■ 2004/01/06

 あけましておめでとうございます。もう6日ですが。私は諸事情から今年は実家に帰らなかったのですが、今大掃除の越年闘争を継続中です。もともと、「大掃除の途中」のような状態の私の部屋でしたので、その状態を片づけようと大掃除をはじめた途中である現在の状態は、つまり前とまったく変わっていないわけで、むなしくなってきました。めんどくさいのでやめたいのですが、ここでやめても前より悪くなることがない、というのが救いでしょうか。
 考えてみれば、「掃除」や「片づけ」というものは、快適な作業環境を作るための作業、なわけですが、それ自体「作業」であるわけで、つまり、「作業できるようにするための作業」です。ところが、片づけられていない環境、というのは、つまり作業できない環境、なわけで、ということは、それは「片づけという作業」を行うこともできない環境、でもあるわけです。というわけで、私は片づけたいんだけど、片づけをするためには片づけをしなくてはならず、そのための片づけをするためにはやはり片づけをせねばならず……つまり片づけをしたくてもできない。
 毎日が日曜日、という言葉がありますが、さしづめ功、もとい、さしずめ、我が家は毎日が年末。ではみなさん、良いお年を!


■ 2004/01/07

 チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門日本人初、そしてこのコンクールで女性初の一位をとったピアニスト上原彩子のデビューアルバムが出ました。が、今日はそちらのCDではなく、このコンクールのライブCDの方を買ってみました。
 とかなんとかいいながら、実は私、クラシックのピアノって、はっきりいって、演奏者による違い、というのがよくわからない。いや、たぶん聴き込めばちょっとはわかるようになるとは思います……が私は、少なくとも今のところ、クラシックの同じ曲を様々な演奏者で聴いてみよう、という気がそもそもあまりおこらない……のです。だって、クラシックの場合、同じ曲といったらほんとに「同じ」曲、なわけです。ジャズの場合同じ「枯れ葉」という曲だとしても、演奏者が違えば、すくなくともアドリブの部分はまったく(は言い過ぎならほとんど)違う音が出されるわけですが、クラシックの場合、基本的には、同じ曲といえば、まったく同じ音が(つまり譜面通り)出される。ということは、クラシックの同じ曲をいろんな演奏者で聴く、というのは、言ってみればテンとマルの場所まで含めてまったく同じ文章である「同じ小説」を、活字や装丁が違うというだけで出版社別に集めるようなものではないか……と私には思えてしまいます。ジャズの場合、同じ曲の聴き比べ、というのは、同じ小説を違う翻訳で読む、いや、もっとだな、同じ「猫」をテーマにしたポーの『黒猫』と漱石の『猫』を読み比べる、というほどの意味があると思います。
 もちろん、私のこうした意見が非常に素朴であり、クラシックの鑑賞というのをまったく理解していない、それを言ってはおしまいの暴論であることはわかっております。が、やっぱり、私はあまりにも基本の耳がジャズになってしまっているせいか、どうしても、クラシックの同じ曲のCDを何種類も集める気にならない。それと、私の場合、昔はそうでもなかったのですが、正〜直にもうしまして、ある時期から、印象派より前のクラシック作品というのは、どうも、退屈というか、真剣に聴く気がいまいちわき起こってこないのです……。これも、トーシロの抱きがちな感想なんだろう、というのはわかっております。勝手なことに、ジャズにかんしては、「どうも、ビパップって退屈で聴く気がしないんですよ」なんて「ジャズファン」が言ってるのを聞くと(実際よくいるんですよ……)「何言ってんだ!そんなのジャズファンじゃねえ!ぷんぷん!」と腹が立ったりするのですがね……。
