか、これは「たとえ話」だったのでは?「どこの誰が……」と言われても、別にサルトルは会社で部下を叱責したりしてないし……。「サルトル信奉者」と言われてしまうとなんとも言いようがないですが、それにしても、いくらなんでもそりゃいいすぎではないか、と思ってしまいます……。あとは、この本で桜井氏は、執拗に、「フーコーはサルトルが大嫌いだった」ということを強調しています。これもバランスを欠いているのでは、と思えるほど。

[フーコーは]成り行きで、さまざまな場面でサルトルと共闘するようなこともありました[……]しかし、だからといって、サルトルに共感していたわけではないのです。
[……]フーコーの伝記[……]のなかで、ディディエ・エリボンは、[……]サルトルの葬儀に参加しますかという[……]電話に対して、フーコーが「もちろん、言うまでもない」と答えたと書いています。これは本当なのだろうか、と私はこの一節を読んだときから疑問に感じていました。そのため[……]を読んで、その謎が解けたと感じたのです。そこでは同居人ドゥフェールの証言として、フーコーが、サルトルの葬儀参加に否定的で、そのためドゥフェールが懸命に参加するように説得していた様子が描かれていたからです。フーコーは、次のように述べていたというのです。
「何でぼくがいかなくちゃならないんだ? ぼくは彼に何の恩恵もこうむっちゃいないんだぜ」
 しかし、結局周囲の説得によって、フーコーは、やむなく[<原文のママ]葬儀の列に参加します。それはフランス知識人界が一枚岩であることを世界に見せねばならないという文化官僚たちの思惑がからむものだったのでしょう。
 しかし、フーコーは、葬儀の列に加わって歩きながら、[……]に、若い頃、自分たちが、サルトルとその雑誌『現代』が生み出す知的テロリズムの被害をどれほどこうむっていたかを語ったのでした。
 付け加えておけば、アメリカのジェイムズ・ミラーの伝記[……]などは、フーコーが、墓地へと向かう葬儀の列のなかを歩きながら、こうして自分とサルトルの道が交差するのもこれが最後だと考えたなどというとんでもないデタラメを書いています。(p96〜7)

 ……もう、やめましょう。ていうか、この、ほとんど呪詛のことば、とも言えるサルトル批判は、このあとまだ続くんですよ(´Д`;)
 いや、確かに事実そうだったかもしれないのですが、フーコーの思想の一般向けの解説書で、フーコーがサルトルの葬式にほんとは行きたくなかった、とただそれだけのことを、ほとんど二頁にもわたって書く必要があるのでしょうか……。別にいいじゃないですか、葬式ぐらい行ったって、と私などは思ってしまうのですが、それは私が化石的「サルトル信奉者」だからなのかなあ(^^;)
 ちなみに、桜井氏の『フーコー』、とてもわかりやすくていい本なだけに、私はサルトルの記述に出会うと、当惑する、というか、苦笑してしまいました。やっぱサルトルと、なんかあったんでしょうね、桜井さん……。(つまりサルトル派による「知的テロリズム」の被害にあったんですね?)
 と、いうわけで、おそらく桜井氏に「手塚治虫、三島由紀夫とサルトルの共通性」なんてことを言ったら、「とんでもないデタラメだ」と言われてしまう可能性高いです。
 わー、長くなっちまった……。もうやめます。

■ 2003/11/21

 さて。また、捨て身の「まじバカ」話です。さすがに恥ずかしいから日記に書くのはやめようか、と思ったのですが、やっぱ書くことにします。
 昨日は、T駅の近くのバーでライブでした。ライブ後は、いつもは車で送ってもらうのですが、昨日は諸事情で定員オーバーとなり、私だけ電車で帰ることになりました。いつも送ってくれているリーダーのM君は、送っていくことが出来ずに申しわけない、と恐縮してくれたのですが、いや、むしろ、私が住んでいるのは隣駅のN駅でとても近いし(駅から家までも近い)、いつも送ってもらって悪いなあ、と思っていたぐらいだから、「いやあ、全然いいよ。じゃ。どうもどうも。」と別れました。で、バーからすぐのK線T駅に行ってみると、終電間際で本数がすくなく、その時12時10分ごろだったのですが、次は12時29分。その次が12時49分で、これが終電。というわけで、次の電車まではあと20分ある。待つのはちょっとかったるいなあ……と思ったのですが、考えてみればN駅にはO線でもいける、ということを思い出したのです。東京の西の方を通っている私鉄K線とO線は、T駅と、私が住んでいるN駅の間を平行して走っているので、どちらの路線でも行けるのです。

