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■ライブ
4月9日(金)20:00〜22:00 project H(永野潤p. 鈴木亮b. 小宮山春樹ds.)他
dj カワイエイイチ 1500円のみもの付 吉祥寺バー・ドロップ
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■イベント
3月20日(土)〜 映画「ヒバクシャ 〜世界の終わりに〜」
渋谷ユーロスペース他 公式サイト

4月3日(土)深夜0:00〜1:00 「たった8秒のこの世に、花を。画家・福山知佐子の世界」放映
出演:福山知佐子 監督:稲川方人 Edge2「〜今を、いきる。」第16回  スカイパーフェクTV、ベターライフチャンネル(216CH)立川マイ・テレビ(84CH)、徳島中央テレビ(55CH)、山口ケーブルテレビ(55CH)

4月27日(火)18:30開場 19:00〜20:30(予定) イラク最新報告会 〜共に未来を創るために〜
報告者 YATCH(相澤恭行・PEACE ON代表) 東京ボランティア・市民活動センター・会議室B 資料代 500円 定員40名 主催団体・連絡先PEACE ON


■ 2004/03/31  

【靖国神社】
自分の国の戦没者に対し哀悼の意をささげる。これをなぜ外国の人がいけないと言うのか、いまだに不思議でしようがない(byコイズミ)

 いままで、何人かの知り合いがこれと同じようなことを言っているのを聞いたことがあります。「単に神社に行くのを何で文句つけられなきゃいけないんだ」とかね。ここを読んでいる人の中にも、ひょっとすると、「その通りだ」と思っている人がいたりするのかもしれません。あるいは、こういう政治ネタはめんどくさいのでスルーしている人もいるのかもしれません。
 とりあえず昔書いたこれでも読んでみてください……ていいたいところですが、これじゃ分からない、という人にどう説明すりゃいいのか。ええと、めんどくさい(爆)とりあえずググって上位に出てきたこのページでも読んでみて下さい。読むのもめんどくさいという人……わかりました。私が、その内容のポイントをまとめておきましょう。

●靖国神社は、天皇と国家のために死んだ戦没者を軍神として奉る軍事的宗教施設であった。
戦前の国家神道体制においては陸・海軍省所管であり、現在は一宗教法人となっているがその性格は基本的には戦前と変わっていない。

●靖国神社は「戦争犠牲者を悼むための場所」と誤解している人も多いが、本質としては「国家による戦争で戦死した軍人を、国家の英雄として祭祀すること」が主たる目的である。

●靖国神社に祀られているのは、天皇と国家のために死んだ軍人・軍属である。
戦前、祭祀は軍によって「天皇のための名誉の戦死」とみなされたものが天皇の「裁可」を経て決定された。戦後は、一宗教法人となった靖国神社自身で合祀者を決定しているが、その基準は戦前と変わっていない。

●靖国神社には、アジアの犠牲者はもちろん、空襲で亡くなったり原爆の犠牲になったりした戦争犠牲者の大多数が祀られていない。

●日本の植民地支配下にあった朝鮮・台湾出身の軍人・軍属約5万人も合祀されているが、多くは遺族にも知らされず勝手に祀られたもので、合祀取り止めを求める訴訟が起こされている。

●靖国神社参拝は、本人がいくら平和を願うつもりでも、結果としてすべての戦争犠牲者を冒涜する行為である。
侵略戦争を美化している靖国神社は、そもそも戦争犠牲者を悼んだり、平和を願う場所としてふさわしくない。

 これは偏った人が書いているからここに書いてあることは信用できない、というような人は……すいません、もう説明しません。また、ここに書いてあるようなことはすべて知っているけれど、それでも小泉の公式参拝に賛成、という人……すいません、説明めんどくさいのでそのうち。
 念のため書いておきますが、私は今回別に特に改めて靖国神社について調べたり勉強したりしたわけではありません。単に「靖国神社 合祀」をキーワードにググっただけです。またリンクをはったページを書いた人(たち)がどういう人なのかも全然しりません。が、ざっと読んで、少なくともここに書いてあることはおおむね正しいと思ったから紹介したまでです。細かい問題をつついて難癖を付けたりしないでちょんまげ……。
 あ、でも、靖国神社の公式ページには一応逝ってみましたよ。いろいろ笑えますが、たとえば。