 というわけで、そもそもこんな私に、クラシックについて云々する資格はないのは明らかなのですが、作曲家については、かっこいい「曲」を作る人だ、と尊敬申し上げている人はたくさんいます。ドビュッシーとラヴェルはほんとうにすごいと思います。後は昔からストラヴィンスキーが大好きです。バルトークも好きですね。武満もすごいと思います。が、山梨の三枝君のようにマニアックな現代音楽の作曲家を聴き込む、というほどでもないです。なんにせよちゅ〜とはんぱだなあ。が、先に書いたような理由で、「好き」なのは作曲家どまりで、演奏者にかんしては、特にひいきの演奏家はいないのです(というかひいきができるほど聴いてない)。ただし、ず〜っと昔(高校生の頃)ヴァイオリニストの千住真理子の大ファンでしたが。といってもこれはなんか知的な感じにあこがれていただけで(<過去恥部)演奏にかんしてはまったくわかっていなかった。
 さて、例のごとく前置きが長くなってしまったのですが、で、上原彩子です。かつて私は、この人の演奏をたまたまテレビで見たのです。ちなみに、また話はずれますが、私は去年の春、「朝生」かなんかで、山本一太なるカッパが、イラク攻撃についてクソのようなことをぺらーりぺらーりぬかしているのを見て、発作的にテレヴィを破壊して以来(まじで)、まったくテレヴィを見ない生活が続いています(パソコンで見ようと思えば見られるんですがね)。いやー、それ以来平和な日々が続いています。いかに近年テレヴィを見ることがストレスになっていたかがわかりました(特に報道や討論など)。というわけで、上原彩子を見たのは、去年の春より前、一昨年です。ただしその時は途中から見たので、演奏者も曲目もわからなかったのです。NHKの深夜だったのですが、曲は、シェーンベルクみたいな感じだな、と思いましたが、とてもかっこいい曲。そして、演奏が、いや、正確に言うと、演奏する姿が、めちゃくちゃかっこいい、とその時思ったのです。おかっぱみたいな黒髪の童顔の女性なんですが、とにかくアグレッシブ。まあ、曲がアグレッシブなので当然なのですが、なんか格闘技系というか。これはひょっとして上原彩子という人ではないか、とその時カンで思ったのですが、確かめるすべもなく、ずっと気になったままでした。で、今日、このコンクールのライブCDを手に取ってみると、ショスタコーヴィチの曲が入ってます。ひょっとしてあのとき見たのはこの曲かも、とデビューCDではなくこっちの方を買ってきて聴いてみたのですが、やっぱりそうでした。で、さらにぐぐって確認してみたところ、NHKの深夜に上原さんのスタジオライブを一昨年の8月やっていて、そのときショスタコーヴィチも弾いたらしい。というわけで間違いなく私が見たのはその番組でしょう。とりあえず、ルックスと、弾き方が気に入りました。外見からはいる邪道なファンになってみようか、と思います(年末にご近所のパルテノン多摩でコンサートやってたのは知ってたのですが、忙しくて行かなかった。行けばよかったかな)。『のだめ』も面白いし、クラシックというものをもうちょっとちゃんと聴いてみようかとも思います。