 で、いつもはK線に乗っているのですが、O線は、もうちょっと早く出る電車があるかもしれない、と思い、K線のT駅改札のすぐとなりにあるO線のT駅改札へ(歩いて1分もかからない)。ここまでは、自分で、さえてるなあ、なんて思ってた。時刻表を見ると、12時19分というのがある。10分といえども早いではないか。これにしよう、と改札をとおった。で、電車にのった。「いやあ、やれやれ」とか思っていると、「次はK〜」というアナウンスが聞こえました。あれ?と思いました。私は、T駅の次がN駅で、その次がK駅だとなんとなく思いこんでいたので、車掌間違ってるんじゃないの?とか思っていました。ところが、しばらくして、本当にK駅に電車がついたので、私は大きなショックを受けました。というか、またやってしまった、と頭を抱え込んだのです。つまり私は、電車にのるとき、N駅>T駅>K駅 なのか、T駅>N駅>K駅 なのか、一瞬混乱して、あまり考えずに「ん?K行き?…で、いいんだよな」と乗ってしまったのです。
 ここで、これを読んでいる「普通の」みなさんは、唖然となさる方も多いと思います。「??なんでそんな間違いをするの?ありえない、ていうか理解不能……」と。自分でもそう思います。いくらO線はあまり利用していない、とはいえ、自分が住んでいる駅の隣駅から電車に乗るのに、反対方向の電車に乗るバカが、いったいこの世の中に存在するのか??と。……いるんです……。真性の超ド級方向音痴の世界というのは、常人には計り知れない、怖ろしい世界です。ところで、この「方向音痴」というのは、私がもっている多くのコンプレックスの中でもかなり上位に位置するもので、私は子供のころから、方向音痴ぶりをせせら笑われたり、あきれられたりするたびに、自分はまともな人間ではない、と感じられて、ずいぶんと傷ついてきました。が、今は、「方向音痴とは『世界観』の問題である」という持論を持っていまして、いずれ「方向音痴の哲学」を構築しようと考えています。
 しかしまあ、それはいずれ書くとして、とりあえず、さすがの私もこのときは、あまりのまじバカさかげんに自分に腹が立ちました。電車に乗れない、て3歳児なみです。まあ、それはいいんですが、とにかく、K駅についた私は、電車をおり、いそいで反対方向のホームに向かいました(K駅は、O線の終着駅です)。が……反対方向のS行きの電車は、なんともうとっくに電車がなくなっていたのです! ていうか、11時半頃終電だったから、そもそも私がT駅にいたときすでに終電は終わっていたわけです……。電車乗る前に気付よ……自分……。自分のバカさかげんにあまりに腹がたち、誰もいないホームで「ええええ〜〜??!!!」と叫んでしまいました。しかたなく改札を出ました。東京の西のはずれ、辺境のK駅前(K駅在住の人ごめんなさい)は、12時半といえばもう真っ暗です。授業後直接ライブに行ったので、授業道具のパソコンや資料入りの10キロ近い荷物+手には紙袋(重い)を持っていた私は、途方にくれて立ちつくしました。しかも、その日は運悪く重い革靴、そして外は雨。最悪です。
 タクシーに乗ろうかとも思いました。が、乗り場に人は並んでいて、タクシーの姿はまったく見えません。大分待ちそうです。だいいち、自分のまじバカのおかげで、ギャラも吹っ飛ぶタクシー代(たぶん3倍ぐらい)を出すのは、とてもシャクなので、絶望的な気分になりながら、歩くことに決めました。T駅からN駅までは昔しょっちゅう歩いていたので、30分ぐらい、というのは知っています。てことは、今日はさらにその先のK駅からだから、2駅間、1時間ぐらいでしょうか。もちろん、真性方向音痴の私としては、歩くなんて、それこそ反対方向に歩いて行きかねないわけですが、幸いK駅は終着駅。というわけで、さすがの私でも分かりますが、線路ぞいに歩いていけばいいわけです。不幸中の幸いでした(てそういう問題ではないが)。
 それにしても、歩きながらも、自分のまじバカさ加減に腹がたって腹がたって、いやになりました。途中でどうにも革靴が重く感じられてきて、ええい、脱いでやれ、こんなもん!とキレぎみに靴と靴下を脱ぎ、裸足で歩いてみました。深夜で人影がないからいいものの、人に見せられる姿ではありません。さて、裸足は、たしかに軽くて歩きやすいです。が、濡れたアスファルトはちべたい。……し、なんか足、痛い。
 と思っていた矢先、横断歩道の白く塗り塗りしてあるところで足を滑らせ、なんと転倒。痛い。おしりべちょべちょ。こんなに絵にかいたような最悪はあるか、と笑うしかありませんでした。しかも全部自分のまじバカが原因。おれは篠原六花か(注)。しかたなく再び靴を履いて歩きはじめたのですが、右足の痛みがどうにもとれない。おかしいな、と思って靴を脱いで右足をみると、ころんだとき負傷したらしく、つま先が血だらけになっています。道理で痛いはずだ。絶望的になりながら足を引きずりぎみに線路沿いに歩いていくと、T駅のあたりの風景(有名な「ホテル野猿」のネオン)が見えてきました。意外と早くついたな、と思ったのですが、そこではたと気づきました。そういえばK線の終電は12時49分だ。今12時30分過ぎだから、これは間に合うのではないか。せめてT駅からは電車に乗ろう。やれやれ、と思って、間に合うとは思ったものの、やや歩みを速めたのです。
 が、もうすぐそこ、と思った駅が、意外と遠いのです。あれ?と思っているうちに12時40分を過ぎ、まさか微妙?と言う感じに。駅の入り口が見えてきたときには、あと3分、て言う感じに。ここまできて乗り遅れるわけにはいかない、と、私はカサを畳み、濡れるのを承知でダッシュしはじめました。足いたいけど。が、なんと無情にも、私が改札の手前に付いたとき、上の方でピロピロピロ〜という発車のベルが。もうそれ以上超絶ダッシュをする気力も体力ものこっていませんでした。ていうか、おしっこもれそうだし……。というわけで、びしょぬれになりながらさらにT駅からN駅まで歩きました(トイレは、駅近くの公園の公衆トイレにいった)。結局家についたときは、K駅を出てから1時間たってました。バーを出てからは1時間半。ま、5年前のように、オヤジ狩りに会わなかったのがせめてもの幸いということか。