 では、この「忠」とはどういうことかと言いますと、現代語に翻訳すれば「公」と「私」の関係でして、「私」というものを「公」の為に捧げて、遂には命までも捧げて「公」を守るという精神これが「忠」の意味です。これは実は支那の儒教にはない精神なんですね。向こうでは狭い上下関係の中での「孝」一点張りです。
 この「忠」という精神こそが、日本を近代国家たらしめた、西洋列強が日本を圧迫するという非常に厳しい国際環境の中にあって、日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから、「私」という存在を「公」の為に捧げて働き、遂に命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖國神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇の為に忠義を尽くして斃れた人々の霊であるということでよいと思います。(小堀桂一郎「日本人にとって『靖国神社』とは何か」)


 「私」を捨てる?結構でしょう。しかし、その先にあるとされる「公」?まったく「ニセの普遍性」もいいとこだ。なんと「閉じた」なんと「私的な」「公」なんだ。ムカムカする。それは「なぜ外国の人がいけないと言うのか」という言い方にもまさしく現れている。ていうか、こんな男をなぜみんな改革派などと持ち上げるのか、いまだに不思議でしようがない。

■ 2004/03/28  

【デモ】 もうやめようかと思ったデモ論、というか「デモ論」論なんですが、たとえば、たまたま見つけたこのページには次のような意見がのっています。これは2000年6月29日の「韓国日報」記事抜粋だということです。

警察庁の統計によると、ソウルでは1日に平均12個のデモ集会がある。大規模な動員があるデモの日なら、ソウルの中心地では想像を絶する交通渋滞がおこる。デモは韓国がいまだに後進国から完全に抜け出せない要因となる社会性の一面といえるだろう。

 たったこれだけの抜粋記事で、あれこれ言うことはしませんが、少なくともこう思っている韓国人がいる、ということは確かなのでしょう。そして、これを読んで、「デモが多い」ことを、韓国の否定的要因としてとらえる日本人も、多いでしょうね……。さらにこの記事はこう続けていますが、苦笑を禁じ得ません。

自らの主張を伝えようとするデモや集会の文化は民主主義のひとつの形である。しかし、暴力をともなうデモやそれに対する警察の圧力が、韓国ではいつも問題となる。また、集団の利己主義的な発想から起こったデモが市民に不便をもたらすことが多いのも事実である。
互いに譲りあい、対話を通じて問題を解決しようとする努力をしない限り、このようなデモの文化がなくなることはないだろうと専門家たちは話している。自分たちの利益や自己満足の前に、他人への迷惑を考えることがもう少し必要かもしれない。


 韓国ではこれはデモが多い現状に対する「苦言」ですが、日本ではこの考え方が主流となってしまっている、というところでしょうね。で、「デモ」を「パレード」と言い換えるワールドピースナウなどは、意地悪な言い方ですが、デモの後進国イメージを消すことに躍起になっている、という感じもあるのかな、なんて。私も人のことは言えませんが、つい、日本の現状と、ロンドンやパリ、最近ではスペインのデモの盛り上がりを比較したくなってしまう。そこに「「先進国」のヨーロッパでもデモは盛り上がっている、デモは後進国のものではない」と言いたい気持ちがちょっと混ざってたりしないかなあ。とにかく、韓国ではデモがとても多いそうです……そして、日本ではデモがとても少ないです……。