■ 2004/01/08

 もし私が、現実とはちがってものすごく腕っぷしが強く、ぺらりぺらりしゃべっている山本一太を、「このカッパ野郎!クソみてえなことぬかしやがって!」と叫びながら殴ったら、たぶん、それは暴力による言論封殺、流行の言葉でいえばテロだ、と言われるのでしょう。しかし私は何の罪もないテレヴィに対しては家庭内暴力をふるったが、現実のカッパには指一本ふれていない。だが、私は、インターネット上でそのことを書いた。ということは、彼をカッパよばわりし、その発言を「クソのような」と表現した、つまり公共の場で彼を侮辱したのと同じではないか? そうみなされてもしかたない表現であったかもしれない(山本氏はただのカッパ、じゃない一般人ではないけれど)。
 しかし、テレヴィをこわすのはたしかに極端にしても、私がしたかったのは、要するに、不愉快な気持ちを抱かせる原因を遠ざけたかっただけなのです。つまり静かにテレヴィのスイッチを消すだけでも良かったのです。そして、誰しも、テレヴィを消す権利、というか、(その人にとって)不愉快なものを見ない、聞かない権利、というのはあるのではないだろうか。山本氏を見ながら「うん、この議員にはまったく好感がもてるな。この人はいいことを言っている!」とか言っている人の家に勝手にあがりこんで、テレヴィを消して回ったならば、言論封殺かもしれないが、別にそう言うわけではない。言いたいことを言う権利、もあるかもしれないが、聞きたくないことを聞かない権利、もあるのではないか? が「たとえ自分と違う意見であっても、他人の意見に耳をふさぐのは良くない態度だ。自分と違う意見こそ積極的に聞こうとするのが有るべき態度だ」などと言う人もいそうです。……しかし、それも、どうなんですかね。まあちょっとここではすぐにうまく反論できないのですが。
 それから、私が山本氏に対して抱いた不快感というのは、必ずしも彼の発言の内容とか主旨だけであったわけではないのです。たしかに彼は私とはまったく違う意見をもっているようでした。そしてそれが私が不愉快になった原因の一つであるということを否定はしません。が、私は桂小枝という人に大変好感をもっていますが、たとえば彼が「やっぱりイラクに自衛隊行った方がええんちゃうかな〜」などと言ったとしたら、私はあそこまで不愉快にはならなかったと思うのです。私が不愉快になったのは、山本氏の話し方とか、表情とかです。つまりそれが、「君たちってバカだね。どうしてこんなことがわからないのかな」というメタ・メッセージ、言い換えれば「ボクって頭がいいんです」というメタ・メッセージを強烈に発しているようにしか思えなかったのです。そしてそれは、たしか同時に出演して、山本氏と同様「国益、国益」と盛んに言っていた宮台真司氏からも(ひょっとすると山本氏以上に)感じました。それはまあ、感じる方の問題で、つまりお前がひがんでいるだけだろう、とか言われてしまうとどうしようもないのですが……。もちろん、紙やモニター上の文章だって、嫌みな文体、というのはありますが、やはりなんといってもテレヴィというのは、嫌みな主張の「イヤミさ」がもっともハッキリと表現される媒体です。で、どうも最近テレヴィを見ていて、(特にワイドショーあるいはニュース)「私は頭がいいんです」「オレはエラいんだ」「私はフツーの人を代表しています」というようなメッセージの強烈な発散を感じることが多いような気がして、それがテレヴィを見なくなった最大の原因です。しかもそういうメタ・メッセージは明示的にしめされているのではないだけに、余計ストレスがたまります。ま、いまさら言うほどのことでもないのかもしれませんが。で、テレヴィをみなくなった今は、平和です。少なくとも小泉と石原の顔を見たり声を聞いたりしなくなったというのは、それだけで精神衛生上大変いい、ということがわかりました。


■ 2004/01/12

 と、いうようなことを書くと(前回)それはそれで、「オレはテレビなどという低俗なものは見ないのだ」という嫌みな文章に読めなくもない(そういえばこの日記を読んで下さっている方の中にテレビのお仕事をなさっている方もいるのでした)。もちろん、そういう意味ではまったくありません。テレビを見なくなる前は、私は人一倍テレビを見ていたという自信があります。テレビ中毒であったと言ってもいい。そして、私の授業における「つかみ」ネタは、ほとんどがテレビネタ(というかワイドショーネタ)でした(あとは野球ネタかカモネタ)。その証拠に、某学校で書いてもらった授業の感想を紹介しましょう。

先生は、何で芸能ニュースに詳しいのですか???
いつ、TV or 新聞みてるの〜??って感じです!!!

私は結構芸能系強かったんですが、この授業で先生に出会い、マジ負けました。しゅぎょうしなおします。

先生はワイドショー好きと見ましたが、広すえりょう子の結婚についてどう思いますか?