(注) 山岸凉子のバレエマンガ『舞姫―テレプシコーラ』の主人公。先月号の掲載誌「ダ・ヴィンチ」に載った回では、中学受験の日に最悪のついていない体験をした六花が描かれています。

永野潤著『図解雑学 サルトル』(ナツメ社)発売中!

村田BAND(村田正洋 tp. 小川銀士 sax. 小沢香菜子 b. 宮野大輔 dr. 永野潤 p.)のCD発売中
Beautiful Fingers/Masahiro Murata \1,500
お問い合わせは永野、または調布GINZ(調布市小島町 2-25-8 フジヨシ小島ビルB1 TEL&FAX 0424-89-1991)まで。

11月29日(土)8:00pm〜
三枝数也BAND(三枝数也 b. 永野潤 p. 山口学 ds. 伊東あゆみ vo. 他)
甲府 JAZZ INN ALONE(055-232-2332)甲府市中央4-3-25地図  

12月25日(木)9:30pm〜11:30pm
森学カルテット(森学 ts. 永野潤 p. b.,ds.未定)チャージ600円
多摩センター  bar Zealous 042-338-0412 多摩市落合1-7-12 ライティングビルB1






2003>> 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
2002>> 03 04 05 06 07 08  09 10 11 12
2001年以前の日記