■ 2004/03/26  

【デモ】 3月20日、ワールドピースナウ(WPN)のデモに行ってきました。前日とはうって変わったひどい天気で、大変でしたが、終わった後、おデモだちの輪が広がり、飲みにいったりして、なかなか楽しかった。当日の様子、くわしくはここらへんにあります。
 さて、ワールドピースナウのデモ、なのですが、実は主催者はこれを「デモ」と呼んではおらず、「ピースパレード」と呼んでいます。なぜデモとは呼ばないのか。ぶっちゃけ、「デモ」という言葉はきこえが悪い、てことですね。そこらへんのことが(ちょっと時間はさかのぼるのですが)18日の朝日新聞朝刊の『「平和の波」広がり模索/イラク1年3・20に行動/参加しやすいムード演出』という記事に書かれています。

(WPNの)活動は、従来の反戦運動とは装いを変えている。
 デモをパレード、ビラをフライヤー、集会をトークラリーと呼ぶ。「コンサートや祭りの雰囲気を作る努力をしてきた」と、メンバーの松田卓也さん(26)は強調。実行委員の高田健さん(59)は「少数のデモ隊による戦闘的行進が一般の人々との間に壁をつくってきたと思う。一部の新左翼党派の激しい闘争も若者の運動離れの一因になってきたのではないか」と指摘する。(東京版37面 本田雅和の署名入り記事)

 ま、いいんですが、この手の「従来型の運動の問題点を指摘する」型の議論、もう聞き飽きた。とくに、だいたい私前後の年齢の人間(どう考えても若者ではない)が政治について語るとき、判で押したように「全共闘世代ウザイ」とか、「いまどきデモもないでしょ」みたいなことを言ってしまうのですが……。これ、言ってみれば、「勉強しろ勉強しろって言われると勉強したくなくなる」て言っている子供と同じでね……参加しにくかったのは、参加しやすい雰囲気を作らなかった者が悪い? ただたんに参加「しなかった」だけであって、人ごとのような言い方ではあるが、人のせいにすることはやめたいものである。だいたい、運動がもりさがってしまった原因は、運動だけにあるわけではなく、いうまでもなく、権力による弾圧、また、この記事を載せている朝日を含むマスコミを通じた情報操作、にもあるわけであって……ああ、なんで私はこんなガラにもない恥ずかしいことを、従来型の言葉遣いで言わねばならないのだろうか……これというのも、ここにきてまたぞろ従来型の「従来型運動問題点指摘論」を飽きもせず繰り返している人々が目立つからである(<人のせいにしている)。


■ 2004/03/17  

【本】 マイケル・ムーアの新刊『アホの壁 in USA』
 が本屋で平積みになってました。買うほどのこともないかな、とちょっと思ったのですが、結局買ってしまいました。新刊、といっても、原著は1996年に出た彼の処女作です。今回翻訳が出た『アホの壁……』は、一番先に翻訳が出た『アホでマヌケなアメリカ白人』(原著としては2作目)と同じく柏書房刊、松田和也訳です。第3作『おい、ブッシュ、世界を返せ』も翻訳が出ていますが(未購入)これは別の出版社、別の訳者です。
 例の本をもじった邦題はもちろんオリジナルですが(原題は"DOWNSIZE THIS!")秀逸ですね。訳者あとがきを読むと、編集者がつけたそうです。そして、『アホでマヌケ……』もそうでしたが、翻訳がなかなかいい。翻訳者のセンスがムーアのセンスと一致していて、はまり役ならぬはまり訳ではないでしょうか。
 で、内容ですがね、まあ……買うほどのことはなかったかも。どうってことのない、穏当で当たり障りのないことしか書いてません。たとえば

社会福祉制度を何とかしろ!