先生は、芸能ツウだなと思いました。つんくプロデュースネタに関しては、目を見張るものがありました。私もワイドショー好きですが先生の芸能知識には負けました……。


 ていうか、いったい何を教えてるんだ、ちう話ですが。いうまでもないですが90分ずっとテレビの話をしているわけではない。しかし、私ごときで「つんくプロデュースネタに詳しい」なんて言ったら、革命的こんこん川o・-・)主義者のtoku氏におこられてしまいます……。
 ……と、いうようなことを書くと、それはそれで、「オレはカタブツではないのだ、テレビも見たりして、ワカモノの話題にもついていっているのだ」という嫌みな(というか痛い)文章に読めなくもない……ですか。
 しかし、いまのところ、過去のテレビ漬け生活の貯金があるから、授業でのテレビネタにこまることはないのですが、テレビを見なくなって一年近くなり、そろそろ世間の話題に遅れをとりはじめました。たとえば私、「はなわ」て人、新聞なんかで写真は見たことはありますが、動いているところを見たことはありません。「ゲッツ」どまりです。ま、心配しなくても、そもそも動いている「はなわ」氏がテレビに映らなくなる日も近かったりしそうですが。て、もうそうだったりするのですか? というわけで、仕事の支障にもなるので、あの不愉快なニュースや顔をみなくてすむのなら、すぐにでもまたテレビ漬けにもどりたいのです。
 ところで、あそこまでテレビ中毒だった私がテレビを見なくなってしまったのは、パソコンでテレビを見るようにした、というのが大きいです。実を言うと、私、テレビを壊した直後、すぐに禁断症状におそわれました。で、2日後ぐらいに、もうキャプチャーユニット(パソコンでテレビを見るための装置)買ってました。テレビそのものを買うのはシャクだったというのと、テレビは場所をとる、といういいわけがありましたが、要はキャプチャーユニットが欲しかった、てことなんですけど。しかしですね。パソコンでテレビを見る、というのは(私のシステムでは)次のような手順が必要なのです。まずパソコンが起動していないといけない(当たり前)。次にパソコンとUSBでつながっているキャプチャーユニットの電源を入れなければいけない。さらに、パソコン上で、テレビを見るためのソフトを起動しなくてはいけない。つまりめんどくさい。これだけのことで、自然とテレビを見なくなってしまいました。私の中では「めんどくさがり」が「意志の弱さ」よりも強かった、というか。うむ、しかしコーヒーは毎回めんどくさい手順で作っているけど、中毒から抜けられない。やっぱちがうか。

■ 2004/01/13

 某議員氏については、「『ボクって頭がいい』というメタメッセージを発している」というよりは、「発しようとしている」としか見えない、と言う意見をいただきました。なるほど。
 えと……あくまで一般論ですがね、ええ。いくらぺらりぺらりとしゃべっても、「頭がいい」ことが示されることはいっこうになくて、「『頭がいい』ことを示そうとしている」ことだけが示される、という人はいますね。しかし、ほんとに頭がいい人は、『「頭がいい」ことを示そうとしている』ことをあからさまに示す」ようなはずかしいことはしないでしょうから、そういう人の場合、「頭がいい」ことを示そうとしてしゃべればしゃべるほど、逆に、「頭が悪い」ことが強烈に示されてしまう、という悲惨な結果になっている。
 ……でもほんとは、他人のことを頭がいいとか悪いとか、そういうことを言うのはボクは嫌いなんです <と、書くことによって、自分がそんな下品なことを言う人間ではないということを示そうとしている <と、書くことによって、自分の打算を暴露して正直ぶろうとしている <と、書くことによって、自分が正直ぶっていることを暴露して正直ぶろうとしている <と、書くことによって、自分が正直ぶっていることを暴露して正直ぶろうとしている <と、書くことによって……
 まあいずれにせよ、某議員氏に対していちいち腹をたてたりする方がバカバカしいのかもしれない。だいたい、姜尚中のファンだ、と明言する女性を私は何人も知っていますが、山本一太のファンだ、という女性にいまだかつてあったことがない(ていうかいるのか?)。

■ 2004/01/17

 14日の朝日新聞にこのような記事があった。

イラクに派遣される陸上自衛隊の第2陣とされる第11師団(司令部・札幌市)の竹田治朗師団長が、「さっぽろ雪まつり」への協力をめぐり、「度が過ぎた」派遣反対のデモや街頭活動などがあった場合、「撤収も含めて検討する」と発言したことが波紋を呼んでいる。(朝日新聞東京版1月14日付朝刊30面)

 発言は、今月6日、雪像制作などにあたる隊員を集めた「協力団編成完結式」であったとのこと。当然、「憲法で保障された言論・表現の自由に対する圧力」と市民団体は抗議声明を発表。民主党北海道は、札幌市の陸自北部方面総監部に「まつりへの協力をたてに市民の思想をコントロールするのはいかがか」と申し入れたとのことだが、そのさい総監部はこう説明したのだという。

派遣をめぐり、動揺もある隊員を思うあまりの言葉で、他意はない

 「他意」……。「デモがあったならば撤収する」と発言することによって、師団長は「隊員への思いやり」を示したのであって、「市民への圧力」を示したわけではない、と。そのような「他意」はない、と。「『Aと言う』ことによってBと言う」のB、いわばメタメッセージの方に問題をずらす典型的な「失言」の言い訳ですね。差別語を発しながら、「差別する意図はなかった」「他意はなかった」という、あれ。代表的なのは石原の「三国人」発言だけど。というわけで、朝日に載っている部下思いの師団長どのの発言要旨を引用しておきます。

 イラク問題もあって今回、協力は国民注視の中となる。そのため自衛官とし自覚をしっかり持ち、節度を持って行動していただきたい。なお、時局がら雪輸送や雪像制作現場において不快感を催すような筋違いのデモや街宣活動などが行われるかもしれない。これらに対しては、まずは毅然として対応していただきたい。度が過ぎて協力環境にならないという判断をされる場合には、撤収も含めて検討するので、こういった状況を逐一報告を入れられたい。

 しかし、撤収して、もし雪まつりの開催に支障が出るならば(自衛隊がどの程度協力しているのかしりませんが)、困るのは主催者や観客なわけですよね。とすると、その中には派兵熱烈賛成の人や、別に反対ではない人もいるかもしれないわけです。すると、デモが不快だからって撤収することこそ筋違いではなかろうか。
 不快か……。聞きたくないことを聞くのはさぞ不快なことでしょう。小泉や石原や石破や、ヒョーロンカだのカイセツシャだのの不快きわまりないペラペラしゃべりを聞かされている(いた)私としては、気持ちはよくわかります。いっそのこと、撃たせちゃったらどうです? 治安出動ってやつです。スカッとしますよ、きっと。それなら、雪まつりの一般参加者ではなく、デモに参加するような不逞な輩、非国民どものみを標的にしているわけですから、筋違いではありません。雪まつりではなく血まつりになっちゃうけど。
 ええ、もちろん私がここに書いたこと、誰かに不快感を与えようなどという「他意」はなんら、ありません。