 俺は社会福祉にタカッてる奴らがキライだ。怠け者で、不精で、いつもタダで何かを手に入れようとしている。今の惨めな状態を脱しようとか、自分で何とかしようという気はサラサラなく、自分たちゃ世話されて当然と思いこんでる。常に施しものを求め、次から次へと不品行をやらかしては、俺たちみたいに平均的な、勤勉な、きちんとした納税者にその尻ぬぐいを求める。俺たちゃいったいいつまで耐えなきゃならんのか?――大企業の奴らの、こういうやり方に。(71ページ)


 アメリカの「タカリ企業」が連邦から年間170億ドル(一人年1388ドル)もの税金を掠め取っているのに対し、社会事業費は、被扶養児童家庭援助から学校給食、住宅補助に至るまで全部ひっくるめて年間たった500億ドル(一人年415ドル)にすぎない、という事実を指摘した上で、ムーアはこう言います。

 「不正受給者」だの「タカリ」だのといった連中がいて、そいつらが俺たちを食い物にしている、なんて大衆を煽るのは簡単だ。特に昨今のように、俺たちみんなが家賃の支払いを心配しているようなご時世、社会の弱者に対して悪意を抱かせるのに、さほどの説得力はいらんだろう。
 たぶん俺たちは、この怒りをどっか別の所に向けるべきなんだ――たとえば、ウォール街とかさ。なぜ俺たちは、「社会福祉受給者」と聞いて真っ先に大企業を思い浮かべないのか?自分のアパートの灯油ストーヴを入れるのが唯一の願いだ、なんて人より、大企業の連中のほうがはるかに俺たちの税金を食い潰している。それも、かなり怪しげなやり方でだ。(72ページ)


 誰でも言いそうな、あるいは今更言うまでもない、つまんないこと言ってます……と、言いたいところなのですが、どうも今の世の中、この程度でも、「カゲキな歯に衣着せぬ毒舌」と思われてしまうようなのです。たしか辺見庸が「ムーア程度のリベラルならばあの世代のアメリカ白人の中にはごろごろいて、彼は騒がれるほどの人物ではない」という様なことを書いていて、まったく同じ様なことを森達也も書いていました。ところで辺見庸が講演中脳出血を起こして倒れたそうですね。不謹慎な表現ですが、ほんとに怒りのあまり文字通りプッツンした、という感じでしょうね……休刊した『噂の真相』の連載インタビュー(「メディア異人列伝」取材・文/永江朗)最終回はくしくもその辺見庸でしたが、こう言っています。

「気が付いたら変な役回りをやっている。おかしいよ。(……)俺は変わったつもりはない。変わったのは世の中だ。いま原稿を書いていて、こんなことは当たり前だろ、書いて金をもらうような話じゃないよ、というのがある。にもかかわらず、”過激だ”とかいわれて。いやだよね。そっちのほうに恐ろしさを感じる」(86〜7ページ)

 ところで10年もまえに、呉智英は、ウワシンにも書いている佐高信についてこう言っています。彼は「辛口」評論家としてもてはやされているが、それは「左翼全滅の時代の中で繰り上げ当選になっただけ」だ。「風邪を押して会社に行くのが「社畜」なら、左翼全滅の暴風雨の中に出勤する佐高センセは「左畜」ではないか」(『危険な思想家』双葉文庫)最近これを読んで、ちょっと笑ってしまった。
 話をもとにもどすと、ムーアも、ちょっとそういう「繰り上げ当選」的なところがある。しかしとにかく、新刊は平積みになっているし、「ボーリング・フォー・コロンバイン」を上映する映画館は大学生ぐらいの若者で一杯だった。授業でムーアの話をした反応を見ても、彼のことを知っている学生は多い。が、気になることもあります。ムーアの出世作であるコメディータッチのドキュメンタリー番組「恐るべき真実」のDVDを授業中に一部見せたことがあるのですが、授業後に書いてもらった感想には「とても過激な内容だった。このような内容の番組はとても日本では放映できないのではないと思った」というようなのがたくさんあったのです。
 ひょっとすると、ムーアの人気があるとしても、それは、単に「カゲキさ」ゆえでしかないのかもしれない……。つまり、石原や小林よしのりの発言が刺激的な「辛口スパイス」として「受け入れられる」空気があるが、実はムーアの「人気」もそれと同種のものでしかないのかもしれない。石原もムーアも、「辛口で刺激的なちょっとアブナイ変な人」として「人気」があるだけなのかも。と、これもありきたりな分析(というほどのものでもないけど)かもしれませんが。
 ムーア関連の話、もうちょっとあるのですが、明日以降にします。