■ 2004/01/22

 自分の発言について、「そういう他意はない」と言って言い逃れる人のことを書きましたが、一方で、他人の発言に対して、その「真意」をあげつらう人もいます。よく出される例ですが、「この部屋は暑いね」と言うことによって、我々は「窓を開けて欲しい」という別のメッセージを伝達したりする。それと同じで、「戦争反対と言う人々は『戦争反対』と言うことによって、『自分たちは善人だ』というメッセージを発している。そして、彼らにとっては、そういうメッセージを発すること、つまり『自分たちを善人に見せること』こそが問題なのだ」などと言われたりします。「自分を善人に見せようとする人」は不快だ>そういう人間が言うことは聞く必要がない>そういう人間と思われたくないから「戦争反対」などとは言わない……。そのような流れもありがちです。その手の「勘ぐり」の最もグロテスクなものは、元「慰安婦」が「今ごろ騒ぎだしたのは『金ほしさ』のためだといえばこれも誰もうなずく」というものでしょう(山本夏彦「週刊新潮」1996年12月19日号*)
 しかし、勘ぐることの真意を勘ぐることだってできる。「アイツは偽善者だ」と言う人、つまり、「アイツは善人に見せようとしている」と言う人だって、いやそういう人こそ、まさに「『アイツは偽善者だ』と言うこと」によって、自分を偽善者ではない者(つまり、よりピュアな人間)と見せようとしているわけです。「アイツの発言は為にする議論だ」という発言こそがまさしく為にする議論なわけです。
 しかし、これはキリがありません。「アホ言うやつがアホじゃ」>「『アホ言うやつがアホじゃ』言うやつがアホじゃ」>「『「アホ言うやつがアホじゃ」言うやつがアホじゃ』言うやつがアホじゃ」>以下無限に続く……。
 むしろ、「真」意とか、「本」意とかがどこか(発話主体の「心」の中)にピュアな仕方で存在しているという前提を疑わねばならない。「真意」とは、状況の中で、関係の中で「作られる」もの(「作意」?)であって、云々……。たしかにそうです。が、「『絶対的真意など存在しない』と言う」ことの真意は何か? 実のところ、往々にしてそうした発言自体が、既成の秩序を維持するために作用していたりする。つまり「為にする議論」になっている。
 まあ、そういう話はともかく……唐突に山本一太の話にもどるのですが、私は以前、山本一太の話し方は「ボクって頭いい」というメッセージを発している、と書きましたが、あとから、それはちょっと(というか全然)違うな、という気がしてきました。「ボクって頭いい」の不快さは宮台真司にはあてはまるかもしれないけど、山本氏「ら」から感じる不快感は、それとはまた違うものです。彼らの顔つき、しゃべり方から感じられるのは、言ってみれば「権力が好きだ」というサインでしょうか。だから、巨人ファンに感じる不快感と近いのですが。「強い者って大好き。強い者に同一化すれば、自分も強くなったような気がするから」という匂いを発散している人に感じる不快感。いや、私の中にも、そういう面は大いにあり、だからこそとても不愉快だ、とも言えるわけですが。
 「朝生」の類がイヤなのは、そういう人たちがいっぱい出てくるからです。彼等にとって、それこそ議論の中身はほんとは重要ではないのではないか。ああいう人たちは、生まれた場所や時代が違えば、スターリンや毛沢東や金正日の偉大さについて熱弁を振るっていたりするのではないか。そんな風に思えてしまう。議論をすることじゃなくて、議論をしているというアリバイを作ることが目的なのではないか。つまり、ものすごく不公平な条件を作っておいて、あたかも公平に戦っているかのように見せかけることが目的なのではないか(「民主的」を装うということ)。そのようなことのために言葉を使っているのではないか。親のシマを受け継いで議員になったやつ、そいつらの太鼓持ち、御用学者つまり偽の知識人……結果的にそういうやつらに活躍の場を与えている「朝生」という場自体がイヤなのです。似たようなものとして、文芸春秋が毎年出している『日本の論点○○』という本。ある論点について、対立する論者の文章を載せてあるこの本は、一見中立のようですが、並んでいるといったって、安倍晋三と姜尚中が並んでいるわけです(今日立ち読みした2004年版の場合)。しかし、少なくとも中身をちゃんと読まない人にとっては、これではまるで安倍晋三と姜尚中が「対等」で「互角」に議論しているような印象を与えるではないですか。さらに、それぞれの項目に編集部が付けている「解説」は、私がペラペラ見たかぎり、かなりいやな感じでした(資料の選び方などが明らかに偏っているのに中立を装っている風なのが)。
 さて、「アイツらは権力主義者だからムカツク」というこの私の駄文自体、「反戦主義者は偽善者だからムカツク」というのと同レベルのものであることはよくわかっております。また、なぜムカツクかというと、それは私の中に権力主義者の側面があるからだ、ということも分かっております。また、「『自分で分かっている』と言う」ことによって、ピュアなところに逃げ込もうとしている、ということも分かっております……。
 でも、とにかくイヤなもんはイヤなのです。

*徐京植『半難民の位置から』(影書房)p.20よりの孫引き


自衛隊イラク派兵反対
1月24日渋谷サウンドデモ
1月25日 WORLD PEACE NOWアクション


1月22日(木)21:30〜23:30
森学カルテット(森学 ts. 永野潤 p. CINDY宮田 ds.他)チャージ600円
多摩センター  bar Zealous 042-338-0412 多摩市落合1-7-12 ライティングビルB1

2月13日(金)20:00〜(19:00開場)
カフェ・ピコロモンド
演奏 project H(永野潤p. 鈴木亮b. 小宮山春樹ds.)
dj カワイエイイチ
1500円のみもの付
吉祥寺バードロップ

2月18日(水)20:00〜23:00
村田BAND(村田正洋 tp. 小川銀士 sax. 宮野大輔 dr. 永野潤 p. 佐藤えりか b.)
1800円
調布 GINZ 調布市小島町 2-25-8 フジヨシ小島ビルB1 TEL&FAX 0424-89-1991

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