■ 2004/03/15 

【都立4大学】 昨日のつづきなんですけどね。ここでも報道されたように、9日、東京都側(大学管理本部長と新大学学長予定者の連名)から、現都立大学の総長宛に文書が送られてきたらしいんですよね。で、この「文書」の内容、すごいっすよ。ここで、現物(<pdfファイルへの直リンなので注意)が読めます。

1 今後の改革の進め方
 第1回都議会定例会での知事の施政方針のとおり、知事にはまったく新しい大学として「首都大学東京」を17年度に断固として開学する強い思いがある


 いよっ!シンちゃん!

(……)改革に積極的に取り組む先生方とともに、「首都大学東京」を創る。
改革である以上、現大学との対話、協議に基づく妥協はありえない


 ていうか日本語がおかしいって?いやいや、そこがお茶目でいい!目から鱗とはこのことですよ。やっぱ「改革」なんだからー、対話なんか「ありえない」っていうか〜。改革といえば爆弾ていうか〜。あったりまえの話っすよね〜。

 「首都大学東京」は、東京都がそこに学ぶ学生や東京で活躍するさまざまな人のために設置するものであり、教員のためではないことを再確認して欲しい。

 またまたお茶目な日本語っすね〜。そうすよね。シンちゃんのために設置される、てことを再確認して欲しいっすよね。あったりまえの話っす。

(……)3 意思確認書提出の取り扱い、混乱の責任
 新大学に前向きな姿勢で期限を守って提出いただいた方々と3月に入ってから提出された方々を同様の取り扱いとする訳にはいかない。何らかの仕切が必要である。
 また、公に改革に批判を繰り返す人たち、意思確認書の提出を妨害する人たちには、意思確認書が提出されたからといって、建設的な議論が出来る保障がない。なんらかの担保がないかぎり、新大学には参加すべきでない。

 
 またお茶目な日本語キタ━(゜∀゜)━!!!!! いやいやそれに、さすがにドスが利いてますね〜。こわ〜い! 担保ってなにかしら((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル 

 学内を主導する立場にある、総長、学部長(研究科長)、教授クラスの教員にあっては、混乱を招いた社会的、道義的責任を自覚すべきである。

  いや〜新大学を「創ろう」としている人たち、面白すぎ。もうほんと、すばらしい大学ができそうですね!今からわくわくです。

【音楽】 ジョン・スコフィールドのライブ(@ブルーノート東京)に行ってきました。ジョン・スコフィールド(g, g sample) アヴィ・ボートニック(rhythm g, samples, loops) アンディ・ヘス(b) アダム・ダイチ(ds) というメンバー。バックの三人はかなり若い。現在52歳のジョンスコは、よれよれのシャツとズボンで、にこにこしながら登場。絵的には、日曜日、子供達のライブにお父さんが昔取った杵柄で飛び入り、みたいな感じもあった。演奏自体も、アメリカの若い世代のオタク的なものを取り入れているところもありました。ステージ右の台上には iBook G4 が燦然と輝いていて、リズムギターのアヴィ君がピコピコと操作します。それどころか、途中、ギターを置いたアディ君がなにやら小さなコントローラーのようなものを取り出し、両手で操作しはじめたのですが、なんとそれはゲームボーイ。ゲームボーイを改造してシーケンサーのコントローラーとして使っているのか、と思ったら、ライブ後、いっしょにライブに行った(というか今回のライブに誘ってくれた)ドラマーKPR君が、ノバぢからを駆使してアディ君に直撃インタビューを行った結果、ゲームボーイのヘッドホン端子をPAとつないで、ゲームボーイそのものの音を出してたらしい!ライブ前半はそういうわりとオタクぽいサウンドの曲が続いて、それはそれでなかなか面白かったのですが、後半はいわゆるジョンスコらしい怒濤の演奏に入り、やはりこれが圧巻でしたね。超かっこよかった。

■ 2004/03/13

 社会ニューフ、最近読んだマンガは更新しましたが、どうもここ(日記とはいいますまい)の更新をするきっかけを失っていました。なんというか……書き方忘れちゃったΣ(゜□゜;
 ちょっといろいろやり方を考えてみます。

【カッパ】 カッパ出た〜〜!! ((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル (朝日新聞3月13日「私の視点」) せっかくテレビやめて見なくてすんでいたのに……。ま、新聞の場合読まなきゃいいんで平気ですけどね。

【映画】 実家(和歌山)に帰ってました。和歌山で、押井守の『イノセンス』を観ました。「機動隊」とか「公安」が活躍する映画です(笑)。面白かったですよ。本編の『攻殻機動隊』には及ばないかもしれないけど、続編にしてはがんばっている方ではないか(なんて偉そうですが)。アニメ技術的にはもちろん格段に進歩していて、CGも違和感がなかった。ストーリー自体は、かなり(いい意味で)わかりやすいと思いました(もちろん本編を見てない人はわからない部分かなり多いでしょうが)。そのかわり、というか、セリフは、デカルト、ミルトン、大量の漢詩、など引用の嵐でムズいムズい……。ここで「衒学迷彩」という言葉を見つけて笑ってしまいました。ダナ・ハラウェイも出てきます。ただちょっと(以下ネタバレにつき読みたい人は字を反転させて下さい)【素子の出し方は、安易というか。人格が融合したとかいう話あんまり意味ないみたい。ちょっと遠くにいっててたまに助けに帰ってくる人、というのと何もかわらん。ま、出さないわけには行かず、出すとすればああなるのは仕方ないんだけど
【マンガ】 今月号の『ダ・ヴィンチ』は、山岸凉子の「テレプシコーラ」が休載。というわけで、イライラしていたのですが、2ちゃんねるにこんなところを発見。知ってる? 篠原千花 爆笑しました。いわゆる「ネタスレ」てやつなんですが、テレプシコーラと2ちゃんねるにちょっとでも興味がある人であればかなり笑えると思います(逆に言うとその二つに興味がない人はまったく面白くない)。

【都立4大学】 なんだかんだいって結局世間ではあまり話題になっていないと思うので書いておきますが、都立4大学の「改革」、ほんとむちゃくちゃですよ。もちろん私はこれまでの都立大学のあり方を全面肯定するわけではなく、そこには大いに問題があったし、「改革」に反対している人(抵抗勢力?)の意見で、おかしいと思うものもけっこうあると思います。しかし、それにしてもですね……たとえばこれまでの都立大学が病気であり治療が必要であるとしても、イシハラのやってるのは、医療ミスとか誤診とか、そういうレベルの話ではなく、子供がやってきて医者をどかし、「そんなんじゃダメだ!こうすれば治るんダ!」とかいってメスを振り回してデタラメに患者の体を切りまくる、という感じですね。で、患者は死んでしまうんだけど、その時には、このクソガキはもう知事でもないわけで責任なんてとるはずがない。しかもその時には「オレが治療しようとしたのにジャマしようとしたヤツらがいるから失敗したんだ」なんて言うだろうことが見え見えです。とにかく、今回の騒動におけるイシハラ側の言動は、マンガ差別表現をあえて使えば、「ほとんどマンガ的」といっていいデタラメさです。それは、たとえばここをちょっとでも読むとわかります。とにかく、結局単に自己顕示欲を満足させたいだけのあのクソガキの思いつきの言動のために、厖大な数の人間が多大な労力をはらって振り回されているわけで……なんかもう笑うしかない、という気にもなります。

【デモ】 イラク開戦から一年の3月20日、ワールドピースナウ主催のピースパレードという名前のデモが東京の日比谷であります。どうせマスコミはろくに報道しないのでしょうが、東京以外の各地でもこの日はデモがあるようです。四の五の言わず行くことにします。ホームページはここ
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